貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

寛政時代創建の芭蕉句碑!

2022-10-12 10:11:12 | 日記
令和4年10月12日(水)
 日替わりのお天気、今日は寒い!
 今日は黒川郡: 吉岡八幡神社。
        
 吉岡八幡神社の創建は不詳。

 信夫地方(福島県福島市)を
治めていた飯坂氏の氏神であったと
いわれている。 
 伊達政宗の三男宗清が
鶴巣下(しも)草(くさ)に配されると、
宗清の庇護のもと
元和四年に黒川郡の総鎮守として
現在地に移されたという。
 境内に入って真っ先に目を引くのは
やはり明和元年(1764)に造営された
朱塗りの随身門。

 そして、
現在の社殿は昭和63年の火災消失後、
平成元年9月14日再建された。

 当地の宗匠(そうしょう)によって
建てられた芭蕉碑は、
高さ1.7mほどで、横からは達磨風に、
正面からは徳利風に見える自然石。

 碑面には、     
「藤の実は 
  俳諧にせん 
    花のあと」
 という句が刻まれ、 
寛政十一年(1799)三月建碑と
記されている。

 木造校舎の向こう側には、
新しく造られた小学校があり、
その職員や保護者の駐車場となっている。


抜苦与楽と転貧与福のご利益!は初物

2022-10-11 09:33:32 | 日記
令和4年10月11日(火)
第38番 土佐清水市: 金剛福寺 

 弘仁十三年(822)、
当地で千手観音を感得した弘法大師は、
嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅願を
賜って、堂宇を建立。

 以来、
寺は代々天皇家の勅願所として栄え、                    平安時代後期には、観音霊場として
幅広い信仰を集めた。
 室町時代には、
京都の仁和寺から下国された
尊海法親王が住職を務める。

 本尊の三面千手観世音菩薩は秘仏だが、
正月、初観音、お涅槃祀り等に公開。
 石段を数段上がり、
「補陀洛東門」の額が掛かる山門を入ると、
左手には親子亀のいる手水舎、
 さらに石段を上がると、大師亀がいる。
 頭を撫でて念ずれば、ご利益があるという。

 正面突き当たりに本堂、
その右には多宝塔と護摩堂が建っている。
 多宝塔は、
源氏一門の満仲が源頼光公と清和天皇
の菩提を弔うために建立。

 本堂の左には、愛染明王と聖天尊が
祀られている。                  
 寺宝である愛染明王座像は平安後期の作
といわれており、県指定の文化財。           
 愛染明王は、縁結び・家庭円満を祀る仏様。
 聖天様は十一面観世音菩薩の化身で、
抜苦与楽、転貧与福のご利益が授かれる。
 


武隈の松は七代目!

2022-10-10 15:09:20 | 日記
令和4年10月10日(月)
 芭蕉一行は
元禄2年5月4日、
岩沼を目指して白石宿を出、
竹駒神社を参拝後、
武隈の松に立ち寄る。

 芭蕉の句碑の句は、
門人の挙白が
「奥の細道」の旅への餞別として詠んだ、
「武隈の 
   松みせ申せ 
      遅桜」  
 (遅桜よ、わが師が奥州に赴かれたら、
是非とも武隈 の松をお見せしなさい)」
に応えて詠んだもの。
 現在の松は七代目。

  
芭蕉の句は、                  
「櫻より 
  松は二木を 
    三月越し」 

    
 曾良の随行旅日記には、
「竹駒明神ト云有リ。
 ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。
 竹がきヲシテ有。
 ソノ辺侍やしき也。」
と記されている。


「武隈の松」 初出の歌!

2022-10-07 11:44:00 | 日記
令和4年10月7日(金)
岩沼市: 武隈(二木)の松          
 平成元年、岩沼市は
「奥の細道紀行300年」を記念して、
歌枕「武隈の松」の地を
二木の松史跡公園として整備する。

 公園の広さは620平方メートルほど。
 公園の入口前には
名松「武隈の松(二木の松)」
が聳えている。

 その脇に、
藤原元善(良)朝臣と橘季通の歌碑が
建っている。

 藤原元善の歌は、
文献上、「武隈の松」初出の歌
として知られている。   
「うゑし時 
  ちぎりやしけむ 
      たけくまの 
  松をふたたび 
      あひ見つるかな」
       (後撰和歌集)
 橘 季通の歌は、
「堂希九万(たけくま)の 
    松八二木越(を)   
        美屋古人 
   い可ゞと問八ゞ 
      み起とこたへ舞」              
      (後拾遺和歌集)
「武隈の松は
    ふた木を
  都人 
   いかがと問はば
    みきとこたへむ」
ということ。

 芭蕉一行は
元禄2年5月4日、
岩沼を目指して白石宿を出
竹駒神社を参拝後、
武隈の松に立ち寄る。

 つづく。



笠島塚から道祖神路へ

2022-10-06 13:36:00 | 日記
令和4年10月6日(木)
名取市: 道 祖 神 路              2017(平成29)年 6月 5日 14:35~
 館腰神社神社の近くに
「道祖神路」があるのだが、
その石碑は?
 1歳ぐらいの男児が庭で
お母さんと遊んでいるので、
訊ねる。
「隣の人が地元の方なので・・・。」
と紹介される。  
 お隣を訊ねると、
気のいいおじいさんが、
「その曲がり角だよ。」
と教えてくれる。

 碑は、
館腰神社のすぐ前を通る奥州街道
(旧国道4号線)を南に約400m下った、
川内沢川にかかる橋のすぐ南に立っている。

 別名「芭蕉の句碑」・「笠島塚」・
「芭蕉塚」とも呼ばれている。
 碑の正面に大きく「道祖神路」と刻まれ、
北面に道祖神社や中将藤原実方の由来、
碑建立の趣旨が説明され、
道祖神社・名取川・仙台城下への距離が
刻まれている。
 道標である。
 
 南面には、
「笠島は 
  いずこ皐月の 
     ぬかる道」
と、見事な筆跡で芭蕉の句が
刻まれている。
 安政3年(1856)に
仙台の小西利兵衛と地元の人々によって
再建されたものらしい。
 それ以前は
「笠島塚」
と言われる道標があったと
伝えられているという。