TRONプロジェクトといえば、東京大学の坂村健教授が1980年代から提唱されたものである。数々の変遷を経て、TRON協会を設立し普及を図ったが、そのTRON協会もいまや解散してしまった。携帯電話の世界で活躍してきたI-tronであったが、いまやiphoneに始まるスマートホンの普及、さらにgoogleによるandroid投入により、携帯電話部門でもTRONは役目を終えようとしている。
ここで、TRONの果たした役割を整理してみよう。
1.来るべき高度情報化社会では、様々な機器にCPUが埋め込まれ、それらが互いに協調しながら、最適な成果を生むようなコンピュータ・ネットワーク。坂村教授が想定した社会は決して夢物語ではなかった。インターネットが普及し、様々なサービスが展開され、とても快適で、利便性のある電子社会が生まれつつある。つい最近も、トヨタ自動車が取引先約1000社と電子決済を開始するとの報道がなされた。貿易関係でも既に平成11年度末よりSEA-NAECが本格的に稼動し、輸出入の通関手続き電子化され、それまで1週間かかった通関手続きが約2時間で終了するように、劇的な変化をとげた。これは欧米での電子取引(e-commerce)の普及を受けてのものであった。こうした現実を坂村教授はすでに見通していた。
2.コンピュータは人により優しいシステムであるべきだ。人間の能力を補助し更にそのもてる能力を伸張させるインターフェースを備えたコンピュータを作るべきだキーボードは、マン・マシンシステムの大切なインターフェースであるので、独自キーボードが検討された。(いわゆる、TRONキーボードが提唱された。)
3.階層ディレクトリー構造は人間の意識にあまりなじまない。だから「実身(じっしん)仮身(かしん)」モデルをOSレベルから実装したTRON.これについては、UNIXを基にしたMS-DOS、MS-WINDOWSシステムのファイル管理システムは階層構造を基にしていた。 実際にパイロットモデルである1Bノート(パナソニック製)での実身・仮身モデルは斬新で他のシステムとは次元の違うできばえであった。
4.富士通、日立のによるCPU(G-マイクロシリーズ)のできばえは、インテルのプロセッサーを遥かにしのいでいた。
5.OSの開発は主として、パナソニック(松下電器産業)が担当した。オリジナルOSを開発できたことは、1企業として技術レベルの向上に 極めて有効に働いた。
6.身障者の使用を当初より念頭にいれた、イネーブルウェアの数々の開発。
TRONプロジェクトは決して、日の丸コンピュータを意識した、狭いナショナリズムに傾倒したものではない。
発想、視点は、現在のオープンソースに限りなく近いものであった。
一個人が立ち上げたプロジェクトで、これほど社会的に影響力をもったプロジェクトはかつてなかった。坂村教授の組織化の能力が遺憾なく発揮されたTRON。
TRONの目指した未来を志向することが、後の世代の勤めではなかろうか。いつの日か、別の形でTRON電脳社会が生まれることを祈る。