皆さんは、TVゲームはお好きですか。任天堂の初代ファミリーコンピュータ(略して、ファミコン)の開発秘話をお話します。
任天堂はもともと京都に本社がある江戸時代から花札とか百人一首カルタなどを販売している、いわゆる老舗(しにせ)である。
そこの山内社長(当時)の掛け声で生まれたのが、初代ファミリーコンピュータであった。
既に、アスキーがMSX規格の8ビットマシンをゲーム用に開発、発売していた。発売ゲームは約300種類を超えており、そこにあえてゲーム機を投入するのは、企業戦略としてはかなりのリスクがある。山内社長の戦略は、どこの家庭にもテレビは必ずある。一般の人がゲームをするだけに、わざわざコンピュータを買うだろうか。簡単な操作で、家庭のテレビに接続できてゲームが楽しめる「ファミリーコンピュータ」を是非開発しよう。そこで、若い人中心に社内チームを作り、ファミリーコンピュータに必要な条件を検討させた。
価格的に、安いこと。操作が簡単なこと。表現力が豊なこと。音と画像がきれいなこと。
動画と音を同時にコントロールできること。など、いろいろな要求、要件が出され、比較検討された。
そのため、CPUにはアップルⅡに搭載された6502(アメリカ、モステクノロジー社製)を使用することとした。アップルⅡは多数のゲームソフトが開発されており、音と画像を同時に制御できるパイプライン機能を実装する6502を採用していた。弱小なモステクノロジー者では安定供給も懸念されるので、リコーにライセンス生産を委託した。ゲームソフトの開発環境も整え、これはというゲームソフトメーカーに打診をし、発売時点で数本のソフトを同時発売することとした。
任天堂「ファミリーコンピュータ」発売発表での記者会見。記者から「先行のMSXと比べて、ソフトの点で見劣りするのでは?」当然予期された質問に対し、山内社長は次の一言を述べ、会見を終了した。「量より質」
発売後、瞬く間に売り上げを伸ばし、初代ファミコンは累計で2000万台の国内販売を達成した。米国市場では日本を上回る3000万台を超える売り上げを達成。
音と画像をうまく制御するTVゲーム。もちろんスーパー・マリオ・ブラザーズもファミコンの代表的ソフトの人気キャラクターであり、今でも人気がある。
アップルコンピュータが今あるのも、任天堂64が今あるのも、すべてこのCPU6502の存在を抜きにしては考えられません。