昼顔は朝顔とは違い、野生の花。特に浜昼顔は地面にはいつくばうように
して、海岸の砂地などに咲いています。そう大きくもない薄紅色の花です。
この地味な昼顔が朝井まかての時代小説『阿蘭陀西鶴』の中で、半ばキー
ワードのように効果的に使われています。これは江戸時代の戯作者井原
西鶴と彼の盲目の娘おあいの物語です。フィクションですが、出来事、
登場人物等、朝井まかての他の時代物と同じく、史実に基づいているよ
うです。西鶴が娘を伴って、淡路島へ行きしばらく逗留する場面があり
ます。その淡路島で、おあいは昼顔が一面に咲く浜辺を訪れます。最近
この小説を読んで、私も今年の初夏に淡路島を訪れ、昼顔が一面に咲く
光景を目にしていたことを思いだしました。写真も数枚撮っていました。
三百年余りの時を経て、二十六歳でなくなったらしい西鶴の娘と同じ景色
を見ているかもしれないと、後追いの記憶ながら、不思議な感覚にとらわ
れました。おあいは目こそ見えないけれど、いやそれゆえに料理、裁縫な
ど完璧にこなしたということです。それは若くしてなくなった母、つまり西鶴
の妻に手取り足取り仕込まれたおかげでした。その母が愛した花が昼顔。
この小説では、西鶴がこの花に愛妻の面影を重ねていたとされています。
家の垣根にも町家では珍しく昼顔を這わせ、おあいの杖にも昼顔の彫り物
が施されていました。「可愛らしゅうて、我慢強うて、ちょっと強情なとこのあ
る色」西鶴は盲目のおあいに昼顔の色をきかれて、こう答えたとあります。
「可愛らしゅうて、我慢強うて、ちょっと強情な色」まかてさんの創作かもしれま
せんが、若死にした恋女房に対する昼顔に託した西鶴の詩才躍如の表現です。