『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『ホッタラケの島:遥と魔法の鏡』を観た]

2009-08-18 23:47:36 | 物語の感想
☆試写会が当たった方から誘われて行ってきました。

 このようなCGバリバリの日本製アニメは初めてなので、ちょいと、その出来に心配しながら、会場となる、新宿の安田生命ホールへ。

 主人公ハルカは、私好みの「トキメキ短髪元気美少女、負けず嫌いの少年系」っぽくて、その点で楽しみ^^

 でも、日本製のCG美少女って、このタイプ多いよね(例:「伊達杏子 DK-96」)。

 また、そのハルカを、綾瀬はるかが声をあてているのも、私を惹きつけるってものだ^^

 さて!

   ◇

 最初に、「フジテレビ開局50周年記念作品」という、月桂の葉をモチーフにしたようなロゴが出てきたので、

 私は思わず「アマルフィ…」と呟いたら、回りにいた人たちが思わず爆笑してしまった^^;

 もちろん、つい言ってしまったギャグだが、いい意味でも、悪い意味でも、この作品の手触りは『アマルフィ』的な、テレビドラマ的な大味具合だった。

 ゲームが好きな方ならば、『ファイナルファンタジーⅦ』的な、グランドデザインに欠けた作品と言えば、分かってもらえよう。

   ◇

 物語は、幼い頃に母親を失った女子高生ハルカが、母の形見の手鏡を求めて、失くし物を捜してくれると言う稲荷神社にお参りに行くとこからはじまる。

 その神社には、家でほったらかしになったものを持ち去る狐たちの「ホッタラケ伝説」なんてものがあり、ハルカは、ひょんなことから、そのホッタラケ狐の世界に迷い込んでしまう。

 見るまえに感じた「ジブリ作品」っぽさは全くなく、各キャラクターたちも、それが魅力的か否かは別にして、オリジナリティはあると思った。

 異世界描写も、『千と千尋の神隠し』で描かれた世界のマネなどではなく、

 モノレールみたいな列車や、食料としての茹でたトカゲとかのギミックは、ハルカの相棒となる狐(だよね?)のテオのうまそうな食べ方などなど、なかなかの出来だった。

 色彩に溢れたホッタラケの世界観も悪くない。

 ・・・のだが、しかし、この世界は人間界でほったらかしになった物で作られている・・・、なのに、その具体的な描写が少ないように感じた。

 壁が使用済みテレフォンカードだったり、田舎でよく見る「ハイアース」のホーロー看板風が見えたり、お風呂のヒヨコ玩具、「鳥取砂丘」と記されたペナントがあったりと、挙げていけば、幾らでも遊びの部分があるのだが、それでもホッタラケ世界の構築には絶対数が足りていないと思った。

 ただの「色とりどりの世界」と化してしまっているのだ。

 また、先程、「ハイアース風」と書いたが、全ての実在製品の登録商標が「モドキ」であるのも辛かった。

 ゲーム『ピクミン』などでは、ピクミンがお宝としている人間界のガラクタの中には、実在の、例えばメーカー品の缶詰などを用いたりしていた。

 それをゲーム画面上で使用するにあたって、任天堂は、思ったよりも高い使用料を払ったりしたそうだ。

 「フジテレビ開局50周年記念作品」ならば、スポンサーとの好意的な絡みで、健全な使用が可能だったと思うのだが・・・。

 細かいことを書いているように思われるかも知れないが、作品テーマが、「モッタイナイ」、じゃなくて^^; 「ホッタラケ」であるのだから、見ている者とほったらかされた物のリアルな繋がりは必須だと思うし、

 また、そのような作り手の遊び心が、作品への愛になって完成度を高めると思うのだ。

 正直、この作品の作り手は、例えば、なかなかよく描かれた背景美術の一枚絵の数々に満足し、

 また、テーマ性への整合性にアップアップで、全体的な気配りに欠けていると思った。

   ◇

 主人公ハルカは可愛いが、まだまだ、旧来のCG作品のような記号的な女性像を脱出していない。

 まあ、私などは、あまり大きくない胸や、チェック柄の制服スカートという記号だけで萌えてしまうおバカさんなので良いけんども^^;

 ただ、このハルカは、たまに赤ちゃん人形の「ぽぽちゃん」(クリック!)みたいな不気味な顔になりつつも、それでも主役故に、多くのCG表現上のアクションが用意されている。

 が、この作品の「泣かせ」のポイントである、ハルカの両親のCG表現の貧困さは、作品を語る上での致命的な手抜きだと思う。

 そもそも、ここにおいての、「ホッタラカシになった物」から「ホッタラカシになった人間関係」へのテーマ的な移行は、明らかに経なければいけない描写を欠落させている。

 とりあえず、抑えで泣かせとけ、が見え見えだ。

 いや、俺はいい観客なんで泣きましたよ。

 でも、それは、作劇が優れているかどうかとは別問題だ。

   ◇

 例えば、村のチンピラ三人衆がいるが、こいつらは、ハルカの相棒となるテオを苛める。

 でも、最終的にはハルカを助けようとするテオに手助けするという、映画『ドラえもん』のジャイアンやスネ夫みたいなキャラなのに、その、終盤で「いい人に変じる」と言うキャラの伏線が全くない。

 しかも、最終的な敵キャラである「男爵」の手下が、三人衆そっくりなので、混乱すること甚だしい。

 更に、序盤で、三人衆は、テオが、この世界ではタブーとなる、人間であるハルカと行動していると知って、追い回し、町をメカで破壊しまくるのだが、

 たかだかチンピラに破壊されて黙っている、この町の秩序はどうなってるんだろうと、世界観への疑問が起こってしまう。

   ◇

 「男爵」との最終決戦は、製作の<Production I.G>が頑張ってかなりアクション性の強いシーンになっているが、いかんせん、町も、敵の飛行船も「色とりどり」で区別されていないので、その位置関係が全く見えず、戦いの構図がさっぱり見えない・・・。

 「モッタイナイ」限りだ。

 とりあえず作品を完成させるために、観客の欲求が「ホッタラカシ」だ^^;

   ◇

 ・・・『エヴァ:破』の箱根、『サマーウォーズ』の長野県上田市、この『ホッタラケの島』の入間市と見てきて、昨今の日本アニメは、今回の『ホッタラケの島』の、本編以上の、神社のお稲荷様へのこだわりなど、日本の風土への回帰が感じられる。

 これはいいことか?

