貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

子規二句、雨考等諸句碑の再会!

2022-08-16 11:44:31 | 日記
令和4年8月16日(火)
子規の句は、

「芭蕉忌や 
    吾に派もなく
        傳もなし」

「山里の 
    桑に昼顔 
      あはれなり」

 そして、柿の栗等に尽力した雨考の句は、

「鶴亀も 
   下戸にはあらし
       膳飛羅起」。

 市原多代女の句は、

「此うえに 
    又としよらん     
        初時雨」
 藤井普流の句は、

「夏の夜の 
   持ちこたえなし 
      峯の松」 




    


社名の珍しさ 神炊館神社!

2022-08-15 15:56:37 | 日記
令和4年8月15日(月)
 今日は、わが学友の誕生日。
 77歳の喜寿。
 そして、終戦記念日。
 正午に黙祷をする。
 平和を切に祈念する!
須賀川市 神炊館(おたきや)神社   
  
 奥州須賀川の総鎮守である神炊館神社は、
奥の細道の途次、芭蕉が参詣した神社。
 全国でも唯一珍しい社名は、
御祭神である建美依米命(初代石背国造)が
新米を炊いて神に感謝した事蹟に因る
という。


 室町時代に、
須賀川城主であった二階堂為氏が
信州諏訪神を合祀したことから、
現在に至るまで「お諏訪さま」と
親しまれている。
 慶長3年(1598)に現在の諏訪町に
遷宮され、
現在須賀川市の中心市街地にありながら
閑雅を保つ鎮守の杜に、
四百数十年の時を超えてお祀りされている。    
 今回で二度目の参拝である。
 奥の細道碑には、


宗祇戻と曾良随行日記の須賀川の記録分が
篆刻されている。

 その後、虚子や子規など文人、
歌人など多くの方が参拝したようだ。

虚子の句は、
「白牡丹 
  といふもいへども 
       紅ほのか」
つづく。


目立たぬ花や!

2022-08-14 10:29:56 | 日記
令和4年8月14日(日)
 可 伸 庵 跡                       
 以前須賀川に行った時、
市役所は工事中だった。
 今は新庁舎になっている。

 目を見張るほど最新で工夫された建物。
 駐車場も広く、どちらからも出入りできる。
 何よりもびっくりしたのは、
市役所の前に、
ウルトラマンの父が堂々と立っていたこと。

 須賀川とのつながりは?
と説明板を拝見。

 須賀川市は、M78星雲光の国と
300万光年をつなぐ姉妹都市と銘打っている。
 宇宙と姉妹都市を提携するという壮大で
ロマン溢れる街として、
須賀川市があるのだと了解。 
 こういう遊び心が至極良い。  
 市民とそのリーダーを無条件に尊敬する。
 子どもを本当に大事にしていることも明白。
 大好きな街のひとつとなる。
 幸多からんことを!


 市役所に車を置き、可伸庵跡へ。

 


「軒の栗」の碑と芭蕉句碑あり。   

「かくれがや 
  めだゝぬ花や 
     の木の栗」 



室戸岬・・「最御崎寺」は何と呼ぶ?

2022-08-13 11:00:28 | 日記
令和4年8月13日(土)
 昨夜から雨。
 朝方青空も出たが、早々の雨。
 夕方以降、青梅入りするかな?
台風号8号!
 いよいよその2~土佐国(高知県)へ。
 土佐は大師の修行の道場。
 海岸沿いの道を走る。
 厳しさと癒やしの道のり・・・。
 海辺の道は格別。
 白波としぶきと碧空と白雲とそして風を
感じながらきらめく感情にも酔いしれ・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・!
 二十四番札所から三十九番札所まで、
十六の寺を巡る旅、
「同行二人」の旅は続く。
 空海の修行した洞窟も発見。
 後で訪ねることにする。
 海路七十キロの道も大いに愉しんだ!

第24番 室戸市: 
 最御崎(ほつみさき)寺            
 「ほつみさきじ」と呼ぶお寺。

 大同二年(807)、
唐の修行を終えた弘法大師は、
再びこの室戸岬を訪れ、
難行苦行を重ねて、
虚空蔵求聞持法を修し、
虚空蔵菩薩像を刻み、
本尊とした。

 嵯峨天皇以来、皇室の勅願所となり、
足利幕府からも土佐の安国寺として尊崇され、
藩主などの保護を得て、
寺運は隆盛。

 室戸岬の突端近くに、
若き日の弘法大師の修行した
「御厨人窟」がある。

 少年時代、三重県一志郡に住んでいたが、
台風がある度、ラジオで
「室戸岬上陸」とか、「潮岬云々」
と放送されていたので、
地名は小さき時から慣れ親しんできた。
 やっと訪問できた歓びも湧いてきた。


道半ば!

2022-08-12 09:02:20 | 日記
令和4年8月12日(金) 十念寺にて ~続き
 三つ目に、東京オリンピックで
マラソン第3位となった円谷幸吉の墓に
ついて説明されている。

 青梅マラソンは、
円谷選手と青梅陸連の方が初めて走った事
を記念にして誕生した市民マラソン。
 私も十五年ぐらい走ったので、
親近感も覚え、その偉業を讃え、
お墓の前で記念写真をとる。 
   
 芭蕉は、須賀川では、旧知の等躬を
訪ねている。
 等躬から、
「白河の関ではどんな句ができましたか」
と問われた芭蕉は、
疲労と風景の優美さと懐旧の念で
頭が一杯になり、全然あきませんでした
と答える。
 と言って、
まったく一句もなしに越えるというのも
心残りとして、
前記「風流の~」の句を披露したそうだ。
 等躬の句は、   
あの辺は 
   つく羽山哉 
       炭けふり  
 相良等躬の墓もお参りした。 
 新たに、平和を祈念するものなのか、
経堂みたいなものが目を引いた。                 
市原多代女の辞世句は、
「終に行く 
     道はいづくぞ 
           花の雲」 。          
「道なかば 
    終もみえずや 
        けふもいそしむ」 
            貢人 
が今の自分。