『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『縞模様のパジャマの少年』を観た]

2009-08-15 22:22:19 | 物語の感想
☆この作品については、新宿ジョイシネマの閉館の時(クリック!)、館内でチラシを見て、「『ライフ・イズ・ビューティフル』みたいな作品かな? 近くでやったら見よう」程度の認識であった。

 しかし、多くの映評ブロガーの感想を読むと、「強烈な結末」とある。

「ならば」と重い腰を上げて、新宿の<角川シネマ新宿>に赴いた(ここも昔は、「新宿ビレッジ」だったと思う)。

 だから、私は、この物語の結末を知ってて見たのだ。

 本来の、この作品の見方とは異なるのだろうが、だからこそ、私には、この作品の脚本の「巧みさ」が見て取れた。

 ・・・私は、この作品を『禁じられた遊び』の現代版だと思ったし、『パンズ・ラビリンス』と対になる物語とも思った。

   ◇

 物語は、ナチス政権下のベルリンで、友人たちと戦争遊戯に明け暮れる8歳の少年ブルーノの日常から始まる。

 軍の幹部である父親の勤務先異動に伴い、ブルーノの家族は、田舎の豪邸に引っ越す。

 しかし、親の仕事が機密らしく、ブルーノと母、姉グレーテルは外出もままならず、やや退屈な生活を送る。

 ブルーノは、窓から遠方を眺める。

 ・・・と、彼方の農場で多くの人が働いている。

 自分と同じくらいの歳の子もいるようだ。

 ブルーノは遊びに行きたいと思う。

 しかし、おかしいのである。

 みんな、「パジャマ」を着ているのである。

   ◇

 結論から言うと、そこは「ユダヤ人の強制収用所」で、ブルーノの父親は、そこの所長として、多くの罪なきユダヤ人をガス室に送る責任者だったのだ。

 だが、そんなことを知らないブルーノは、「探検家」を目指すような、持ち前の好奇心で、収容所の金網に向かい、ユダヤ人の少年シュムールと知り合う。

   ◇

 で、結論を知っている私であったが、それでも、淡々と話が進んで、最後に悲劇的な結末に至るのだろうと思っていたら、結論を知っているからかも知れないが、最初からガンガン話がハイテンションで進んでいく様に驚いた。

 先ず、ベルリンでの、ブルーノ家族の壮行会があるのだが、そこでのブルーノの父親への、その母親の言葉があった。

 この言葉の意味が「どちら(良いのか、悪いのか)」に取ればいいのか、私には分からなかったのだが、それは後半になって分かる。

 父親も、家族の前では、至って良き父親で、この父親を見ている私たちは「どちら」に取ればいいのか悩み、それもまた、物語の中盤で分かる(私は『ミュージックボックス』を思い出した)。

   ◇

 ブルーノの視点では、母親の挙動さえも、その、不思議なドイツの片田舎の、隔離された豪邸の中では最初は判別つかない。

 母親自身、最初は収容所で行なわれている蛮行を知らず、後から知って、精神に変調をきたす。

 ただ、当初は、息子の外界への散歩(最終的に収容所を目の当たりにする)を許可しない認識はある。

 故に、それによって、ブルーノの、収容所の金網越しでのシュムールとの逢瀬が、周囲の目を盗んで行なわれているという「物語的な許可」を受けることになり、ご都合主義を回避するのだ。

 また、そこでは、常に、「いつバレルか」と言うサスペンス及び、収容所での惨劇を歴史上認知している私たちに、その方向性での恐怖が常に貼りつく事になる。

   ◇

 人形好きの大人しいグレーテルは、厳しい家庭教師や、憧れの父親の部下の影響もあり、国のために尽くす婦女子へと勇ましく変化していく。

 その学問上の「合理」は、次第に、どうしようもない「経験」を経て、二律背反の中で自己崩壊をしていく。

   ◇

 自分にけして危害は加えないのだが、家の雑用をしている「パジャマ姿の男」には強烈に怒り狂う父親の部下がいる。

 この男、ナチス政権を嫌う父親を持ち、その反作用で、殊更にユダヤ人に厳しくあたる。

 それは、具体的に物語では語られないが、そうなのだろうと思わせる材料を、この作品の脚本は提示してくれている。

 父親が反ナチスと言う事実は、翻って、ブルーノの父親が、ナチスを恐れる母親を持つ「不敬」とリンクし、物語に深みを加える。

   ◇

 家の雑用をしていた「パジャマ姿の男」は、以前は医者であった。

 医者といえば、尊敬に値される仕事をするものである。

 それが、ただ、ひたすらに、ドイツ軍人にゴミ屑のように扱われるのである。

 私は、この「元医者のユダヤ人」の存在が、一番心苦しかった。

 最近、私の職場の現場に、なかなかの経歴の持ち主がバイトとして入ってくるのだが、それが、現場のバカな野郎たちにボロクソ言われるのである。

 それを思い出して、辛かった。

 私は、もしかして、自分が左翼的(純粋な意味での)だなあと思うのが、そんな状況に怒りを感じてしまうからである。

 こんな「システム」は滅びてしまえと思ってしまうのだ。

   ◇

 そして、そんな家族模様を、ただ心配深げに見つめるメイドがいる。

 全ての登場人物が、主観的にも、物語上での客観においても、猜疑心国家としてのファシズム政権下を如実に体現していた。

 その中で、ブルーノだけは純真で、「禁じられた遊び」に突き進むのである。

   ◇

 これは、探検家の遭難の物語であった。

 ブルーノは、探検家であった。

 その志半ばで遭難してしまったのだ。

 そして、ブルーノの人生については申し訳ないが、その父親の蛮行に罰を与えるとしたら、その愛息の死しかあり得なかったであろう。

                                   (2009/08/15)
コメント (7)
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[終戦の日・靖国神社]

