貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

春分の日の、獲物!

2020-03-21 11:17:23 | 日記

春分の日の、獲物!

 令和2年3月21日(土)

 昨日は、春分の日。

 快晴。但し風強し!

 午後、友人から電話。

「奥多摩の大丹波に、また釣りに・・・。

釣りの師匠から声がかかり・・・。

先日みたいには、釣れなかったけど・・・。

要ります?」

という鄭重な電話。魚に目がない私は、

即要望。

 収穫の半分以上戴くことに。

 「今回は甘露煮で!」

と家内の弁。骨ごとむしゃむしゃできる

のもいいねえ!

 この間よりは成長し、活きも良い!

 ほんと、きれい!

 夜、

「活きがいいからうまくできたわ!」

と、家内も大喜び!

 「うまくできたら、届けるよ。」

と約束していたので、超安堵!

 そして、二つ目の獲物?

 プランターで、芽が出てきた野菜

君達に水をあげていると、目の前に

釣られたものが、高々と!

 一気に目が覚める!

 小屋、二つの敷地内移動!

 あっという間の出来事。

 春分の日の獲物、有り難きかな!

 今朝、試食。

「うまい!」

の一言。

 友人宅へ、ちょっと前に届けた。

「夕飯で・・・。」

という嬉しいメール!

 


姥石の上

2020-03-20 08:58:30 | 日記

姥石の上

 令和2年3月20日(金)

 3月19日、20度超えの春暖の

中、羽村小作の堰の、古木桜が

開花。新記録の早さ?

 春爛漫も間近!

 千曲市の 長楽寺の巨木は桂で、

そこに切りたった崖がある。

「姨石」と呼ばれている上で、一人

のんびり風景と涼風を楽しむ。

 姥捨山ぐらいの高さでは、這ってでも

降りてくのではないか等思いも巡らす。

 説明板にも記載されているように、

「くまもなき 

  月の光をながむれば 

   まず姨捨の山ぞ恋しき」 

と西行法師が詠った歌を、

芭蕉は口ずさんでいたのだろう?

  小林一茶は4度の来訪。

 伊能忠敬も文化11年に訪れ、日記に

13の古詠を書き留めている。

  千枚田や四十八枚田と言われる棚田の

向こうに広がる長野盆地は善光寺平、

川中島平ともいわれる。

 その景色は全てが武田氏、上杉氏の

12年間5度に亘る川中島の戦いの

戦場でもある。
  
 姨捨(田毎の月)は、

広い意味では棚田に映し見る月をいう。

 この場合は「姨捨山放光院長楽寺」

の持田である四十八枚田に映る月を

指す。

 この田のある地籍を「月見田」とも

いい、古い文献では「月夜田」と

記されている。

 古来、仲秋の名月をここの田に映して

の句会や歌会を開く事がステータス

とされていた。

 多くの団体が申し入れた中から

寺に許された会派は、総出で穫り入れ前

の稲を刈り取り、桟敷を組んで田には

水を引き入れて月を映し、句や歌に

詠んだと伝えられる。

 それがいつの頃からかは不明。 

 上杉謙信が麓の武水別神社にあげた

武田信玄討滅の願文には、

「祖母捨山田毎潤満月の影」

とのくだりがある。  

 また、謡曲「木賊」(四番目物の内の尉物)

にも「田毎の月」の名がある。

 室町時代には既に広く知られていたの

だろう。

 但し、このような宴が催されたのは

昭和2年(1927)が最後と伝えられている。


三よさの月見 そして幻視

2020-03-19 08:48:29 | 日記

三よさの月見 そして幻視

令和2年3月19日(木)

 桜も綻び始める?

 今日から散歩は、桜の木の

多いところへ。

 さあ、千曲市に。

 長楽寺参拝!

