☆試写会が当たった方から誘われて行ってきました。
このようなCGバリバリの日本製アニメは初めてなので、ちょいと、その出来に心配しながら、会場となる、新宿の安田生命ホールへ。
主人公ハルカは、私好みの「トキメキ短髪元気美少女、負けず嫌いの少年系」っぽくて、その点で楽しみ^^
でも、日本製のCG美少女って、このタイプ多いよね(例:「伊達杏子 DK-96」)。
また、そのハルカを、綾瀬はるかが声をあてているのも、私を惹きつけるってものだ^^
さて!
◇
最初に、「フジテレビ開局50周年記念作品」という、月桂の葉をモチーフにしたようなロゴが出てきたので、
私は思わず「アマルフィ…」と呟いたら、回りにいた人たちが思わず爆笑してしまった^^;
もちろん、つい言ってしまったギャグだが、いい意味でも、悪い意味でも、この作品の手触りは『アマルフィ』的な、テレビドラマ的な大味具合だった。
ゲームが好きな方ならば、『ファイナルファンタジーⅦ』的な、グランドデザインに欠けた作品と言えば、分かってもらえよう。
◇
物語は、幼い頃に母親を失った女子高生ハルカが、母の形見の手鏡を求めて、失くし物を捜してくれると言う稲荷神社にお参りに行くとこからはじまる。
その神社には、家でほったらかしになったものを持ち去る狐たちの「ホッタラケ伝説」なんてものがあり、ハルカは、ひょんなことから、そのホッタラケ狐の世界に迷い込んでしまう。
見るまえに感じた「ジブリ作品」っぽさは全くなく、各キャラクターたちも、それが魅力的か否かは別にして、オリジナリティはあると思った。
異世界描写も、『千と千尋の神隠し』で描かれた世界のマネなどではなく、
モノレールみたいな列車や、食料としての茹でたトカゲとかのギミックは、ハルカの相棒となる狐(だよね?)のテオのうまそうな食べ方などなど、なかなかの出来だった。
色彩に溢れたホッタラケの世界観も悪くない。
・・・のだが、しかし、この世界は人間界でほったらかしになった物で作られている・・・、なのに、その具体的な描写が少ないように感じた。
壁が使用済みテレフォンカードだったり、田舎でよく見る「ハイアース」のホーロー看板風が見えたり、お風呂のヒヨコ玩具、「鳥取砂丘」と記されたペナントがあったりと、挙げていけば、幾らでも遊びの部分があるのだが、それでもホッタラケ世界の構築には絶対数が足りていないと思った。
ただの「色とりどりの世界」と化してしまっているのだ。
また、先程、「ハイアース風」と書いたが、全ての実在製品の登録商標が「モドキ」であるのも辛かった。
ゲーム『ピクミン』などでは、ピクミンがお宝としている人間界のガラクタの中には、実在の、例えばメーカー品の缶詰などを用いたりしていた。
それをゲーム画面上で使用するにあたって、任天堂は、思ったよりも高い使用料を払ったりしたそうだ。
「フジテレビ開局50周年記念作品」ならば、スポンサーとの好意的な絡みで、健全な使用が可能だったと思うのだが・・・。
細かいことを書いているように思われるかも知れないが、作品テーマが、「モッタイナイ」、じゃなくて^^; 「ホッタラケ」であるのだから、見ている者とほったらかされた物のリアルな繋がりは必須だと思うし、
また、そのような作り手の遊び心が、作品への愛になって完成度を高めると思うのだ。
正直、この作品の作り手は、例えば、なかなかよく描かれた背景美術の一枚絵の数々に満足し、
また、テーマ性への整合性にアップアップで、全体的な気配りに欠けていると思った。
◇
主人公ハルカは可愛いが、まだまだ、旧来のCG作品のような記号的な女性像を脱出していない。
まあ、私などは、あまり大きくない胸や、チェック柄の制服スカートという記号だけで萌えてしまうおバカさんなので良いけんども^^;
ただ、このハルカは、たまに赤ちゃん人形の「ぽぽちゃん」(クリック!)みたいな不気味な顔になりつつも、それでも主役故に、多くのCG表現上のアクションが用意されている。
