☆遅ればせながら観に行った。
公開から結構な日数が経っているので、ネット上でのレビューも出揃っている。
だから、私がどうしても書いておきたいことだけを記す。
ちなみに、「3D版」での鑑賞ではない。
◇
自分が本当の「スーパードッグ」と信じ込んでいるテレビ番組のヒーロー犬ボルトが、物語上での、自分の飼い主である少女ペニーの危機を錯覚し、スタジオを抜け出して、アメリカを旅し、本当の自分を知っていくという物語。
冒頭の作中作のヒーロー振りが際立っているので、実際のボルトのピエロ状況はかなり哀しい。
飼い主役のペニーも、ボルトをだまし続けなければならない。
でも、役者であるペニーは、スタジオ内に隔離されているボルトとずっと一緒にはいられない。
背後のスタッフからのコールがあると、出て行かなくてはならない。
ボルトは、「また出かけちゃうの?」と甘えたい寂しさを募らせる。
この、ボルトを愛しつつも、ボルトに隠し事をしなくてはならないペニーの心中を察すると、なんか、愛人関係とか浮気とかの状況を思い出して酷く厭だった。
このペニーは、物語を通し、かなり、その幼い心に「矛盾」と言う負荷を加えられ続ける。
例えば、後の、ボルト失踪後、番組継続のために、好きでもないボルトの替え玉と、文字通りの「演技」をしなければならない。
そんなシーンをボルトは見せつけられ、それも可哀想なのだが、子供なのに、大人の事情で、心にもない演技を強要されるペニーもまた可哀想なのだ。
まあ、苦悩をし続けなければならないのも美少女の宿命である。
少女について書く時、いつも書いているような気がするが、ペニーの、その華奢な体の描写は実にいい。
縞々のロングソックスに包まれたカモシカのような足なんて、最高だ!
◇
ボルトは、外界に出て、二人の仲間と知り合う。
女王的な気質の猫ミトンと、天然ボケのハムスター・ライノだ。
面白いなと思ったのが、ボルトの本当の状況について、その二匹とも分かっていないということだ。
ノラ猫のミトンは、「自分の事をスーパードッグと思っているイカレた犬」と言う認識をボルトに対し持っていて、
ライノは、テレビ同様のスーパードッグだとボルトのことを思っている。
不思議な誤解をしつつ、旅は続き、最終的に事情を知ったミトンがボルトのおかしい言動の理由に気付くのと、ボルトが外界での自分の無力を知るのが同時なのだが、ミトンは保健所に囚われの身に・・・。
失意のボルトだが、ボルトを「スーパードッグ」と信じきっているライノに励まされ、ミトン奪回に向かう。
保健所の個室の中で、哀しげな表情で、諦観の面持ちのミトンが哀しい。
そして、思いがけず、ボルトの助けが来て目を輝かせる。
・・・ミトンは、そもそも、「自分は飼い猫だったけど、自由になりたくて飼い家を飛び出した」と言っていた。
だが、保健所の個室での表情の諦観は、彼女にもっと暗い過去があることを暗示してくれる。
◇
自分が普通の犬でしかなかったことを知ったボルトは、ミトンに「普通の犬の生き方」を教わりつつ、アメリカ横断の旅を続ける。
色んな土地の季節を、トリオで身を寄せ合って旅する。
そして、ミトンは、ボルトと心が通い合ったことを確信し、残飯も豊富なラスベガスで定住しようと提案する。
そのミトンの性格、他者を信じないように生きてきたにもかかわらずの、ボルトとライノを信頼するに至った心の変化を察すると、やはり哀しい。
だが、その信頼も、ボルトの信念(ペニーとの再会)の前には崩される。
「本当は私、前の飼い主の引越しの時に置き去りにされたのよ。ペニーもそうに違いないわ!」
と、自分の語りたくない過去を語ってまでボルトを引き戻そうとするが、彼の信念は変えられない。
「勝手にすれば! 出ていって!」と言うしかない。
物語はこの後、クライマックスを迎え、大団円に至るが、話は所々で大人の世界の暗喩に満ちていて、とても楽しませて頂きました^^
