天気の良い休日の朝。
まぶしい朝日がカーテンの隙間からさしこみ、鳥のさえずりが聴こえます。
カーテンを開けて全身で朝日を浴び、コーヒーを淹れます。
そんな時に似合う曲のひとつが、この「ラヴィン・ユー」です。
「ラヴィン・ユー」を歌っているのは、ミニー・リパートンです。
もともと彼女はオペラ歌手志望で、周囲の期待も大きかったそうですが、ふとしたきっかけでチェス・レコードの関係者に紹介されたことからポピュラー音楽の世界へ入ることになります。
下積みの生活が続きますが、5オクターヴとも、5オクターヴ半とも言われる声域を持つミニーは、その特長的な声で次第に関係者に知られるようになります。
やがてのちに夫となるリチャード・ルドルフと出会います。お互いに一目惚れだったそうです。ミニーはそのリチャードと共にフロリダに移り住みますが、その地で生まれた名作がこの「ラヴィン・ユー」だったというわけです。
1971年、ミニーはもうひとつの大きな出会いを経験します。それがスティーヴィー・ワンダーとの出会いです。
ミニーはスティーヴィーのところに行き、自分がどれほど彼の音楽を好きか熱く語りました。スティーヴィーにすればそんなファンは珍しくなかったのですが、ふと彼女に名を尋ねたところ、「ミニー・リパートン」という返事が返ってきて、今度はとても驚きました。なぜならば、スティーヴィーはすでにミニーの歌を聴いて彼女の大ファンになっていたからです。
そして、スティーヴィーがのちにミニーのソロ・アルバム制作を全面的にバック・アップすることになるのです。
1974年、ミニーはソロ・アルバムの制作に取り掛かります。そしてこの時、スティーヴィーから「パーフェクト・エンジェル」と「テイク・ア・リトル・トリップ」の2曲を贈られました。
アルバム・タイトルは「パーフェクト・エンジェル」。
スティーヴィーから贈られた、最大の賛辞ではないでしょうか。
録音中、ミニーと夫のリチャードは、フロリダ時代に赤ん坊を庭先のハンモックで寝かしつける時にかけていた曲を取り上げることになりました。ミニーのハイ・トーン・ヴォイスがよく通る、明るいスロー・バラードです。
スティーヴィーもこの曲をとても気に入って、アルバムに収めようとしましたが、録音を重ねても何かが足りず、しっくりきません。よくよく考えたミニーとリチャードが思い出したのは、この曲をかけている時は、いつも庭先で小鳥がさえずっていた、ということです。そこでサウンド・エフェクトとして鳥の鳴き声を加えました。
こうして完成したのが「ラヴィン・ユー」です。
鳥のさえずり、柔らかいエレクトリック・ピアノ、透明感のあるストリングスとアコースティック・ギターが優しくバックで音を奏でます。
ミニーの声は、黒人ヴォーカリスト特有の粘っこさみたいなものはあまり感じられないけれど、本当に可愛くて魅力的です。スコーンと突き抜けるように軽々と飛び出す超高音部の声は驚異的。まさに「完璧な天使の歌声」だと言えるでしょう。
歌詞を見ると、思い切りストレートなラヴ・ソング。でも、この曲は、リチャードとミニーの間の赤ん坊に対する愛の歌なんだそうですね。きっと「生まれてきてくれてありがとう」と言っているのでしょう。
アルバム「パーフェクト・エンジェル」は1974年に発表されました。
翌75年1月にシングル・カットされた「ラヴィン・ユー」は、またたく間にチャートを駆け上がり、同年4月5日付で全米チャート1位に輝き、ミリオン・セラーを記録しました。
『パーフェクト・エンジェル』
ミニーは、絶頂の時を迎えていた1976年に乳ガンに冒されていることがわかり、乳房の除去手術を受けます。しかし彼女は落ち込むどころか、積極的に乳ガンに対する啓蒙を行います。「わたしのグラスにはワインは半分しか残ってないんじゃなくて、グラスに半分も満たされている」という発言は、ミニーの前向きな姿勢を表す言葉として今でも伝えられています。
ポジティヴでハッピーな生き方を貫こうとしたミニーですが、78年にガンの転移が発見されました。それでもミニーは最後まで歌い続けようとします。
「私が黒人だから、みんなは私がブルーズを歌うべきだと言うの。でも私には、ブルーに落ち込むようなことは何ひとつないの。ブルーズは悲しい感情で歌わなければならない。でも私はハッピーな人間」
ガンの転移が発見されたのちのミニーの言葉です。
1979年7月11日の夜、スティーヴィー・ワンダーがミニーのために書いた曲を持って病院にやって来ました。ミニーはこう言ったそうです。「私が待っていた最後の人がやってきたわ。これですべて良くなるわ」。
