『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『G.I.ジョー』を観た]

2009-08-09 20:59:27 | 物語の感想
☆監督が『ハムナプトラ』シリーズの人だそうで、面白いのだろうけど、A級アクション作品には成りきれない匂いがプンプンしているのだが、さて、どうであったか?

 なお、腐女子の姪っ子と観に行ったのだが、「腐」故に、姪っ子は声優へのこだわりが大きく、今回は吹き替え版で見た。

 ちなみに、私は映画好きとしては言語道断ではあるが、あまり洋画鑑賞における「字幕版」へのこだわりはない。

 特に、特撮がビシバシの作品は、吹き替えのほうが画面に集中できるのでいい。

 ・・・と、言いたいのだが、実際のところ、字幕版のほうが、字幕スーパーと画面に「もの凄く集中」するので、そこにおける脳への負荷が、心に深く残ったりもするんだよね。

   ◇

 意外に…、と言うか、かなり面白かった。

 この感触は、確かに『ハムナプトラ』シリーズと似ている。

 見た直後は、その、破綻のない、堅実な、盛り沢山な内容の作りに感心してしまうのだ。

 が、しばらく経つと、その平均的な起伏のなさに、何とも平坦だった印象を抱かされ、評価が「凡作」へと移行していく。

 それは何故かと考えると、アクション映画を印象付ける「燃える(萌える)もの」が、この作品にはないからかもしれない。

 全てのシーンが平均的に面白いのだが、突出したものがないのだ。

 一つ挙げれば、この物語には、<G.Iジョー>チームたちが命を落とす緊迫感がない。

 中盤の、パリ市外を舞台にした大アクションがあり、ここでは、<GIジョー>チームの特殊スーツを着込んだスピーディーなアクションがある。

 スピーディーなアクションを高速に見せるためには、それ相応の表現技術が必要であり、私は、この作品において、非常に斬新な、『マトリックス』や『ソードフィッシュ』などとはまた異なった表現技術を見せられ、非常に感心させられたのだが、

 同時に、主人公たちに、けして命の危険がない緊張感のなさも感じた。

 「自分の身を投げる」かのような捨て身チックな動きや、パリ市外の通りを行き交う車両の破壊の数など、ハンパじゃない魅力を感じもしたのだが・・・。

 クライマックスの戦いは、それはもうスケールが大きく、私は、その陸海空での戦いに感心したのものだが、悲しいかな、そこには全く緊迫感がなかった。

 描写に、ネチっこさがない。

 完全にデジタライズされた、血の通わないクライマックスがそこにあった。

 そこにおいての部分部分でのアクションは、もはや、記号体でしかない。

 心からの手に汗握るアクションなどは望むべくもないものだった。

   ◇

 ただ、見過ごせない長所も多数ある。

 敵味方問わず、メインの役柄の来歴をちゃんと描いている点だ。

 おそらく、この作品、アクションだけならば、一時間半の作品であっただろうが、敵味方問わず、キャラクターたちの過去をヴァラエティ豊かにちゃんと描いているので、個々の役柄に愛着が湧くのである。

 また、それが、いかにもアメコミのキャラクターの如く、一人一人で一枚看板を張れるかのごとき個性を発揮する。

 「コマンダー」とか「デストロ」「ザビタン」「ストームシャドー」など、『バットマン』の「ジョーカー」や「リドラー」「ペンギン」みたいなイメージを醸す。

 だが、同時に、どちらかと言うと、玩具キャラクターに過ぎない<G.Iジョー>チームなので、そのアメコミ的な語り口が鼻につく感じもある。

   ◇

 <G.Iジョー>基地などは、あまりにもケレン味あり過ぎて、B級風味がたっぷりであったが、あのような描写は、私、好きである。

 また、冒頭に、安易にナノ兵器が悪の組織コブラに強奪されるのではなく、いったん、<G.Iジョー>基地に確保された後に、「安易」に強奪されるという捻った展開は良かった。

 更に、その強奪されたナノ兵器だが、そのまま使用されるのではなく、どこかの研究所の加速器みたいので実用化されると言うプロセスを踏むのにもリアルが感じられた。

 ただ、加速器(なのか?^^;)の中で、ナノ兵器のカートリッジそのものがクルクル回転している図を見せられると、この作品自体の「B級」具合が「確信犯」であることが分かる^^;

 主人公デュークは、悪の組織コブラの女幹部バロネスの元恋人なのだが、その悪女然とした恋人が、最期の最後で、やはり主人公を見捨てられないという展開は、私には好感が持てた。

 また、パリのパートで、逃亡するバロネスが、逃げ込んだ先のエレベーターで居合わせた女の靴を見て、「あら、いいの履いてるじゃない」と言うシーンがあるが、こういった一言で、私は途端に、その役の性格が垣間見られ、思い入れが深くなってしまう。

 いいセリフだったと思う。

 そこから、私は、やや薹が立った印象のバロネスが魅力的に見えてしょうがなかった。

   ◇

 それから、イ・ビョンホンのファンに朗報!

