『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
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[映画『機動戦士ZガンダムⅢ 星の鼓動は愛』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を観た]

2009-10-04 23:44:07 | 物語の感想
☆いよいよ、「機動戦士ガンダム」30周年リバイバル公開も、本日の鑑賞で終了です^^v

 特に、大画面で見る『逆襲のシャア』は初めてなので楽しみです^^

   ◇

     

 先ずは、『星の鼓動は愛』・・・。

 これは、初公開の時にも思ったのだが、もう、内容がカオス状態である。

 敵味方が、5グループほどで入り乱れていて、何が何やらコンフュージョンである^^;

 しかも、それぞれの首脳陣が、戦いの合間に、広大な地球圏の距離感なしに協力関係を結ぼうと、会ったり別れたりするので、なんと言おうか、小休憩を挟んで、物語全体が最終決戦を全篇に渡り延々と続けている印象だ。

 ただ、多くの制約(それは主に上映時間)の中で、作り手は全力を尽くしており、私は、その瞬間瞬間の作画や演出に感心し見てられるのだ。

 そもそも、この映画版「Zガンダム」は、地球に降り立った時も、大自然との関係が希薄なので、閉塞感があり、ただ、人間がセリフだけで繋がっている印象がある。

 だから、多くの登場人物が死んでゆくが、見ているこっちには、何の感慨も起きてこない。

 故に、テレビ版のラストシーンで、主人公カミーユが精神を崩壊させてしまうのも理解が出来る。

 だが、この「新訳・映画版」のラストには、底抜けにポジティブなラストシーンが待っている。

 Zガンダムは、悪意の根源・シロッコを葬り、カミーユは深く深呼吸し、我に返り、宇宙空間で、ガールフレンドのファと抱き合うのだ。

 ファなどは無邪気に、木にしがみつくコアラのようにカミーユに抱きつく。

 最高である^^

 実は、私、前日に、テレビ版のDVDを借りてきて、姪っ子と、20年前のラストシーンを再見している。

 だから、新しく作り直されたラストシーンに感慨もひとしおだった。

 このラストシーンを見るだけでも、金を払う価値はあると思う。

 おまけとして、ハマーン様の美しさも堪能できるぞ^^

 ハマーン様は、新しく書き直された部分はおろか、旧作画の部分においても美しい。

 モビルスーツに乗っているときは、その表情だけでもいいし、

 戦艦内の時は、その立ち姿の美しさもある。

 脚線の細さが、生まれて初めて立ったバンビを連想することも出来て、いいッ!

   ◇

     

 ・・・『逆襲のシャア』だ。

 ビデオレンタルで何度か見たが、元々が映画オリジナルなので、こうしてリバイバルでも遜色なく見れる。

 でも、20年前の作画のベーシックなのだろうが、どうしても、十代前半と思われるヒロインであるクェス・パラヤが少女に見えないのだ。

 顔の輪郭線に、幼い柔らかさがないからだろう。

 それは、同時期放送の「ZZ(ダブルゼータ)」のエルピー・プルにおいてもだ。

 あまり可愛く見れないので、映画的に堪能できる作画の中で違和感が募った。

 ただ、アムロやシャア、懐かしいカムランの作画には唸った。

 特に私は、子供の時から変わらないが、着実に大人として成長しているアムロに魅力を感じた。

 やはり、アムロこそが「主人公」なのだなと再認識した。

 サイコミュ・システムの仕組みがいまいち分からないことや、クライマックスの、幾つかの解釈を残すあやふやさに、毎度毎度不完全燃焼を感じるのだが、

 隕石を押し返そうとするνガンダムの力技や、それを操るアムロの根性に、私は魅かれるのだ。

   ◇

 「Z」と「逆襲のシャア」を続けて見て分かったのが、クェスやナナイと複数の女に愛を感じさせるシャアの生き方は、シロッコがレコアやサラに向けていたものと同根であろう。

 「愛」が、いつしか、作用反作用の収支計算へと変貌していたのだ。

 人間関係においても純粋であったシャアであったが、いつしかシロッコの亡霊に取り込まれていたのか・・・。

                                     (2009/10/04)

[強力な保守派戦士を一人失った]

2009-10-04 21:47:53 | 保守の一考
☆本日は、新宿への出掛けに『正論(11月号)』を購入した。

 特集は、民主党政権についてである。

 新宿への電車の車中で熟読した。

 特集の前半の、渡部昇一、西村眞悟、田母神俊雄、八木秀次、遠藤浩一、濱口和久ら著名人の主張を読んで、その内容が先日書いたエントリー[与党民主党考・4「溢れ出す問題群」]と表現が重なる点もあって、文章を書く身としていつもなら喜ぶ気持も起こりそうなものだが、民主党政権のあり方に暗澹たる気持にさせられただけであった。

 新宿ピカデリーで、「機動戦士ガンダム」シリーズのリバイバルを見たのだが、そこでの主人公が怒りを募らせる施政者や官僚、シャア大佐が叫ぶところの「愚民」のあり方に、私は民主党政権とそれに投票した者を重ねて考えてしまっていた。