 

  天台宗の寺院。

 姨捨山放光院長楽寺と号する。

 本尊は聖観世音菩薩。

 信濃三十三観音霊場第14番札所。

 創建時期は不明。宝暦3年(1753)の

『千曲之真砂』や、江戸時代末の善光寺

道名所図会には、八幡の武水別神社

神宮寺の支院と説明されている。

 しかし、古今和歌集に記されている

ことなどから、10世紀には、

姨捨山として知られていたと考え

られている。

  芭蕉の目的である姥捨山の田毎の月

が見える所。

 稲穂がもう少しで盛りという時期。

 黄金色に色づき始めた稲穂と千曲川も

空も雲も満天の歓びの中にあり。

 まさに、観月の寺である。    

 面影塚である。

 句は、

 「おもかげや 

   姨ひとりなく 

      月の友」 。    

  同行した越人の句碑に、

「さらしなや 

   三よさの月見 

      雲もなし」

 とあるように、芭蕉は、8月14日から

三日間晴天に恵まれ、この地に降り注ぐ

満天の星の中の月を眺め、

月光を存分に浴びたようだ。

 そして、月光の下、独り泣き濡れる

姨の姿を幻視して一句詠んだので

あろう。
 貞享5年・元禄元年(1688年)作。

 同道した越人の随行塚碑あり。

 姥捨山。

 田毎の月。

 ここは、本当に佳き処!


急変に戸惑う日

2020-03-18 09:50:32 | 日記

急変に戸惑う日

令和2年3月18日(水)

 今朝、『ぼくの寄道 芭蕉の古径』を

印刷屋に持って行く。

 やっと!と一安堵。

 市役所にもより、「ちょこっと共済」

の交通保険も申し込んでくる。

 宝蔵院は、正見寺に変わり、

西光寺は個人宅。

 繁華街の真っ只中で、寺名なる

ものはなく、諦める。

 

 さて、懐かしい松代町。

 研修後、露天風呂へ。

 その湯が至極よく、また農家の人たちが

一日の疲れの癒やしに見え、歓談!

 労働後の露天風呂。温泉は最高!

 それも楽しみにしていた。

 好印象の町の一つ。

 しかし、時の流れはすっかり平均化して

しまった感じ。

 虫歌観音堂も「虫歌の湯」も

カーナビは案内しているのだが、

面影もなく狐につままれる。

 時もまた化け物でもある。

 松代にある頣気(いき)神社へ。

 名前も漢字も珍しい。

 以前は諏訪大明神とも称された神社。


 

 「発句塚」があるという情報だったが…。 

発句塚の芭蕉の句は、

 「かほに似ぬ 

   発句も出てよ   

       はつ櫻」  

 そろそろ桜の蕾が色づき始める。

 今年は早そう!

 今週中に咲き始めるかも・・・。


月見に邪魔者

2020-03-17 09:03:26 | 日記

月見に邪魔者

令和2年3月17日(火)

 木蓮が花一杯。見事というしかない。

 半月以上早いんじゃない?

 しかし、昨日は寒く、夜は冷え込んだ。

 三寒四温に近いかな?

 今朝は、長野市にある吉田神社へ。

 吉田神社の正式名称は、

皇(すめ)足(たる)穂(ほ)吉田大御神宮。
  延長5年(927)の『延喜式』神名帳に

名があり。歴史のある神社。 参拝!

  旧社地にあった御神木のイチョウは

移転後もそのまま残され、現在も樹勢

盛んである。

 二つの句碑が、仲良く並んでいる。


 

 向かって左の句碑が芭蕉。

 芭蕉の句は、

「雲折々 

  人を休むる 

    月見かな」  。

  月見をしていると、時折雲が

月を隠してくれるので、

その間月に魅入られている

私の心をふっと休めてくれる、

の意。

 月見には邪魔者の雲さえも

仲間に引き入れて、

なかなかの情趣!

 これが、芭蕉が己を捨て、そのものの

中に、同化して浮出した言葉。作句。

 底に、尊敬する西行の歌が血肉化

している。

「なかなかに 時々雲の

 かかるこそ    

 月をもてなす 

    かぎりなりけり」

 この句碑の背面には「文政七年仲秋」

と刻印されている。1824年。

 この句碑を揮毫し、建てた人は

「月院社何丸」という地元の俳人で

芭蕉研究者。

  左の句碑が芭蕉句碑建立者 

何丸さんの句碑。

「只涼し 

   水ものほらす 

     月も来す」  。

  芭蕉句碑と並立して建てられている

のは、地元でも畏敬の俳人であり、

芭蕉研究者であった証でもあろう。