 いや、作り手は危機感を感じているのだろう。

 民主党が政権を取ったら、これらの「美徳」は完全に失われるからだ。

                                     (2009/08/18)
コメント (7)
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[【歴史教科書】「つくる会」元東京支部長が追放された理由【八木氏の天皇論】]

2009-08-18 03:17:37 | 保守の一考
☆一昨日、雑誌『SAPIO(「8/19・26」号)』を購入、連載の『ゴーマニズム宣言』を読んで、なんか色んなことに合点がいった。

 「つくる会」の元東京支部長で、それまでの扶桑社版の中学歴史教科書の内容をを八割がたまでコピーし、残りの二割を、あまりにもの左翼的な自虐史観に改悪した自由社教科書編集室長として松本謙一(ハゲ松)がいて、

 だが、その印刷段階で、いきなり、その地位を会長の藤岡信勝に剥奪され、「つくる会」自体から放逐された理由の一端が分かったような気がした・・・。

 最近、大著『天皇論』を上辞した小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』の欄外にこう書かれていた。

 《『天皇論』のシンポをやりたいと「教科書改善委員会(蘭注:日本教育再生機構サイド)」からも「つくる会」からも引き合いがある。両者から組織の言い分を聞かされても、わしはどっちが正しいのかは判定できない、どっちかの組織に加担することはない! ただ『天皇論』に関しては、高森明勅氏の顔を立てる!》

 高森明勅氏は、天皇の女系容認論で一部の保守派にバッシングを受けることはあるが、なかなか魅力的な人物で、

 私は、お世話になっている頑固一徹な保守派の掲示板に乗り込んで、「高森先生ほどの人物であらば、(そんな藪から棒に批判されるには値せず)もっと慎重なもの言いをしていると思いますよ」と言ったことさえある。

 その高森明勅氏だが、「つくる会」に属している。

 つまり、常に「論壇のドル箱スター」の小林よしのり氏は、「つくる会」主催の「天皇論」シンポジウムに登壇するのだろう。

 しかし、小林よしのり氏は、高森明勅氏の顔を立てるつもりなのだろうが、結局は、藤岡信勝に踏みにじられると思う・・・。

 とは言え、「つくる会」側は、小林よしのり氏を迎えるにあたって、その態勢は整えるだろう。

 その一環として、「松本謙一の追放」があった。

 先のエントリー(クリック!)でも書いたが、松本謙一は、8年前に、小林よしのりの「つくる会」脱退に至る直接的加害者であった。

   

 藤岡信勝は、共産主義的思考回路の体現者である。

 目先のことにあっては、長年、自分のために手を汚してくれた功労者であっても、躊躇なく「粛清」するのである。

 こちらも、是非、読んで下さい! クリック!

     <自由社教科書編集室長からの告発メール> (ブログ『藤岡信勝研究』)

   ◇

 さて、小林よしのり氏は今回の『ゴーマニズム宣言』において、控え目であるが、日本教育再生機構の八木秀次理事長の天皇観を批判しているので、ちょいと弁護する。

 先ず、八木秀次氏の、「男系天皇or女系容認」に関する主張についてだが、先ず、八木氏の主張の根幹には「女系云々よりも、もっと考えを巡らすべきことがあるんじゃないか」があると思う。

 似たようなタイトルの論説を書いてもいた。

 私も、女系容認を早々と語る人に対しては、

「つきあいはじめたばっかでラブラブな状態なのに、別れの可能性を第一に語りだす恋人」のような頓珍漢を感じた。

 天皇の男系が途切れるようなことあらば、女系が引き継ぐのもまた「天命」と言えるのは当たり前だ。

 小林よしのり氏は、大原康男氏を評し、『男系「優先」ならばわかる』と言っている。

 八木氏と同じではないか?

 また、田中卓氏が、男系女系論争に頓着がないのも、「優先順位」と「可能性」を考えた時の当然の振る舞いだろう。

 天皇の男系が途切れるようなことあらば、女系が引き継ぐのもまた「天命」と言えるのは当たり前で、語るべくもないからだ。

 そして、八木氏の、天皇の系統を語る上での「XY染色体」の話に対しての、小林よしのり氏の批判(生物学的過ぎて「不敬」とのこと)だが、

 いみじくも、今回の『ゴーマニズム宣言』の最後のコマで、小林氏はこう語っている。

   《・・・左翼やサヨクをこそ、国民として覚醒させなければならない!》

 ・・・正に、それなんですよ。

 その為に、八木氏は、「XY染色体」の話までも、持ち出さなくてはならなかったんですよ。

 八木氏は、とにかく、保守思惟を、名実ともに、日本人の思考様式の中央に位置させるために生きているんだと思います。

 色んなアプローチを模索している。

 保守ってのは、多くのリーダーが、「昔からそうなっているんだから、そうなんだ。つべこべ言うな!」と理不尽なもの言いをする一面があり、それを受ける保守も、それで納得してしまう。

 しかし、相手が左翼の場合には、それなりの方法論が必要なのだと思う。

 小林氏がマンガと言う手法を用いるように、だ。

                                     (2009/08/18)
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