☆この作品については、新宿ジョイシネマの閉館の時(クリック!)、館内でチラシを見て、「『ライフ・イズ・ビューティフル』みたいな作品かな? 近くでやったら見よう」程度の認識であった。
しかし、多くの映評ブロガーの感想を読むと、「強烈な結末」とある。
「ならば」と重い腰を上げて、新宿の<角川シネマ新宿>に赴いた(ここも昔は、「新宿ビレッジ」だったと思う)。
だから、私は、この物語の結末を知ってて見たのだ。
本来の、この作品の見方とは異なるのだろうが、だからこそ、私には、この作品の脚本の「巧みさ」が見て取れた。
・・・私は、この作品を『禁じられた遊び』の現代版だと思ったし、『パンズ・ラビリンス』と対になる物語とも思った。
◇
物語は、ナチス政権下のベルリンで、友人たちと戦争遊戯に明け暮れる8歳の少年ブルーノの日常から始まる。
軍の幹部である父親の勤務先異動に伴い、ブルーノの家族は、田舎の豪邸に引っ越す。
しかし、親の仕事が機密らしく、ブルーノと母、姉グレーテルは外出もままならず、やや退屈な生活を送る。
ブルーノは、窓から遠方を眺める。
・・・と、彼方の農場で多くの人が働いている。
自分と同じくらいの歳の子もいるようだ。
ブルーノは遊びに行きたいと思う。
しかし、おかしいのである。
みんな、「パジャマ」を着ているのである。
◇
結論から言うと、そこは「ユダヤ人の強制収用所」で、ブルーノの父親は、そこの所長として、多くの罪なきユダヤ人をガス室に送る責任者だったのだ。
だが、そんなことを知らないブルーノは、「探検家」を目指すような、持ち前の好奇心で、収容所の金網に向かい、ユダヤ人の少年シュムールと知り合う。
◇
で、結論を知っている私であったが、それでも、淡々と話が進んで、最後に悲劇的な結末に至るのだろうと思っていたら、結論を知っているからかも知れないが、最初からガンガン話がハイテンションで進んでいく様に驚いた。
先ず、ベルリンでの、ブルーノ家族の壮行会があるのだが、そこでのブルーノの父親への、その母親の言葉があった。
この言葉の意味が「どちら(良いのか、悪いのか)」に取ればいいのか、私には分からなかったのだが、それは後半になって分かる。
父親も、家族の前では、至って良き父親で、この父親を見ている私たちは「どちら」に取ればいいのか悩み、それもまた、物語の中盤で分かる(私は『ミュージックボックス』を思い出した)。
◇
ブルーノの視点では、母親の挙動さえも、その、不思議なドイツの片田舎の、隔離された豪邸の中では最初は判別つかない。
母親自身、最初は収容所で行なわれている蛮行を知らず、後から知って、精神に変調をきたす。
ただ、当初は、息子の外界への散歩(最終的に収容所を目の当たりにする)を許可しない認識はある。
故に、それによって、ブルーノの、収容所の金網越しでのシュムールとの逢瀬が、周囲の目を盗んで行なわれているという「物語的な許可」を受けることになり、ご都合主義を回避するのだ。
また、そこでは、常に、「いつバレルか」と言うサスペンス及び、収容所での惨劇を歴史上認知している私たちに、その方向性での恐怖が常に貼りつく事になる。
◇
人形好きの大人しいグレーテルは、厳しい家庭教師や、憧れの父親の部下の影響もあり、国のために尽くす婦女子へと勇ましく変化していく。
その学問上の「合理」は、次第に、どうしようもない「経験」を経て、二律背反の中で自己崩壊をしていく。
◇
自分にけして危害は加えないのだが、家の雑用をしている「パジャマ姿の男」には強烈に怒り狂う父親の部下がいる。
この男、ナチス政権を嫌う父親を持ち、その反作用で、殊更にユダヤ人に厳しくあたる。
それは、具体的に物語では語られないが、そうなのだろうと思わせる材料を、この作品の脚本は提示してくれている。
父親が反ナチスと言う事実は、翻って、ブルーノの父親が、ナチスを恐れる母親を持つ「不敬」とリンクし、物語に深みを加える。
◇
家の雑用をしていた「パジャマ姿の男」は、以前は医者であった。
医者といえば、尊敬に値される仕事をするものである。
それが、ただ、ひたすらに、ドイツ軍人にゴミ屑のように扱われるのである。
私は、この「元医者のユダヤ人」の存在が、一番心苦しかった。
最近、私の職場の現場に、なかなかの経歴の持ち主がバイトとして入ってくるのだが、それが、現場のバカな野郎たちにボロクソ言われるのである。
それを思い出して、辛かった。
私は、もしかして、自分が左翼的(純粋な意味での)だなあと思うのが、そんな状況に怒りを感じてしまうからである。
こんな「システム」は滅びてしまえと思ってしまうのだ。
◇
そして、そんな家族模様を、ただ心配深げに見つめるメイドがいる。
全ての登場人物が、主観的にも、物語上での客観においても、猜疑心国家としてのファシズム政権下を如実に体現していた。
その中で、ブルーノだけは純真で、「禁じられた遊び」に突き進むのである。
◇
これは、探検家の遭難の物語であった。
ブルーノは、探検家であった。
その志半ばで遭難してしまったのだ。
