ぼくには10歳以上年の離れた従兄がいる。
彼もたいへんなロック通で、ぼくが中学生くらいの頃にはいろいろなバンドのことを教えてくれたり、たくさんのレコードを聴かせてくれたりした。
ぼくが本格的に「ロック小僧」の仲間入りをしたのは、この従兄のお陰もあることに間違いない。
その彼が言ったことがある。
「ビートルズの中で一番ロックンロール・スピリットを持っているのがジョンなんだよ」
ぼくは、従兄の言葉によって、ジョンの音楽をことさら意識して聴くようになった。
もともと「ロック・ミュージック」というのは反体制の象徴みたいなところがある。
髪型、ファッション、音楽性など、ほとんどすべての要素がそれまでの価値観を破壊するものだから。
そして、反体制的な言動を一貫して続けていたのがジョンなのだ。
それが上辺だけのものではなく、ジョンの強い信念に基づいた生き方から来ているということが次第にわかってくると、そういうジョンの生き方にも、ぼくは惹かれるようになった。
「キリスト教批判」「勲章返上」「平和運動」など、ジョンの精神を物語る題材は多い。
何かを強く主張するところには批判が集まりやすいものだが、ジョンはいかなる心無い批判にも決してひるむことはなく、自分の信じるところを貫こうとした。
生き方ばかりではなく、音楽的にもロックン・ロールを土壌とした硬派な性質を感じる。
ビートルズの後期あたりから音楽的にもより過激さを増し、メッセージ性を強めてきているが、この頃の作品はとても個性的で、ぼくの好きな曲がとても多い。
とくに『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』『アイ・アム・ザ・ウォルラス』『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』『レヴォリューション』などに心惹かれ続けている。
ソロになってからも、真っ向から主張を突きつけるような曲を多く作っていたけれど、『イマジン』あたりから表現に優しさを帯びて来ているのを感じる。
また、この時期以降以降の作品には、ジョン自身の弱さも隠さず表すようになった気がするのだ。
『ラヴ』『夢の夢』『マインド・ゲームス』などがぼくの愛聴曲である。
主夫業に目覚め、一時は表立った活動から遠ざかっていたジョンだが、1980年に5年ぶりにアルバム『ダブル・ファンタジー』を発表して、たいへん話題になった。
その復帰作はラジオでもひんぱんにオンエアされていた。それがちょうど今の時期だったことを覚えている。
愛にあふれる、とても穏やかなアルバムで、ぼくもよく聴いたものだった。そして、そのアルバムがヒットしている最中に、あの悲報が伝わってきたのだった。
「12月8日」に、特別にジョンの音楽に浸るようなことはしないけれど、ぼくの心の中の一部分はジョンの音楽、ジョンの生き方に影響されていると思う。
ジョンは、いつの時代の曲でも、驚くほど素直に自分の内面を包み隠さずさらけ出していると思う。そして、そのストレートな表現が、ジョンの生き方と重なり合って見えるのだ。
これからクリスマス・シーズンに向けて、ジョンが作ったクリスマス・ソング『ハッピー・クリスマス』がひんぱんに聴かれることだろう。
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たいへんステキなお父さんをお持ちだと思います。
でも、親から「ロックの洗礼」を受けられるなんて、とってもうらやましいですよ。ぼくらの子供の頃は、「勉強のジャマ!」とか「不良のすることだからやめなさい」だもんね。(ぼくの家はそんなことなかったですけどね)
同じ時を生きたことはなくても、何かが伝わることが大事だと思うので、「しんみり想う気持ち」、わかるような気がします。
メルマガ、ゆーきんパパネタの下の「ファッションの引き出し」の話もとても面白かったです。とても参考になる話でした
ブログにお越しくださりありがとうございました♪
私も、ものごころついた頃から、ビートルズではジョン派でした。お父さんの影響です。