が、この作品の「泣かせ」のポイントである、ハルカの両親のCG表現の貧困さは、作品を語る上での致命的な手抜きだと思う。
そもそも、ここにおいての、「ホッタラカシになった物」から「ホッタラカシになった人間関係」へのテーマ的な移行は、明らかに経なければいけない描写を欠落させている。
とりあえず、抑えで泣かせとけ、が見え見えだ。
いや、俺はいい観客なんで泣きましたよ。
でも、それは、作劇が優れているかどうかとは別問題だ。
◇
例えば、村のチンピラ三人衆がいるが、こいつらは、ハルカの相棒となるテオを苛める。
でも、最終的にはハルカを助けようとするテオに手助けするという、映画『ドラえもん』のジャイアンやスネ夫みたいなキャラなのに、その、終盤で「いい人に変じる」と言うキャラの伏線が全くない。
しかも、最終的な敵キャラである「男爵」の手下が、三人衆そっくりなので、混乱すること甚だしい。
更に、序盤で、三人衆は、テオが、この世界ではタブーとなる、人間であるハルカと行動していると知って、追い回し、町をメカで破壊しまくるのだが、
たかだかチンピラに破壊されて黙っている、この町の秩序はどうなってるんだろうと、世界観への疑問が起こってしまう。
◇
「男爵」との最終決戦は、製作の<Production I.G>が頑張ってかなりアクション性の強いシーンになっているが、いかんせん、町も、敵の飛行船も「色とりどり」で区別されていないので、その位置関係が全く見えず、戦いの構図がさっぱり見えない・・・。
「モッタイナイ」限りだ。
とりあえず作品を完成させるために、観客の欲求が「ホッタラカシ」だ^^;
◇
・・・『エヴァ:破』の箱根、『サマーウォーズ』の長野県上田市、この『ホッタラケの島』の入間市と見てきて、昨今の日本アニメは、今回の『ホッタラケの島』の、本編以上の、神社のお稲荷様へのこだわりなど、日本の風土への回帰が感じられる。
これはいいことか?
いや、作り手は危機感を感じているのだろう。
民主党が政権を取ったら、これらの「美徳」は完全に失われるからだ。
(2009/08/18)
このようなCGバリバリの日本製アニメは初めてなので、ちょいと、その出来に心配しながら、会場となる、新宿の安田生命ホールへ。
主人公ハルカは、私好みの「トキメキ短髪元気美少女、負けず嫌いの少年系」っぽくて、その点で楽しみ^^
でも、日本製のCG美少女って、このタイプ多いよね(例:「伊達杏子 DK-96」)。
また、そのハルカを、綾瀬はるかが声をあてているのも、私を惹きつけるってものだ^^
さて!
◇
最初に、「フジテレビ開局50周年記念作品」という、月桂の葉をモチーフにしたようなロゴが出てきたので、
私は思わず「アマルフィ…」と呟いたら、回りにいた人たちが思わず爆笑してしまった^^;
もちろん、つい言ってしまったギャグだが、いい意味でも、悪い意味でも、この作品の手触りは『アマルフィ』的な、テレビドラマ的な大味具合だった。
ゲームが好きな方ならば、『ファイナルファンタジーⅦ』的な、グランドデザインに欠けた作品と言えば、分かってもらえよう。
◇
物語は、幼い頃に母親を失った女子高生ハルカが、母の形見の手鏡を求めて、失くし物を捜してくれると言う稲荷神社にお参りに行くとこからはじまる。
その神社には、家でほったらかしになったものを持ち去る狐たちの「ホッタラケ伝説」なんてものがあり、ハルカは、ひょんなことから、そのホッタラケ狐の世界に迷い込んでしまう。
見るまえに感じた「ジブリ作品」っぽさは全くなく、各キャラクターたちも、それが魅力的か否かは別にして、オリジナリティはあると思った。
異世界描写も、『千と千尋の神隠し』で描かれた世界のマネなどではなく、
モノレールみたいな列車や、食料としての茹でたトカゲとかのギミックは、ハルカの相棒となる狐(だよね?)のテオのうまそうな食べ方などなど、なかなかの出来だった。
色彩に溢れたホッタラケの世界観も悪くない。
・・・のだが、しかし、この世界は人間界でほったらかしになった物で作られている・・・、なのに、その具体的な描写が少ないように感じた。