そして、ブルーノの人生については申し訳ないが、その父親の蛮行に罰を与えるとしたら、その愛息の死しかあり得なかったであろう。
(2009/08/15)
しかし、多くの映評ブロガーの感想を読むと、「強烈な結末」とある。
「ならば」と重い腰を上げて、新宿の<角川シネマ新宿>に赴いた(ここも昔は、「新宿ビレッジ」だったと思う)。
だから、私は、この物語の結末を知ってて見たのだ。
本来の、この作品の見方とは異なるのだろうが、だからこそ、私には、この作品の脚本の「巧みさ」が見て取れた。
・・・私は、この作品を『禁じられた遊び』の現代版だと思ったし、『パンズ・ラビリンス』と対になる物語とも思った。
◇
物語は、ナチス政権下のベルリンで、友人たちと戦争遊戯に明け暮れる8歳の少年ブルーノの日常から始まる。
軍の幹部である父親の勤務先異動に伴い、ブルーノの家族は、田舎の豪邸に引っ越す。
しかし、親の仕事が機密らしく、ブルーノと母、姉グレーテルは外出もままならず、やや退屈な生活を送る。
ブルーノは、窓から遠方を眺める。
・・・と、彼方の農場で多くの人が働いている。
自分と同じくらいの歳の子もいるようだ。
ブルーノは遊びに行きたいと思う。
しかし、おかしいのである。
みんな、「パジャマ」を着ているのである。
◇
結論から言うと、そこは「ユダヤ人の強制収用所」で、ブルーノの父親は、そこの所長として、多くの罪なきユダヤ人をガス室に送る責任者だったのだ。
だが、そんなことを知らないブルーノは、「探検家」を目指すような、持ち前の好奇心で、収容所の金網に向かい、ユダヤ人の少年シュムールと知り合う。
◇
で、結論を知っている私であったが、それでも、淡々と話が進んで、最後に悲劇的な結末に至るのだろうと思っていたら、結論を知っているからかも知れないが、最初からガンガン話がハイテンションで進んでいく様に驚いた。
先ず、ベルリンでの、ブルーノ家族の壮行会があるのだが、そこでのブルーノの父親への、その母親の言葉があった。
この言葉の意味が「どちら(良いのか、悪いのか)」に取ればいいのか、私には分からなかったのだが、それは後半になって分かる。
父親も、家族の前では、至って良き父親で、この父親を見ている私たちは「どちら」に取ればいいのか悩み、それもまた、物語の中盤で分かる(私は『ミュージックボックス』を思い出した)。
◇
ブルーノの視点では、母親の挙動さえも、その、不思議なドイツの片田舎の、隔離された豪邸の中では最初は判別つかない。
母親自身、最初は収容所で行なわれている蛮行を知らず、後から知って、精神に変調をきたす。
ただ、当初は、息子の外界への散歩(最終的に収容所を目の当たりにする)を許可しない認識はある。
故に、それによって、ブルーノの、収容所の金網越しでのシュムールとの逢瀬が、周囲の目を盗んで行なわれているという「物語的な許可」を受けることになり、ご都合主義を回避するのだ。
また、そこでは、常に、「いつバレルか」と言うサスペンス及び、収容所での惨劇を歴史上認知している私たちに、その方向性での恐怖が常に貼りつく事になる。
◇
人形好きの大人しいグレーテルは、厳しい家庭教師や、憧れの父親の部下の影響もあり、国のために尽くす婦女子へと勇ましく変化していく。
その学問上の「合理」は、次第に、どうしようもない「経験」を経て、二律背反の中で自己崩壊をしていく。
◇
自分にけして危害は加えないのだが、家の雑用をしている「パジャマ姿の男」には強烈に怒り狂う父親の部下がいる。
この男、ナチス政権を嫌う父親を持ち、その反作用で、殊更にユダヤ人に厳しくあたる。
それは、具体的に物語では語られないが、そうなのだろうと思わせる材料を、この作品の脚本は提示してくれている。
父親が反ナチスと言う事実は、翻って、ブルーノの父親が、ナチスを恐れる母親を持つ「不敬」とリンクし、物語に深みを加える。
◇
家の雑用をしていた「パジャマ姿の男」は、以前は医者であった。
医者といえば、尊敬に値される仕事をするものである。
それが、ただ、ひたすらに、ドイツ軍人にゴミ屑のように扱われるのである。
私は、この「元医者のユダヤ人」の存在が、一番心苦しかった。
最近、私の職場の現場に、なかなかの経歴の持ち主がバイトとして入ってくるのだが、それが、現場のバカな野郎たちにボロクソ言われるのである。
それを思い出して、辛かった。
私は、もしかして、自分が左翼的(純粋な意味での)だなあと思うのが、そんな状況に怒りを感じてしまうからである。
こんな「システム」は滅びてしまえと思ってしまうのだ。
◇
そして、そんな家族模様を、ただ心配深げに見つめるメイドがいる。
全ての登場人物が、主観的にも、物語上での客観においても、猜疑心国家としてのファシズム政権下を如実に体現していた。
その中で、ブルーノだけは純真で、「禁じられた遊び」に突き進むのである。
◇
これは、探検家の遭難の物語であった。
ブルーノは、探検家であった。
その志半ばで遭難してしまったのだ。
そして、ブルーノの人生については申し訳ないが、その父親の蛮行に罰を与えるとしたら、その愛息の死しかあり得なかったであろう。
(2009/08/15)