ジャズ・ピアニストの本田竹広氏が、急性心不全のため1月12日に亡くなりました。今年3月には、鈴木良雄(bass)、森山威男(drums)の両氏と組んでレコーディングするというニュースを知ったばかりだったので、あまりの突然な訃報には驚かされました。
本田氏は1969年に初リーダー作を発表してからは、日本ジャズ界のホープと期待されていました。ソロ活動のほか、渡辺貞夫グループなどにも参加しています。1978年には「ネイティヴ・サン」を結成し、フュージョン・シーンをも席捲しました。
ジャズ界を牽引するひとりとして精力的に活動していましたが、1995年、1997年の二度にわたって脳内出血のために倒れました。とくに1997年は左半身不随となるほどの重体に陥ったのです。そのうえ人工透析をも続けなければならない本田氏は、一時は社会復帰さえ危ぶまれていました。
しかし療養先の病院のリハビリ室に真新しいピアノを置いてあるのを見つけた本田氏は、復帰を目指してそれを必死で弾こうとします。
驚異的な回復をとげた本田氏は、2000年には実子の本田珠也(drums)氏らと組んで、ニュー・アルバムを発表し、その後も着実に活動を続けていました。
『ジス・イズ・ホンダ』は1972年に発表された、本田氏の8枚目のアルバムです。(当時は「本田竹曠」)
ぼくはこのアルバムのもつ不思議な緊迫感が好きです。
原曲のメロディーを大事にしたうえで、本田氏の中から湧き上がってくる「歌」が、指先を通じてピアノへ流れ込んでゆくのが見えるような気がするのです。
とくにバラードにおける、熱くてエモーショナルな演奏には、心を打たれるものがあります。
二度の脳内出血という大病、しかも左半身の自由が利かなくなるという事態に、ピアニストである本田氏はどれだけ衝撃も受けたでしょう。しかし現実を受け入れる勇気があったからこそカムバックができたのでしょうし、何より復活するという目的に向けて努力を惜しまなかったであろう本田氏の生き方にも強く尊敬の念を覚えます。
昨年は夏に心臓肥大のため長期入院していたようですが、幾度となく襲いかかって来るアクシデントにめげることなく、精一杯ミュージシャンとして生き続けたのではないでしょうか。
本田氏の生き様は、ぼくになんらかの元気を与えてくれたという気がしています。
ぼくは、本田氏が「まだ60歳の若さで亡くなった」と言うより、「最後まで前に向いて進み続けた」と思っていたいのです。
◆ジス・イズ・ホンダ/This is Honda
■演奏
本田竹曠
■録音
1972年3月14日 東京イイノホール
■プロデュース・録音エンジニア
菅野沖彦
■録音メンバー
本田竹曠(piano)
鈴木良雄(bass)
渡辺文男(drums)
■収録曲
① 恋とは何か君は知らない/You Don't Know What Love Is (Don Raye, Gene de Paul)
② バイ・バイ・ブラックバード/Bye Bye Blackbird (Mort Dixon, Ray Henderson)
③ ラウンド・アバウト・ミッドナイト/Round About Midnight (Theloniois Monk, Bernie Hanighen, Cootie Williams)
④ 朝日の如くさわやかに/Softly As In A Morning Sunrise (Sigmund Romberg, Oscar HammersteinⅡ)
⑤ ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー/When Sunny Gets Blue (Jack Segal, Marvin Fisher)
⑥ シークレット・ラヴ/Secret Love (Paul Francis Webster, Calamity Jane)
■レーベル
トリオレコード
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強い人ですよね。
本当に強い人は、こんな静かな顔をしてるんだ・・と写真を見て思いました。
この何年かは病気、ケガに絶え間なく悩まされ続けたみたいです。
しかし、内面の強さがあるからこそ、トラブルに見舞われてもミュージシャンとして生き続けることができたのでしょうね。
ほんとうに静かな顔です。写真見ているこちらが穏やかな気持ちにさせられるような気がしますね。