壁が使用済みテレフォンカードだったり、田舎でよく見る「ハイアース」のホーロー看板風が見えたり、お風呂のヒヨコ玩具、「鳥取砂丘」と記されたペナントがあったりと、挙げていけば、幾らでも遊びの部分があるのだが、それでもホッタラケ世界の構築には絶対数が足りていないと思った。
ただの「色とりどりの世界」と化してしまっているのだ。
また、先程、「ハイアース風」と書いたが、全ての実在製品の登録商標が「モドキ」であるのも辛かった。
ゲーム『ピクミン』などでは、ピクミンがお宝としている人間界のガラクタの中には、実在の、例えばメーカー品の缶詰などを用いたりしていた。
それをゲーム画面上で使用するにあたって、任天堂は、思ったよりも高い使用料を払ったりしたそうだ。
「フジテレビ開局50周年記念作品」ならば、スポンサーとの好意的な絡みで、健全な使用が可能だったと思うのだが・・・。
細かいことを書いているように思われるかも知れないが、作品テーマが、「モッタイナイ」、じゃなくて^^; 「ホッタラケ」であるのだから、見ている者とほったらかされた物のリアルな繋がりは必須だと思うし、
また、そのような作り手の遊び心が、作品への愛になって完成度を高めると思うのだ。
正直、この作品の作り手は、例えば、なかなかよく描かれた背景美術の一枚絵の数々に満足し、
また、テーマ性への整合性にアップアップで、全体的な気配りに欠けていると思った。
◇
主人公ハルカは可愛いが、まだまだ、旧来のCG作品のような記号的な女性像を脱出していない。
まあ、私などは、あまり大きくない胸や、チェック柄の制服スカートという記号だけで萌えてしまうおバカさんなので良いけんども^^;
ただ、このハルカは、たまに赤ちゃん人形の「ぽぽちゃん」(クリック!)みたいな不気味な顔になりつつも、それでも主役故に、多くのCG表現上のアクションが用意されている。
が、この作品の「泣かせ」のポイントである、ハルカの両親のCG表現の貧困さは、作品を語る上での致命的な手抜きだと思う。
そもそも、ここにおいての、「ホッタラカシになった物」から「ホッタラカシになった人間関係」へのテーマ的な移行は、明らかに経なければいけない描写を欠落させている。
とりあえず、抑えで泣かせとけ、が見え見えだ。
いや、俺はいい観客なんで泣きましたよ。
でも、それは、作劇が優れているかどうかとは別問題だ。
◇
例えば、村のチンピラ三人衆がいるが、こいつらは、ハルカの相棒となるテオを苛める。
でも、最終的にはハルカを助けようとするテオに手助けするという、映画『ドラえもん』のジャイアンやスネ夫みたいなキャラなのに、その、終盤で「いい人に変じる」と言うキャラの伏線が全くない。
しかも、最終的な敵キャラである「男爵」の手下が、三人衆そっくりなので、混乱すること甚だしい。
更に、序盤で、三人衆は、テオが、この世界ではタブーとなる、人間であるハルカと行動していると知って、追い回し、町をメカで破壊しまくるのだが、
たかだかチンピラに破壊されて黙っている、この町の秩序はどうなってるんだろうと、世界観への疑問が起こってしまう。
◇
「男爵」との最終決戦は、製作の<Production I.G>が頑張ってかなりアクション性の強いシーンになっているが、いかんせん、町も、敵の飛行船も「色とりどり」で区別されていないので、その位置関係が全く見えず、戦いの構図がさっぱり見えない・・・。
「モッタイナイ」限りだ。
とりあえず作品を完成させるために、観客の欲求が「ホッタラカシ」だ^^;
◇
・・・『エヴァ:破』の箱根、『サマーウォーズ』の長野県上田市、この『ホッタラケの島』の入間市と見てきて、昨今の日本アニメは、今回の『ホッタラケの島』の、本編以上の、神社のお稲荷様へのこだわりなど、日本の風土への回帰が感じられる。
これはいいことか?
いや、作り手は危機感を感じているのだろう。
民主党が政権を取ったら、これらの「美徳」は完全に失われるからだ。
(2009/08/18)