翌12日午前10時、ミニーは家族に看取られながら不帰の人となりました。まだ31歳でした。
「ラヴィン・ユー」はジャネット・ケイをはじめとして多くの歌手がカヴァーしています。日本でも平井堅、今井美樹、MISIAなどが歌っていますね。
この曲もいつまでも長く歌い継がれるであろう名曲だと思います。
◆ラヴィン・ユー (Lovin' You)
■作詞・作曲
ミニー・リパートン & リチャード・ルドルフ/Minnie Riperton & Richard Rudolph
■プロデュース
スティーヴィー・ワンダー & リチャード・ルドルフ/Stevie Wonder & Richard Rudolph
■歌
ミニー・リパートン/Minnie Riperton
■録音・発表
1974年
■シングル・リリース
1975年3月14日
■チャート最高位
1975年週間シングル・チャート アメリカ(ビルボード)1位(1975年4月5日付)、イギリス2位
1975年年間シングル・チャート アメリカ(ビルボード)13位、イギリス24位
[歌 詞]
[大 意]
あなたを愛するのは簡単なこと それはあなたが美しいから
あなたと愛し合うことが私のしたいことのすべて
あなたを愛するのは夢が現実になるよりも素敵
私の行動のすべてはあなたを愛し抜くこと
Lalalalala・・・・・dodododo・・・・・
私にそう思わせた人は他には誰もいないわ
あなたが運んでくれた色彩の数々
歳をとるまでずっと一緒にいてほしい
私たちは毎日を春の時のように過ごすでしょう
だってあなたを愛することは私の人生をとても美しいものにしてくれるから
私の人生の毎日はあなたへの愛に満ちている
あなたへの愛、あなたの魂への陽射しが見える
そして私たちのすべての時は・・・・・Ooo
あなたといれば愛以上のものに
Lalalalala・・・・・dodododo・・・・・
ミニー・リパートン 『ラヴィン・ユー』
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ラヴィン・ユー・・・なんて、素敵な歌なのでしょう・・
黒人の女性 だと、はじめて 知りました
色あせない、いい曲ですね
こんばんはMINAGIさん!、シンガーの名前は知らずに聴いていた感じでしたが、本当に名曲は色褪せないと、思い知りました☆
スキャットの部分も好きです。小鳥のさえずりは幸せの味付けだったのでしょうね。
明るい日差しを受けて 与えられた命を最後までいとおしんだ彼女が目に浮かぶようでした。MINAGIさんの淡々とした文章がまたストンと胸に落ちます。
知りませんでした。。。
31歳、若すぎる死ですね。。
でも、この歌が今も歌い継がれていることを
きっと天国から喜んで見ているのでしょうね♪
ぼくも初めて聴いてから随分の間、てっきり白人の歌手が歌っているものだとばかり思ってましたよ。
発表されてからもう30年以上経っているんですよね。
この曲も古さを感じさせない曲だと思います。(^^)
ひろさんの記憶にもこの曲がありましたか(^^)。
歌い手さんの名前も分かったことだし、いっそうこの曲を慈しんであげてください。
この曲は黒白、ジャンルを超えたまさに名曲ですよね。
今日は記事を書きながらミニーのベスト盤を繰り返し聴いてましたよ~
>小鳥のさえずりは幸せの味付け
あー、そういう表現好きです~。木陰で赤ちゃんを眠らせながら聴く小鳥のさえずり。良いですね。
彼女の言葉のいくつかを読んでみましたが、自分がガンに冒されているのにとても前向きなんですね。すごく強い女性だったんだな、と改めて思います。
へへへ、ありがとうございます。けいさんに褒めてもらうと照れますね~(^^)
>この歌が今も歌い継がれていること
ミニーの曲のひとつひとつが彼女の生きていた証しならば、それがいつまでも歌い継がれるということは、ミニーがいつも誰かの胸の中で生きているということですもんね。ミニーはきっとこの曲を誇りに思っていると思います。(^^)
「ラヴィン・ユー」は彼女のもつ透明感と高いソプラノがなんともいい感じです。
歌う彼女は、初めて見ましたがイメージどおりの家族を愛する暖かい女性ですよね。
ポジティヴだから、いい出会いに芽ぐまれたのでしょうね!
黒人=ファンキー、といったぼくのイメージを変えてくれたのがこの曲です。
曲の雰囲気と空中を柔らかく翔ぶような超高音、キラキラしていて、本当に透明感にあふれてますよね。
>ポジティヴだから、いい出会いに~
仰る通りだと思います。前向きな人のところには前向きな人が寄ってくる。そしてきっとミニーも周りの人たちを大切に思っていたんでしょうね。