貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

厄除け根本祈願寺で、発心道場参拝完了!

2022-08-11 14:12:10 | 日記
令和4年8月11日(木)
第23番 海部郡: 薬 王 寺    

 神亀三年(726)、
行基菩薩が聖武天皇の勅願を受け、
この地に巡錫し一寺を建立。

 その後、弘法大師が、
弘仁六年(815)、平城天皇から
衆生の厄除け祈願寺を開くようにとの                    勅命を受け、本尊の厄除け薬師如来座像を
刻んで安置し、厄除けの根本祈願寺とした。

 この厄除け本尊の功徳を、
平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇に奏上した
ところ、歴代の天皇が厄除け祈願をする
ために勅使を遣わしたという。
 厄除けの寺として全国に名を馳せ、
参拝する人が後を絶たないという。


☆☆☆ 雨が少し上がって、
靄がさあっと天昇する。
 阿波国徳島県の札所巡り最後となる。
 「発心」完了!
 有り難きかな、有り難きかな!
 「同行二人」の、導かれるまま
お参りできたことに深謝!


乳白色の霊水で体の清浄!

2022-08-10 09:21:50 | 日記
令和4年8月10日(水)
第22番 海部郡: 平 等 寺      

 大師堂で、若い女性が読経!
 傍で鐘を鳴らし、二重のご縁を
ということで十円玉のお賽銭、
 納むる音も心地よく響く。
 しかし、読経の邪魔をしている
みたいかな?

 皆平等に!!!
 弘法大師が弘仁五年(814)、
厄除け修行で巡錫した時、
空に五色のの瑞雲がたなびいて、
現れた金色の大日如来の梵字は
薬師如来に姿を変え、
光明が四方に輝いた。
 そこで、大師が加持水を求めて
杖で井戸を掘ると、乳白色の霊水が
溢れた。
 大師は、この水で体を浄めて
百日間の修行の後に、
薬師如来像を刻み、本像として安置。

 一切衆生を平等に救済する祈りを
込めて開山された。



終の道 いづこぞ ・・・?

2022-08-09 11:42:22 | 日記
令和4年8月9日(火)
須賀川市: 十 念 寺   
     
 白河の関を越えた松尾芭蕉と曽良は、
須賀川の町で一週間程度滞在。

 滞在中に十念寺にも参詣したことが
曽良日記に記録されている。
      
 十念寺は案内板によると、
「文禄元年善竜上人の開山」である。
 
 安政2年須賀川の女流俳人市原多代女
によって、芭蕉の句、
「風流の 
  はじめや奥の  
      田植唄」
の碑が建立されたことが、
説明板に書かれている。

 
 その後、市原多代女の 
「終に行く  
   道はいづこぞ  
      花の雲」 
という辞世の句について
説明されている。
 
 多代女の辞世の句は
いつ詠んでもいいなあ! 


曽良と芭蕉像の後ろ姿に!

2022-08-08 10:15:40 | 日記
令和4年8月8日(月)


元禄2年に、
松尾芭蕉がこの地を訪れ、
「五月雨の
   滝降りうづむ
      水かさ哉」
と詠む。

 それを記念し、
芭蕉と曾良の石像を造ったのも妙味。

 ずんぐりむっくりの二人の姿も、
この風景に合致しているよう。
 
 後ろ姿もよかった。

 古峯神社を詣で、
聖徳太子を拝み、

またの旅路をと願い、
乙字ヶ滝を後にした。
                                    



滝降りうずむ!ミニナイヤガラ!!!

2022-08-07 11:41:42 | 日記
令和4年8月7日(日)
 石川郡玉川村: 乙字ヶ滝        
 日本の滝百選のひとつ。  
 那須高原に源を発する阿武隈川唯一
の滝で、水が乙字の形をして流れ落ち
ることからこの名がつく。
 場所は、石川郡玉川(たまかわ)村
にある。

 水かさが増すと、100mの川幅いっぱ
いに落下する様子が、ナイヤガラ風。
「小ナイヤガラの滝」といわれている。
 玉川村のいろいろな名勝・観光地を
地図が教えてくれる。
 
 サイクリングロードも整備され、
自然や歴史・文化の探索もしやすく
なっている。

 乙字ヶ滝の由緒も
説明板に大きく記されている。                 
 先ず目についたのが、
出羽三山参拝記念石碑群。
 
                
 グワゥグワゥと鳴く滝水の音、
 昨日の雨で水かさも増し、
土色の所もある。

 百メートル幅の瀧の豪快さも伺える。
 まさに、「可愛いナイヤガラ」。

 その後、瀧見不動堂参拝。

 そして、念願の芭蕉句碑に。

 元禄2年に、松尾芭蕉がこの地を訪れ、
「五月雨の 
   滝降りうづむ   
     水かさ哉」
と詠む。