   ◇

 映画館を出、私は姪を伴い、<思い出横丁>の「岐阜屋」で飲んだ。

 姪には食事をさせて、私は飲んだ。

 店を出ると、ホロ酔いで、西武新宿駅の構内に入っていく。

 売店に視線をやる。

「なんだ!?」

 と、声に出してしまった。

「どした? どした?」と姪。

 私は、フラフラと売店により、見出しの目についたスポーツ新聞をひったくって、金を払い、広げた。

 そして、酔っていることもあり、やはり声に出して言ってしまった。

「死んでいる場合じゃないだろ!!」

 そこには、

     <中川昭一元財務相 急死>

 の見出しがあった(夕刊デイリー)。

 強力な戦士の喪失は辛い。

 あの、もうろう会見で辞任した後に、マスコミに囲まれ帰宅した中川氏に、応援のコールを送った、あの可愛い奥さんの心中を察するともっと辛い。

 御冥福を祈りますが、現在のところ、私は、更なるビハインドを背負わされる自分らのことで頭がいっぱいであるのが正直なところだ・・・。

   ◇

 拉致家族からも悲しみの声=議連会長務めた中川氏に(時事通信) - goo ニュース

 中川氏支援者ら、驚きと落胆=次期選挙に活動再開の矢先-地元・北海道帯広市(時事通信) - goo ニュース

                                     (2009/10/04)

[映画『TAJOMARU』を観た]

2009-10-04 00:15:53 | 物語の感想
☆遅ればせながら観てきた。

 ああ、確かに、公開時期が前だったこの作品の後に『カムイ外伝』を観たら、比較し、こちらに軍配を挙げざるを得ないわな。

 『TAJOMARU』は、『カムイ外伝』の50倍は面白かった。

 観て良かった。

 私は、危うく、この傑作を見逃すところだったんだなあ、危ない、危ない^^;

   ◇

 原作は芥川龍之介の『藪の中』で、それは既に、黒澤が『羅生門』として名作を作っているが、『TAJOMARU』を作った中野裕之監督は、その奇妙な知的興奮そのままに、内容を現代的にパワーアップし、蘇らせてくれている。

 私はこのような話が大好きで、二時間半夢中であった。

 全く先の読めないストーリーで、ジェットコースター的にこちらを瞬く間にグイグイと引っ張ってくれた。

 非常に感服した。

 冒頭から、美少女・美少年たちが出てきて、桜の情景ともども、これは美しい作品だなあと感心した。

 そして、幼少時の彼らは、将来、主人公の兄・信綱が担うだろう管領職ゴッコに興じる。

 一段落着くと、役割を変えて、また楽しむのだ。

 この役名(名前)を変えて、ゴッコを展開するのは、この物語の肝であり、

 阿古姫は、そのゴッコの最中も、好意を持っている主人公・直光(小栗旬)の近くに寄り添いたがり、

 素性が知れずに召抱えられた少年・桜丸は、管領職役に興味深々なのだ。

 ここに、その後の展開の雛形がある。

 見事なプロローグである。

   ◇

 詳しくは記さないが、その後、将軍の稚戯により、管領職を巡って、主人公兄弟に諍いが起こる。

 そこに、充たされぬ桜丸が謀略を巡らし、阿古姫と添い遂げるだけで充分の直光は二人で都落ちをする。

 しかし、山中で、暴虐の盗賊・多襄丸(松方弘樹の演技が実にいい!)に襲われる。

 それまでも、直光は絶望的な状況にいるが、あくまでも客観的な状況でである。

 ここからは、直光、主観的にも追い詰められていく。

 阿古姫の豹変しての裏切りは、女にありがちだが、私などは、直光に同調する端緒となった。

 小栗旬の演技はやや単調だが、直光の直面した絶望の数々を考えると、素晴らしい熱演と言える。

 阿古姫役の柴本幸も、全篇を見終えると分かるが、実にいい表情を表現している。

 好みではないが、彼女の裏切りは、私の胸を締め付けた。

   ◇

 全てを失った直光は、死んだ多襄丸の名を受け継ぎ、知り合った盗賊仲間のリーダーとなって、絶望を抱きながらも、刹那の気晴らしを生きるのだった。

 盗賊仲間は、ちょっとヴィジュアル系っぽくて、全然、時代考証とあっていないのだが、その性格付けが見事で、リアリティが厳然と存在している。

 実に楽しい気分にさせてくれる。

 だが、都での異変の話を聞いてしまった直光は、気になって馬を走らせるのだった。

 そこには、信綱の急死の後、直光を名乗った桜丸がいた・・・。

   ◇

 人物の全てが、本当の名前を偽り、本心を隠し、直前の行為を翻した言動を発する。

 『TAJOMARU』と言うタイトルは、伊達じゃない。

 あえてローマ字表記しているのも意味がある。

 「多襄丸」は「多情丸」でもあるのだ。

 情が多い、深き故に、多くの絶望を直光は受け続けるのだ。

   ◇

 私は、この作品がクールな損得勘定でなく、愛を貫き通した「多襄丸」の物語として終わったことに拍手を送りたい。

 傑作であった^^v

                                     (2009/10/04)