5連休ですね~(^^)
天気も良いようだし、リフレッシュせねば!
とりあえず今日は朝から
洗車→給油→散髪→病院→レンタルCDショップ→プリンターのインク調達→昼ご飯の買い出し
と動き回り、昼からは「夜の大捜査線」を観ておりました。1967年の名作刑事ドラマですね。
いや~、この1ヵ月はよくツブれずに働いた!(よく働いたのはこの1ヵ月だけじゃないけど・・・)
なんとか頑張れているのはすべて周りで支えてくれている人たちのおかげです。職場の「天敵」もいなくなったし・・・(^^;) まあ、天敵はどこにでも一人はいるもんなんですけどね。
天敵に対抗するには、うまく受け流すすべを身につけるか、相手よりも自分が大きくなるか、でしょうか。同レベルで張り合っても腹立たしさが増すばかり、ましてや相手が変わるなどということはありえませんから。ま、「アホは相手にしない」、これにつきまるかな。ここ数年でこのことがようやく体で分かってきたような気がします(自分が一番のアホだったりして・・・)。
閑話休題
最近、「翼をください」にハマッていた時期がありまして。
去年だったかな、川村カオリさんが亡くなったのは。彼女がブレイクしたのが「翼をください」のカヴァーだったんですよね、たしか。それでオリジナルの『赤い鳥』ヴァージョンを聴いて、改めて「いいなぁ~~」と思ってたんですよ。
『赤い鳥』は村上"ポンタ"秀一氏(ドラムス)や大村憲司氏(ギター)も加わっていたことで知られるグループで、、のちに『ハイ・ファイ・セット』と『紙ふうせん』に分かれましたが、どちらも美しい歌声を聴かせてくれましたよね。
さて、その赤い鳥版「翼をください」のシングル・レコードにカップリングされていたのが「竹田の子守唄」なんですね。
もともとは、『赤い鳥』がメジャー・デビューする前の1969年に発表したシングル「お父帰れや」のB面に収められていました。
そもそもは、奈良の被差別を描いた住井すゑさんの小説「橋のない川」が舞台上演されることになり、その際に尾上和彦氏が音楽監督を依頼されたことに始まります。尾上氏は、内に伝承されてきた曲をモチーフにすることを思いつき、京都市伏見区の竹田地区を訪れて一人の老婆からある曲を聴かされました。これを採譜したものがベースになって、徐々に広く歌われるようになったようです。当時ははっきりしたタイトルはなかったらしいのですが、竹田地区で取材したことから、「竹田の子守唄」という題に落ち着いたそうですね。
解放同盟竹田深草支部の合唱団がこの曲をレパートリーに入れていて、それを聴いた関西フォーク界の面々が自分たちでも歌い始め、さらにそれを聴いた『赤い鳥』のリーダー・後藤悦治郎氏がレコーディングしたことで一気に世間に浸透したようです。
高石ともや氏、森山良子氏、加藤登紀子氏など、フォーク界の大御所がこぞってとりあげていたことでも知られていますね。
いわゆる「子守唄」には二通りあるらしいです。
ひとつは、泣いている赤ん坊をあやしたり、寝かしつけたりする時に歌われるもの。もうひとつは、「子守りをしている人」が歌うもの。これは「守り子唄」と言われ、厳密には子守唄とは区別されるものです。後者(守り子唄)はあきらかに労働歌の一種だと思われますね。
「竹田の子守唄」は「守り子唄」です。あやしている赤子が泣きやんでくれないので、子守り奉公をしている子が困り果てて歌っているわけですね。
曲の内容は、今や広く知られていますが、いわゆる「問題」に関わるものだとされていて、放送禁止指定(これ自体別に国からの強制ではなく、いわば局による自主規制の色合いが濃いみたいです)こそされていませんでしてたが、実質的には、「がらみでオン・エア不可。解放同盟の見解では、唄の作られた理由や背景などをよく理解してくれればオン・エア可、しかし実際には理解は不可能なので」オン・エアはNOとされているそうです。
差別を教えることで差別を知ることになり、それがさらに差別を生む、という意見がありますが、ぼくはその考えには疑問を持っています。過去を振り返って過ちを正し、より良い未来を作っていくことが歴史を学ぶ意義のひとつだと思っているので、タブーに触れることは、無知が生む忌まわしい出来事を防ぐことに繋がるんじゃないかな、と思うのですが。。。
後藤悦治郎氏は、「竹田の子守唄」が大分県竹田市に伝播するものだと思っていたそうです(ただし大分の竹田の読みは『たけた』)。ぼくの周りの歌い手さんもそう勘違いしている人がわりといますね。
