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福島県いわき市の湯本駅。古い歴史のある良い温泉場です。という
より、スパリゾート・ハワイアンズのある町といった方が、わかりやす
いかもしれません。以前は常磐炭鉱の本拠地だったところです。その
歴史を展示する、その名も「石炭・化石館ほるる」からいわき市の主
催する「いわき復興支援スタディー・ツアー」に神戸に住む大学時代
の友人夫妻と、私たち夫婦で参加しました。
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まだ5月の福島だというのに、暑い一日でした。仮説の浜風商店街は、
思っていたより小じんまりしていましたが、みなさんとても元気です。
津波で家もお店も流され、中には身内を亡くした人もいるでしょうに。
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もう震災から4年が経ちました。商店街の前の広場に咲く花の鮮やか
さが目に滲みます。「年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからず」
と言いますが、ここでは地震、津波、その上放射能で自然さえも破壊
されてしまいました。
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遠くに東京電力広野火力発電所を望む海岸の光景です。今は穏や
かに波が打ち寄せています。
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久之浜漁港の近くで、津波から九死に一生を得たという語り部の方から
お話を聞きました。その体験だけでも、十分悲惨なものですが、この地
はさらに放射能の恐怖に襲われました。他の地域は4年のうちに片付
けられ、新しく整備できているところもありますが、ここは津波に襲われ
た姿がそのまま残っています。汚染された土を取り除き、護岸工事が進
んでいますが。復旧は前途多難なようです。津波で全て流されたのに、
上の小さな神社が奇跡的に残っていたのだそうです。あんなに小さくて
脆そうなのに。行政は撤去するように言ったそうですが、住民みんなで
守っているとのこと。
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久之浜からさらに北の富岡町、双葉町、浪江町、南相馬へと向かいました。
以前は家や田圃があったところが一面の草地になっています。道路は一応
復旧しているものの、浪江町の辺りはまだ帰宅困難地域です。その地域で
道路脇の放射能値の電光板の異様に高い数値には恐怖を覚えました。正
常に戻るにはどれほどの時間がかかるでしょうか?罪深い人災だと思わず
にいられません。政府は原発回帰を打ち出しているようですが!!