私メルマガを発行しているんですが、ちょうど最新のメルマガでジョンネタを書きました。うちのお父さんはジョンレノンなんです(笑)よかったらここで最新号見ることができるので読んでみてください♪http://blog.mag2.com/m/log/0000159674
私はジョンが亡くなった直後に生まれました。同じときを生きたことはないけど、毎年12月8日になるとジョンをしんみりと想います。
あ、またこちらにも遊びに来ますね☆
エルトン・ジョンがおネエ言葉でジョンに共演を頼むとこ、なにげに想像したら何かがツボに入ってしまって、エルトンの顔が浮かんで来ると「プッ」と小さく笑えてしまう今日の午後です
LIVEアルバムってあれかな、ジャケットの写真、ふたりが肩組んでるものが使われてるアレですよね。聴いてみなくては。
今になって考えてみると、ジョンって、「主夫」のはしりでもあるんですよね。当時としては革新的なライフスタイルだったと思います。
誰にこびることもなく、自分の信念に従って生きていたジョン、やっぱりカッコいいですね。憧れますよ~
マネするのはムズカシイんですけど、それでもマネしてみたいです。
>「真夜中を突っ走れ」にはエルトン・ジョンが参加してるんですよね、たしか。
そうですよね。
エルトン・ジョンが、この曲が№1になったら自分ののステージ(コンサート)に立ってね(オネエ言葉?で)と約束して、見事№1になり競演が実現したのでした。LIVE盤かっこいいすよ!
悲しい事にジョンを知ったのは、その死のニュースによってでした。ワタシも、その時はまだコドモでした。ビートルズを聴き始めるのはそれから5年もしてからです。
ビートルズ・ファンは、大体ジョン派とポール派に別れると思いますが、私は完全にジョン派でしたね。やはり、ジョンが一番カッコいいから。
「ジョン・レノン語録」とか買って、やっぱりカッコいいなと更に思ったりもしました。
>後継者が見当たらない
まさにそうですよね。唯一無二の存在だな、とつくづく思います。「ミュージシャン」というより、生き様を含めた「アーティスト」と呼ぶほうが似合っているような気がするんです。
従兄はレコードのコレクターでもあったんです。しょっちゅう行き来はしていなかったのですが、遊びに行くたびに、「これ知ってるか?」と、いろんなレコードを聴かせてくれました。結構影響受けましたよ
たろさんの記事も読ませて頂きました。「シンプルな表現」、同感です。シンプルがゆえに、聴き手に伝わりやすいのでしょうね。ほんとに音楽も生き方もカッコ良いですよね~
こんばんは。
幣ブログへのコメント、いつもありがとうございます。
コメントと少し古く短文の記事ですがトラックバックを失礼いたします。
MINAGI様のジョン・レノンさんへの愛情が溢れた文章を拝見させて頂きました。
音楽を教えてくれた従兄さんがいらっしゃるのは羨ましいですね。
そして、MINAGI様が記事で書かれている音楽的にもライフ・スタイルでも J.レノンさんにはロック的なイメージがありますね。
相変らずソロ作品を中々購入出来ないのですが、楽曲のスタイルは変わっても J.レノンさんの正直に内面をさらけ出した音楽性が格好良く、今後も輝きを失わないのではないかと思っています。
また遊びに来させて頂きます。
ではまた。
あの日の2日前・・・、それはまた衝撃が大きかったでしょうね。
あのニュースを知った日はまだ「コドモ」だったので、その意味の大きさがすぐにはわからなかったけれど、日ごとに喪失感がつのっていったのを覚えています。
「真夜中を突っ走れ」にはエルトン・ジョンが参加してるんですよね、たしか。
こんにちは
ジョンの死は本当に悲しかったですね。
僕は、あの日の2日前に”walls and bridges”を買ってアルバムを聴きまくっていたので凄いショッでした。
Ah!bowakama pousse,pousse
Ah!bowakama pousse,pousse
ジョンの死のことを想うと
このフレーズがいつも出てきます。