また曲の背景を知ったテレビ局が、あとであわてて自主規制に走った、という話も聞きました。
『赤い鳥』は、1969年の第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでグランプリを受賞しました。この時、一緒にコンテストに参加していた財津和夫氏や、小田和正氏などが、この曲を聞いたとたん「負けた」と白旗を掲げた、というのは有名な話ですね。
1971年には「翼をください」との両面シングルとして再発され、ミリオン・セラーとなりました。
とにかく平山泰代さんと新居(現姓山本)潤子さんのダブル・ヴォーカルは素晴らしすぎます。美しいとか、きれいだとか、そんな言葉では表せきれないですよね。どこか霊的というか、音楽の神様が舞い降りてきているというか・・・。とにかく日本ポピュラー音楽界の宝のひとつであることには違いないと思います。
「歌」には政治的、社会的問題を取り込むことのできる大きな器があると思うのです。その力を利用することには異議は唱えませんが、歌に込められたものを意図的にミス・リードして、自分の都合の良いことだけを拡大流布することには絶対反対です。
この「竹田の子守唄」の持つバックボーンも、ただ単にタブー視するだけではなくて、少なくとも正しい知識を取り込むきっかけにはしたいものだと思います。
音楽は原子力や火薬などと同じく、有効に利用すれば素晴らしい力を発揮できるものだと思うのです。
「竹田の子守唄」も何度も演奏したことがありますが、一番印象に残っているのが故・有末佳弘さんとデュオで行った演奏です。
ある日、スタジオで簡単なCメロ譜(メロディーとコードだけが書かれた楽譜)を渡され、「ちょっと演ってみよか」ってな調子で演奏した音源が残っているので、下に貼っておきますね。興味のある方はぜひどうぞ(^^)。
アレンジは有末さん。リハモナイズ(コードの再編)を施し、たっぷりソロのスペースも取っています。
前半のダークな感覚と、後半の一筋の光が差し込むような感覚の対比がとても印象的だと思います。正真正銘のワン・テイク目なので、途中に指示を出す有末さんの声が入っています。
[歌 詞]
◆竹田の子守唄
■歌・演奏
赤い鳥
■シングル・リリース
1971年2月5日
■作詞・作曲
不詳(日本民謡)
■チャート最高位
1971年オリコン週間チャート22位
「竹田の子守唄」 赤い鳥
「竹田の子守唄」 有末佳弘(piano)、皆木秀樹(bass)
人気blogランキングへ←クリックして下さいね
きゃぁ~どうしよう…(;一_一)
私、今回、MINAGIさんのブログ読むまで、この曲って、大分県竹田市の子守唄だと思ってました~私、竹田に住んでたこともあるんですよ~(笑)小学6年生~中学1年生までの2年間。
「翼をください」は、その後、中学3年生の頃、文化祭で、クラスの出し物として、私がピアノ、あと、バンドやってた男の子2人が、ギター、残りのクラスメイト全員が歌…こんな構成で、みんなでアレンジして演奏した、懐かしの一曲です^m^
でもって、有末さんの竹田の子守唄、
Cメロ譜のワン・テイク目で、
これだけの構成力は、すごいですね~!
また、いろいろ聴かせてくださいね~
うわぁ、なつかしい。
赤い鳥は昔アコギを教えてもらった先輩(男性)がファンだったのでこれは練習曲でした。
泰代さんと潤子さんの声質は違うのにどちらの曲も歌わされて難儀しました←あれ?ギターの練習は?
そうでしたか。私も昔何かで「竹田の子守唄」は二種類ある、ということを聞きましたがこういうことだったのですね。
そして有末佳弘さんとMINAGIさんのデュオ!
不思議な感覚で魂が揺さぶられる感じがしました。
>you tubeにupする技をようやく身につけたので(^^;)
むふふ。君も今日からは、ぼく~らの仲間♪
あとでチャンネル登録させてください<(_ _)>
竹田市はかつて阿蘇から国道10号線へ抜ける時に通過したことがあります(^^;) 過去記事です→http://blog.goo.ne.jp/mh0914/e/82632d5e12df2cb64326a8c88dc494a9
大分は別府にも行ったことあるなぁ。湯気でちっとも前が見えなかった(#^.^#)
この「翼をください」と「竹田の子守唄」は超オトク盤ですよね。「翼をください」の合唱、やりましたやりました!
