山の上のいっぽんの さびしいさびしいカシの木が
とおくの国へ行きたいと 空行く雲にたのんだが
雲は流れて消えてしまった
山の上のいっぽんの さびしさびしいカシの木が
私といっしょにくらしてと やさしい風にたのんだが
風はどこかへきえてしまった
山の上のいっぽんの さびしさびしいカシの木は
今ではとても年をとり ほほえみながら立っている
さびしいことになれてしまった
作詞:やなせたかし 作曲:木下牧子 「愛する歌」より
やなせたかしさんのしみじみした詩に、木下牧子さんが素朴な美しいメロディーを付
けた心にしみる歌です。最後の「さびしいことになれてしまった」というところなんか、
この高齢化社会、身につまされるような歌詞です。でもね「ほほえみながら立ってい
る」んです。雲や風とつかの間でも触れ合ったことを思い出しているのでしょうか、
穏やかな良い一生だったという悟りの境地でしょうか、長生きなさったやなせさんの
心象風景でしょうか。
静かな木 (新潮文庫) | |
藤沢 周平 | |
新潮社 |
コーラスで歌った「さびしいカシの木」を不意に思い出したのは、藤沢周平の
「静かな木」を読んだからでしょうか。でも、この本の主人公の老人は、さびしい
樫の木とは違って、寺の境内にたった一本すっくと立つ葉を落とした欅の老木
に我が身をなぞらえ、このように一人孤高に枯れていきたいと思っているので
すが、俗世のしがらみや愛憎に絡め取られ、なかなかそのような境地に達する
ことが出来ません。まあ、それはそれでよしとする、藤沢周平らしい穏やかな顛
末の話です。
山本周五郎長篇小説全集 第一巻 樅ノ木は残った(上) | |
山本 周五郎 | |
新潮社 |
山本周五郎の「樅の木は残った」もまた、孤高の樅の大木に己を重ねあわせる
原田甲斐の話です。「私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私は
この木が好きだ」ここでも、樅の木に自分を投影しています。誹りを受けても、何
一つ語らず、弁明せず、ただ藩の存続だけを望んで絶命した原田甲斐の崇高な
姿が樅の木に凝縮されています。
樫、欅、樅、種類は違うけれど、孤木には人に訴えかける崇高さがあります。