(2009/08/11)
公開から結構な日数が経っているので、ネット上でのレビューも出揃っている。
だから、私がどうしても書いておきたいことだけを記す。
ちなみに、「3D版」での鑑賞ではない。
◇
自分が本当の「スーパードッグ」と信じ込んでいるテレビ番組のヒーロー犬ボルトが、物語上での、自分の飼い主である少女ペニーの危機を錯覚し、スタジオを抜け出して、アメリカを旅し、本当の自分を知っていくという物語。
冒頭の作中作のヒーロー振りが際立っているので、実際のボルトのピエロ状況はかなり哀しい。
飼い主役のペニーも、ボルトをだまし続けなければならない。
でも、役者であるペニーは、スタジオ内に隔離されているボルトとずっと一緒にはいられない。
背後のスタッフからのコールがあると、出て行かなくてはならない。
ボルトは、「また出かけちゃうの?」と甘えたい寂しさを募らせる。
この、ボルトを愛しつつも、ボルトに隠し事をしなくてはならないペニーの心中を察すると、なんか、愛人関係とか浮気とかの状況を思い出して酷く厭だった。
このペニーは、物語を通し、かなり、その幼い心に「矛盾」と言う負荷を加えられ続ける。
例えば、後の、ボルト失踪後、番組継続のために、好きでもないボルトの替え玉と、文字通りの「演技」をしなければならない。
そんなシーンをボルトは見せつけられ、それも可哀想なのだが、子供なのに、大人の事情で、心にもない演技を強要されるペニーもまた可哀想なのだ。
まあ、苦悩をし続けなければならないのも美少女の宿命である。
少女について書く時、いつも書いているような気がするが、ペニーの、その華奢な体の描写は実にいい。
縞々のロングソックスに包まれたカモシカのような足なんて、最高だ!
◇
ボルトは、外界に出て、二人の仲間と知り合う。
女王的な気質の猫ミトンと、天然ボケのハムスター・ライノだ。
面白いなと思ったのが、ボルトの本当の状況について、その二匹とも分かっていないということだ。
ノラ猫のミトンは、「自分の事をスーパードッグと思っているイカレた犬」と言う認識をボルトに対し持っていて、
ライノは、テレビ同様のスーパードッグだとボルトのことを思っている。
不思議な誤解をしつつ、旅は続き、最終的に事情を知ったミトンがボルトのおかしい言動の理由に気付くのと、ボルトが外界での自分の無力を知るのが同時なのだが、ミトンは保健所に囚われの身に・・・。
失意のボルトだが、ボルトを「スーパードッグ」と信じきっているライノに励まされ、ミトン奪回に向かう。
保健所の個室の中で、哀しげな表情で、諦観の面持ちのミトンが哀しい。
そして、思いがけず、ボルトの助けが来て目を輝かせる。
・・・ミトンは、そもそも、「自分は飼い猫だったけど、自由になりたくて飼い家を飛び出した」と言っていた。
だが、保健所の個室での表情の諦観は、彼女にもっと暗い過去があることを暗示してくれる。
◇
自分が普通の犬でしかなかったことを知ったボルトは、ミトンに「普通の犬の生き方」を教わりつつ、アメリカ横断の旅を続ける。
色んな土地の季節を、トリオで身を寄せ合って旅する。
そして、ミトンは、ボルトと心が通い合ったことを確信し、残飯も豊富なラスベガスで定住しようと提案する。
そのミトンの性格、他者を信じないように生きてきたにもかかわらずの、ボルトとライノを信頼するに至った心の変化を察すると、やはり哀しい。
だが、その信頼も、ボルトの信念(ペニーとの再会)の前には崩される。
「本当は私、前の飼い主の引越しの時に置き去りにされたのよ。ペニーもそうに違いないわ!」
と、自分の語りたくない過去を語ってまでボルトを引き戻そうとするが、彼の信念は変えられない。
「勝手にすれば! 出ていって!」と言うしかない。
物語はこの後、クライマックスを迎え、大団円に至るが、話は所々で大人の世界の暗喩に満ちていて、とても楽しませて頂きました^^
(2009/08/11)