 ストームシャドーは、因縁の対決でスネークアイズに仕留められたが、死体があがっていないので、多分、続篇に復活して出てくるので安心してくれ^^;

                                  (2009/08/09)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[よりぬきフィジーさん 《Fiji冒険記③「ロボニ村」》]

2009-08-09 10:11:05 | 海の向こうでの冒険
☆・・・先ずは、こちらを今一度お読みください^^{クリック!)

          [よりぬきフィジーさん 《Fiji冒険記①》]

          [よりぬきフィジーさん 《Fiji冒険記②》]


 なお、この旅の後、ニュージーランドのクライストチャーチを舞台に、エリオット君との激闘(クリック!)が始まるのでした。

   ◇

   ●第二章『グリーン・ラビリンス・承前(ジャングル迷路)』
       (1992/6/17 快晴 オバラウ島[レブカ→ロボニ村]→ナウソリ→スバ)

『くっそーっ! まだ着かないのかよお!』

 怒鳴った時、彼方まで続く林の間に小屋が見えたので、進む。

 小屋、と言うか家屋の姿は増えていった。

           【ロ ボ ニ 村、 だ っ た。】

          

 とあるおばさんと目が合い、『シャワーを浴びたいんだけど』と言うと、村の中心に立っている水道の蛇口を示してくれた。

 僕はそこでジーパンを脱ぎ、シューズ、靴下を手洗いした。

 パンツ姿の僕に、村の、旦那の留守を守るおばさん連中が『ワオ~ッ^^!』と声をあげる。

 とりあえず、最初に目が合ったおばさん・VITINIAさんの家に入れてもらい、くつろぐ。

『水を一杯ください』と言うと、ビチニアさんはバケツに汲み置きしておいた水をグラスにすくってくれた。

『子供は何人ですか?』と僕は問う。

 ビチニアさんは『4人、女の子が3人で男の子が1人』と答え、『本当は2人くらいがベターなんだけどね』と付け加えた。

 僕は、親切のお礼に、和紙と、子供の数だけ箸をプレゼントした。

 そして、しばし、隣りの家のおばさんを交え、色々と話した。

 僕は、昨日と今日とで、一気に英語力が上がったぞ^^

『結婚してるの?』と聞いてきた。

『いいえ』と答える。

『ガールフレンドは?』と聞いてくる。

『まあ、ボチボチ・・・』と答えると、『写真持ってる?』。

 僕が持っている写真と言えば、マロン・グラッセちゃん(仮名)のものしかない。

 とりあえず、それを見せる。

 二人ともジッとそれを見つめる。

『可愛いでしょ?』と僕が言うと、二人とも本当に温かな瞳をした。

「カサバ」と言う、フィジーのイモの料理をごちそうになった。

 けしてうまいものじゃないが食べられた。

 淹れてくれた紅茶の温かさも疲れた体には効く。

『ところで、子供たちは?』と問うと、『今は学校に行ってる』とのこと。

 ビチニアさんは『パブリック(公立)なんだ!』とちょっと誇らしげに言った。

 おそらく、公立に行く方が難しいのだろう・・・。

 昨日見た、灰色の制服か真っ青な制服、そのどちらかが「公立」なのだろう。

 フィジアンの言葉は、日本語に似ているところがある。

 例えば、語尾に『~~ね』と念を押すようなのである。

 また、人を呼ぶ時、『おい! おい!』と言うのである。

 いちお、大学で言語学を学んでる身としては、そう言う点なんかも気にかかる^^

 その時、子供たちが学校から帰ってきた。

 どこの子供も、僕を見て近寄ってきた。

 みんな、モジャモジャ髪、クリクリの瞳、とても可愛い。

 僕は子供たちと写真を撮りたくなった。

『みんな、おいで、一緒に写真に映ろう^^』と言ったら、15人以上の子供がドワーッとビチニアさんの家に入ってきた。

 パチリと映す。

          

 ビチニアさんが、僕に「スル」と言うフィジアン風腰巻を持ってきてくれた。

 大きなフロシキみたいなものを体に巻くだけなのだが、なかなか似合っているのではないかと思う。

 子供たちは『ギャハギャハ』笑っているが、僕としては、『アラビアのロレンス』がアラブの民族衣装を着たときのようないい気分だった^^;

 子供たちは、僕の前に座り、僕に何かを期待する。

 純粋な子供の期待には沿いたいものである。

 リュックサックを探ると、『折り紙(しかも金色)』の束が見つかった。

 子供たちの瞳が金色に輝く(反射して^^)。

 先ず、みんなに一枚づつ配った。

 この時、ちょっとしたパニックが起こった。

 乱暴に差し出される手・手・手!