2009-08-15 21:02:34 | 保守の一考
   麻生、鳩山両氏は靖国参拝せず…閣僚は1人(読売新聞) - goo ニュース

☆靖国神社に参拝してきました。

 「国家」と言うものは、一部の例外を除き、国のために命を尽くしてくれた国民への感謝を、常に第一義とする。

 そして、その追悼は、必ず、いかなる国でも、何らかの宗教儀礼の形態をとる。

 民主党が党是として主張する「無宗教の戦没者追悼施設」などと言うものは、世界に存在しないのである。

 例外はある。

 無神論を根底に持つ共産主義である。

 共産主義の国では、命に対しての頓着がない。

 故に、大虐殺が平気で起こる・・・。

 また、本日、映画『縞模様のパジャマの少年』(クリック!)を観てきたが、この作品では、共産主義ではないが、ナチスがユダヤ人を虐殺する様が描かれる。

 ユダヤの少年が言う。

「僕のおばあちゃんは葬式もしてもらえなかった。できなかった」

 ・・・そういうことである・・・。

    ◇

 九段下駅は、例年にも増して混雑していた。

 私が通い始めてから、こんなに参拝客が多いことはなかった。

 人々は、何らかの危機感を感じているのか?

 駅を出ると、青空に雲が沸き立っていた。

 暑い。

 歩道には、各種団体のビラ配りが待機し、参拝者にビラを渡している。

 中国共産党に虐殺され続けているチベット、モンゴル、ウイグル(東トルキスタン)、侵略されつつある台湾、また、全世界の法輪功信者たちが、

 鷹揚なるかな強靭さを持つ「日本国」の、その八百万の神に集う者たちに助けを求めている。

 更に、民主党政権を恐れる団体の必死な主張も見られた。

   ◇

   

 とにかく混雑が極まっていて、特に、演台のある架設テントの場所では、参道を通り抜けるのに10分以上かかってしまった。

 御手水舎では、口をゆすぐ時に、柄杓の水を一旦手のひらで受けてから、口に持っていくのだが、一緒に行ったおなごは、柄杓の水をそのまま口に持っていってた^^;

 女なので許してね^^;

   ◇

   

 それからが長かった。

 こんなに混雑する参拝は初めてだ。

 拝殿までに小一時間かかった。

 私たちは、ビラを頭に乗せて日光を遮断した。

 事故防止と、通行客を通らせるために、参拝客をロープで区切っていたのだが、私の前に親子で並んでいた「小学一年生のマキちゃん(話を聞くともなしに聞いていて分かった^^;)」が、

   「縄があるけど、縄跳びでもするのかなあ・・・^^」

 と呟いたのが微笑ましく、「一服の清涼剤」であった^^

 それから、このロープ区切りの前で、右翼の団体が横入りしたのが、私は非常にムカついた。

 また、靖国の景観を無視する大学の高層ビルが、右手前方にある。

「あれはワタスの母校です」

 と、私が言うと、連れは驚いていた^^;

   ◇

   

 参拝する。

 私が祈るのは、私のブログ「わかりやすい戦争」(クリック!)の進行が遅々として進まないことへの謝罪と、これからの日本国を見守って下さいとのお願いである。

   ◇

 参拝を終え、私は、屋台で買ったビールを飲んだ。

 連れは、ラムネと一本キュウリを飲み食いした。

 私もキュウリは一口貰ったが、キュウリを食べると、何とも「河童」になった気分である。

 また、おみやげ物屋では、連れは「女性自衛官QP」を買っていた^^

   ◇

   

 さて、帰宅時、大鳥居脇では、現「つくる会」が公道を占拠し、街宣をしていた。

 もし違ったら過ちを認めるのが面倒なのだが、絶対に、区の許可は受けていまい。

 折りたたみの机を出して、会長自ら認め、文部科学省に訂正許可を申請している欠陥教科書の在庫売り尽くしを行なっていた。

 もはや、保守の教科書でさえないのに、靖国神社境内から放逐されてなお、保守面して何かを訴えている不思議な風景を見たような気がした。

 なお、今回の教科書の不手際の全責任をおっ被らされたと言われる元「つくる会」東京支部長の「ハゲ松」もいましたよ^^;

 ともあれ、新たな「左翼教科書」の誕生の原因を「ハゲ松」に取らせ、それで保守派としての禊を済ませたと考えるのが藤岡信勝のシナリオか・・・?

 ヤクザの「身代わり出頭」みたいなものだ。

 それにしては、問題発覚からの「出所」が早いようで^^;(実は来ていないとの報告あり、すいません^^;)

 ・・・思えば、2001年の「つくる会」シンポジウムは、小林よしのりのおかげで大盛況だった。

 しかし、その公会堂の各所から、小林よしのりにヤジが飛んだ。

 暗がりの中から、場所を移動しつつ、小林にヤジを飛ばしていたのが、この「ハゲ松」であった・・・。

 悪夢のような現「つくる会」の、その暗部「東京支部」、更にその漆黒の中で暗躍していたのが、頭は明るい「ハゲ松」であった。

                                   (2009/08/15)
コメント (4)
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