市の中学合唱コンクールでは、先生から強引にメンバーに入れられ、「授業が堂々とサボれるワァ(’ー’*)」という理由で結局引き受けたことがあります。ちなみに曲は「山口さんちのツトム君(英語版)」でした。なんか楽しかったな~
ありがとうございます!(^^)あ~、構成力ですか!言われてみるとたしかに、分かりやすいのにツボを突いてるなぁ。だからぼくのやりたいことが最初からかなりスッとできたのかも・・・。
なんかそういう全体の流れが自然に読めるnorikoさんがうらやましいです。ぼくはどうもこま切れで反応してしまいがちなところがあるから、苦し紛れに「その場しのぎ」のフレーズしか出ないことがままあるんですよ(-_-;)
こんなにタイトな演奏になったのは、たぶん有末さんのアレンジと演奏力のおかげだと思いますね。
了解いたしました!自分の独断でいろいろupしてみたいと思いますので、また感想教えてくださいませ(^^)/
そうそう、オンデンさんはベーシストでありながら、Amな曲を得意とする(?)弾き語りウーマンでもあるんですよね♪
今聴いても泰代・潤子コンビの歌声は輝いてますよね。どっちの声もイイですよね~ 歌い分けるとなると、やはり実際に歌ってみなければ分からない難しさがあるんでしょうね。
なんかね、聞いた話なんですけど、歌詞の中に出てくる「在所」の意味が京都と大阪では違ってくるんだって。京都では在所=被差別、だけど、大阪では正反対の意味になるんだそうです。
>魂を
う~ん、こういう感想を頂くとメチャうれしいです!そういう演奏に参加できたことを誇りに思います。
あ、ジャンジャンのチューリップ・ライブ、聴かせて頂きました(^^)なんか楽しかったです。
これからも少しずつコッソリyou tubeに音ネタをupしてみたいと思いまする。チャンネル登録、こちらからもさせてくださいませ(できるかな・・・汗)。
私も遠い遠い昔、記事にしました。
しかし、どう見てもどこかの会社の集合写真ですよね(汗)
営業の3名と経理のお姉さん、そしてアルバイトの女子学生、という雰囲気です。
それにしても「赤い鳥」はリアルなのですが(えっ)、当時,ややムサイ雰囲気のお兄さん達が暗く歌う社会派フォークが多かった中で(汗)、彼らの「竹田の子守唄」は一番素直に心に伝わってきた記憶がありますわ。
でも、今もなぜか時々「五つの赤い風船」と混同しますが(笑)
そうそう、私もいつの日か,Nob on カラオケステージ をYOU TUBEにUPしようと思ってます。
でも、その為にはまず痩せなきゃ(汗)
今まで家でPC仕事+CD-R制作+インデックス制作にいそしんでおりました。今日も良い天気だったのに・・・。誰か翼をくだされ~ そしたら好きなとこへ飛んで行けるのに。
なんとなくですが、「赤い鳥」は、メッセージ・ソング主流だった当時の関西フォーク界の中では異色というか、音楽そのものを追求していたグループだったような気がしますね。容姿もどこか上品っぽいし(^^)
五つの赤い風船とは、今調べたら、中川イサトさん・西岡たかしさんのグループだったのですね。メンバーまでは知らなんだ・・・有山淳司さんとかもいたみたいですね。ほぉぉぉ~(@_@;) 「赤い鳥」が分裂してできたグループが「紙ふうせん」だったり、ほんま、ややこしいですね~
「Nob オンステージ」楽しみに待っておりまする。できれば華麗なステップと振り付きで(^^)。Nobさんの歌声もですけど、衣装も楽しみです~~ヽ(´∇`)ノ
それにも増して、ポンタ秀一さんってジャズの人かと思ってました。70年代後半にピットインで見た気がするんです。ナベサダか渡辺香津美のグループで。エネルギッシュな演奏という記憶でとても「赤い鳥」とつながりません。ファンサイトとかみると、もともといろいろな志向性のある方なんですね。
竹田の子守唄のほうは、ほんっとうにいろんな人がレパートリーに入れてますよね。単純にメロディーだけ取り上げてみても心に沁みます。
ぼくの友人が一時期ポンタさんの「ボーヤ(付け人)」に付いてて、いろんな話を聞かせてくれましたが、「赤い鳥」がプロ・デビューらしいです。オーディションの時に、「翼~」の中間部を16ビートで叩いたことが大きく評価されたみたいです。参加したアルバムは1万枚以上だとか。ほんとに幅広い音楽性を持っておられますよね。とはいえ、ご自分の領域をはっきり認識しておられるようで、自分のスタイルに合わない曲には「これには○○さんの方が合うよ」などと推薦したりするそうです。
今はだいぶ体調も崩されてるようですが、それでも相変わらず各地で叩きまくってますね。いつまでもその意気でいて頂きたいものです(^^)
この前見にいった山本潤子さんのコンサートでもアンコールに「竹田」と「翼」をやってましたが、原点回帰ということなのかもしれませんんね。
ほぉぉぉ、にゃるさんの覚醒は赤い鳥からでしたか。ピュアな歌声に心が揺さぶられた、とか・・・。
洗練されたJ-POPの走りのようなグループではないですか?今でもこんなに人間味があるくせにスマートな、しっかりした音楽を紡ぎ出すグループってなかなかお目にかかれないんじゃないか、と思ってしまいます。
山本潤子さん、去年だったかテレビで久しぶりに歌声を聴きましたが、もうビックリ!あの美しさに変わりなし!なんだか安心しました(^^)
「竹田」と「翼」はある意味ご自身の代名詞でしょうが、いわゆる売れ線で作ったのではなくて、自らの思い入れが深いような気がします。
あ、また突如お邪魔するかもです!