哲学堂
目に優しい・・・ 緑 が広がっています。。
春ですねぇ。。 久しぶりに・・・ ロードワーク (土曜日) 行って来ました。。
そんな中・・・
ネパール では 大地震 と、、、、、 堀ちゃん 大丈夫かな?? 心配だなぁ。。
自然 は美しいし・・・ 怖いし・・・ やさしい・・・ 上手につきあっていけるように、、、、、
人間 も 自然の一部 なんだから・・・
25日 土曜日。。。
10:00~11:40 中野区 ふくろうスポーツ館 リハビリ型ショートデイサービス
いつもは・・・ サロン の M賀さん が来てくれる予定だったらしいのですが、、、 サロン の方でほかに予定があり、、、 開店休業。。 でした。。
でも・・・
たまにはこういう日もいいです。。
生活指導員 M田さん と ゆっくりお話が出来ました。。
ふくろう の 現状 を確認しながら・・・ 教育・福祉 等々、、、 私の 経験 も含め、、、 いろいろ 深いはなし が出来たと思います!
仕事は・・・
この一本のみで、、、 お休み に近かったかなぁ。。
その後は・・・
久しぶりに 布団 を屋上に干し、、、 ゆっくりしてから、、、 ~~ ロードワーク。。 そして・・・ 掃除 しました。。
色鮮やかですね。。
ここから・・・ 昨日の続き、、、、、
嘉納治五郎先生 の 柔道 への思いを・・・
武術 へのこだわり
体育として・・・ 教育としての 柔道 を目指す一方で、、、、、
木村政彦 の本の内容でも触れましたが・・・ 武術性 にもものすごくこだわっていた と、、、 やはり 菊先生 は語っています。。
柔術 の根幹にある 暴力性 を日常の生活の中で応用していく!(実践的な有用性)
私達はすでに 近代化 された柔道がそのまま海外に伝えられたと単純に考えがちですが、歴史をたどっていくと、どうもそうではない。欧州でもブラジルでもそうですが、そこにはやはり実践的な武術として一般の人々に受け入れられて、それがだんだん柔道に洗練化されていくという日本と同じプロセスがありました。
その意味では・・・
嘉納 は両極的です。柔道という非暴力的な理想を求める一方で、武術性、つまり人間の暴力性をどうやったら日常の中でうまく 処理 できるのかというこだわりを持っていました。例えば、それは 当身技 などの非常に危険な技をいろんな形として表現していたところにも表れています。
う~ん。。
共感 出来るなぁ。。
人間 の 中には・・・ “暴力性” は必ず存在します。。 それが、、 爆発、暴発 して 事件 が起きているともいえます。。
それを・・・ “処理” してあげることに 格闘技 を上手に 使う ことが出来たなら・・・
ふくろうスポーツ館 でも、、 一般の部 で、、 介護予防運動 の後の トレーニングメニュー として ボクシング&キックボクシング の技術を使っての “護身・痩身・健康づくり” をテーマにした プログラム を提供していきたいと考えています。(5月から 1名 入りますので 本格的スタート です!)
子ども達の 武術指導 もやりたいですね。。
言語で伝える
嘉納 が 実践した非常に重要なことはこれを 言語化 したことです。
技 に 名称(ラベル) をつけて 言葉 として表現し、誰でもが読んだり聞いたりしてわかるように 普遍化 したことです。 今の 学習指導要領 でも 『言語的リテラシーを子どもたちに身につけさせなさい』 と盛んに言われています。
体育でも 言語的リテラシー が重要です。 言語化 で 言語 による指導が徹底できます。
単に 見せるだけでなく きちっと相手に 言葉 で伝える。 それが 技術書 になりますから、嘉納や弟子がわざわざ実際に外に出向かなくてもいい。
さらに・・・
彼は柔道では 4つのこと が重要だと言っています。
まず 『形』 そして 『乱取り』 をして試す。 つまり 試合です。
ただここでの 試合 はあくまで自分の 『形』 『乱取り』 を試す場であって、結果を求める 場 ではないと言っています。
その試合 を通していかに 反省 し 疑問や問いを見出すことが出来るのか が大事なんだと・・・
そこに 必要なのが 『講義』 と 『問答』 だと言います。
おそらく 彼の苦悩は 『講義』 と 『問答』 を忘れた 柔道の姿 でだったと思われます。
それは すでに 大正、昭和初期 にはもう見られていました。 だから・・・ 今日の 柔道 も彼が心配していたことが、ずっとコントロールの効かないまま続いているとも言えます。(確かに・・・)
これは・・・
私の 指導者・コーチ として 子ども達や対象者の前に 立ったときに・・・ 常に 心がけていることでもあります。
スポーツ指導は・・・ スポーツ教習所 ではない!!!
そこに・・・ 『こころ』 を見出すために、、、 やっぱり 『ことば』 が大切なのです!!
これは・・・ 声を 大 にして 伝えていきたい!!
暴走 をコントロール
『精力善用』 から 『自他共栄』 へということ
私(菊先生) は 精力善用 とは 単に暴力的に力を発散すればいいということではなく、効果的、効率的な力の発揮の仕方だと考えています。
嘉納 は 灘の造り酒屋の息子です。 江戸時代 『士農工商』 の身分制度で 『商』 は一番身分が低いとされていました。
何も生産しない!
この 身分制度 が根強かった時代に・・・ 彼は 東大 に入学し 武士層 の連中から 『商人の子やろ』 といじめられたそうです。
そこで いかに 反発 し 応えていくのか!
そこで彼は 精力 というものを 最有効活用 することを考えたのではないか。 それが・・・ 精力善用
そして 善用 は効率よく利益を追求していくという発想ですが、 暴走 すると 善 にならない。 その 善 の中身が何かと言うと、たんなる効率的な利益追求とはまったく 逆のベクトル の 自他共栄 という考え方です。
競争して、最有効活用すれば頂点に立てます。 ただそうすると 善用 の善にならない。 善 の中身を彼は 教育的な言説 に求めたのでしょう。
つまり コントロール するということです。
人間 は 暴走 する! その 暴走 をコントロールするために 自他共栄 ということばが出てきたのではないか。
つまり 精力善用 の 善 を 社会善 にするためには 自他共栄 ということ考え方が必要であると。 ベクトル は逆ですが、両方が相まって彼の教育理念というもの、あるいは 柔道 の考え方が出来ていると思います。
そして今の私達が考えなければいけないのは、文化としてスポーツをどう育てていくかということです。 一般の人はスポーツの魅力に引き付けられます。勝負して、勝って楽しい。しかし、そこには落とし穴もある。
その部分を 嘉納 が生きた時代背景に基づく 教育的言説 からだけではなく、スポーツ をやっている側からもきっちり表明していく必要があります。
教育組織に単に教育をまかせるのではなくて、文化としてスポーツをやることはどういうことかをスポーツの関係者が常に意識して、その鏡として嘉納が言っていることを参考にすれば 転ばぬ先の杖 になると思います。
嘉納は・・・
個人 も 国家 も 自身や自国 の為のみの行動ではなく、ほかに尽くす生き方へ転換することを主張しました。
『精力善用・自他共栄』 とは
他者に尽くしてこそ、自己完成がなされ、それにより社会や国を発展させられるという 考え方 です。
う~ん。。。
バシバシ 入ってくるね。。
スポーツ・武術 を通して もう一度 子どもの指導をやってみたいね。。
自分で プロデゥース 出来るのなら・・・
今度は “態度指導” をしっかりやってみたい!!
それには、、 やはり・・・
武術 しかないかな。。
次の・・・
目標です!!