 それはあたかも日本の終戦直後、アメリカ兵にチョコレートをねだる少年少女の如くだった。

 フィジアンは優しいが、プライドは高い。

 <ボロは着てても心は錦>!

 そんな子供たちの光景を見たビチニアさん及び向かいの家の「鬼のような顔のお母さん」が、子どもたちに怒った怒った!

 ヒエエ~ッ! 僕はやばいことをしてしまったような気がした。

 ・・・しかし、すぐに気を取り直した(立ち直りの早さはポプリちゃん直伝!^^;)。

 そして、ただ恵んだだけではないことを示す為に、折り紙をたくさん折ってやった。

「鶴」「やっこさん」「たこ」「ぶた」「手裏剣」「蛾」「くじら」「風船」・・・、難しいものを折るときは間が出来て、みんな退屈だろうハズなのに、じっと僕を見つめてる。

 僕の足に恐る恐る触れてきたりする。

 終いには可愛らしく首をすり寄せてくる子もいた。

 大勢いたので、それぞれの名前は覚えられなかったが「アリエタ」と言う、ビチニアさんの6才の子供だけかろうじて名前を覚えた。

 みんな生き生きしている。

 僕は言った。

『もしかしたら、僕は先生になるかも知れない。(蘭注・常連閲覧者の方は信じられないかも知れないが、私は大学で教職科目を取っていて、休まず受講してました! この後年、私は教育実習も行なうのでした・・・^^;) そしたら、君たちみたいな熱心な生徒のクラスの先生になりたいものです・・・』

 しかし、ニュージーランドで私にスパルタで英語を叩き込んでいたアキラさんが以前に言った。

『教師で、まず一番に大切なことは、生徒の名前をいかに早く覚えるかなんだ』^^;;;

 午後二時、僕はビチニアさんの家を後にした。

 村外れまで4人の子供が案内してくれた。

 僕の心にはしこりがあった。

 家族の写真を見せたのだが、その時、おそらく、僕が写真を取り出した手帳の間の20$札の束をビチニアさんは見てしまったようなのだ。

 もちろん、彼女は、それを盗るなどと言う気はないのだが、『日本の金持ちのドラ息子が道楽でここに来るんじゃあないわよ』に似たような気持ちが起こってしまったようなのだ。

 懸命に取り繕ったが、修復は難しいようだった。

『Thank you very much! I will come back here together my wife someday』

 と、いつもの文法メチャクチャの英語で言うのがやっとだった。

 僕が村から去っても、遠くから『バイバーイ!』と叫ぶ声がいつまでも聞こえた。

 僕はもはや振り返らず、出来るだけ大きく手を振った。

 さて、気を取り直してナイビテイテイ空港へ。

 思えば、ポプリちゃんだ(私は、このフィジーでのバカンスを終えたら、ニュージーランドに戻るのだが、彼女は、日本に帰るのだ)。

 彼女は、ニュージーランドのオークランド空港で友人達と涙の別れをした。

 しかし、その瞳は十分後には乾いていた。

 そして、しばらく無表情になり、更に少ししてから言った。

『よしっ! スッキリした!』

 そんなポプリちゃんの姿を見て、私は、『・・・さすがは、俺の親友だ・・・』と思ったものだ。

 この心の<切り替え>、僕などは見習わなくてはならない。

 これはスポーツ界における<スイッチング・ウィンバック>と呼ばれている精神切り替え法と似ている。

 スポーツ選手などは直前に犯した失敗をくよくよ悩んでなどいられない。

 ボールはすぐに飛んでくる。

 かくして、何かを<きっかけ>にして立ち直らなくてはならない。

 例えば、テニス選手ならラケットを替えてみる、など。

 一流になればなるほど、その<切り換え>を迅速かつ容易に行なう。

 ポプリの野郎も、そう言った意味では一流か・・・^^;

 「涙」を<きっかけ>として立ち直るのだ。

 ともあれ、<悩み>なんてものは、一通り考えを巡らせれば後は同じことの堂々巡り、早く立ち直るにこしたことはない。

 悩みが人を成長させることはなく、悩みを克服するところに人間の成長はあるのだ。

 ポプリの野郎は、そのエッセンスだけを吸収し、大きく成長して行く。

 何故なら、彼女は、かつてオーストラリアで一年間生活し、そこを去るときには、帰りの機上、ずっと泣きっぱなしだったのだ。

 恐るべしポプリ! 成長していくライバルと言えよう。

   ◇

 これは、17年前の文章なので、私の今の感覚だと、ちょっと納得できない理屈を連ねていますね^^;

「悩みが人を成長させることはなく、悩みを克服するところに人間の成長はあるのだ」なんて、今の私には疑問が起こる。

 繰り返し悩むことで、心が磨かれるのだと思うのだ。

                                (2009/08/09)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする