『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[私の1991年のメモ日記・16 <「吉兆」の思い出(マルジュウ)>]

2009-10-30 22:48:27 | 1991年の日記
☆忙しいので、再掲です^^;

 でも、かつて、このエントリーは爆発的な閲覧数を稼ぎました。

 高級料亭「吉兆」の偽装表示問題が話題になっていた頃だったからです。

 もちろん、今回の舞台の「吉兆」は、あの「船場吉兆」とは別物ですよ^^

   ◇

 [「吉兆」の思い出(マルジュウ)] (2007/11/18 10:21)

☆先ずは、私の1991年の日記を読んで欲しい。

 私は、築地にある「吉兆」に、野菜を配達していた・・。

     #     #     #     #

 ☆10月4日(金)

 さて、AM3時までの「つぼ八」バイトを終え、しばらく中野駅の出入り口シャッター前に座り、始発で新橋へ。変則の早朝バイト。8時まで「金八」で働き、専務(注・1)に一万円頂き、浜松町から羽田へ、初めての飛行機だ! モノレールから見える景色も新鮮だったが、飛行機からの景色だ・・・。滑走路、いきなり鬼のようなスピードで走り出し、飛び立った飛行機からの風景は最高だった。窓際から、窓にかじりつく様にして、地面が見えなくなるまで見続けた。人間なんてちっぽけな存在だ! と思うと同時に、ジャンボ機を作り、1万メートルの空にまで到達できる人間の叡智にも感心。・・・沖縄に降り立つ、モアーッとした上天気。しかし、日差しの爽やかな町だ。喋りまくるバスガイドさんの話を聞きつつ、浜比嘉島に向かう。港からは高速船で行く。風が爽やか、真っ青な海。島ではシナリキョやアマミキョの史跡を見学する。海辺のアマミキョで、現地の子が、「オメラ、フライズンで来たんだろ?」と問うてきた。フライズンとは、僕たちの乗ってきた船・ホライズン号のことだった。ホ(O)とフ(U)の母音変化に納得する。夜はバーべQ、オリオンビールをグビグビやる。その時、ツツツ・・・と、ゼミ生だが、会話したことなかった可愛い斎藤さんが寄って来てポツリと言った。「蘭さんは、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の主役に似ていますよね^^」。その映画は、香港の悲恋話だ。その主人公は、二枚目だった・・・。私は、嬉しくなった(ロマンスのはじまりでしょうか・・・^^;)。同室の稲葉君は、ホームステイの経験があるそうで、その話で盛り上がる。

 (注・1)・・・私の大学のゼミ合宿(旅行)は、学習院との合同ゼミ合宿だったのです。で、築地の野菜卸し業「金八」の専務の娘さんが、学習院の学生だったので、その御令嬢も、同じ旅行グループに参加していました。でも、専務が恐いので手を出しませんでした^^;

 「金八」は、「吉兆」や「金田中」、「歌舞伎座」「新橋演舞場」「岡半」「浜長」・・・などの一級料亭に野菜を卸していた一級の八百屋でした^^

 また、私のゼミの合宿には、前年、紀子様も参加しております^^

 私の母校である左翼チンポコ大学と、学習院が合同ゼミ旅行を行っているというのは面白い話である・・・。

                                  (1991/10/04の日記)

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 築地にある吉兆は、政治家や財界人の大物がお忍びでくるような超高級料亭なので、その玄関は簡素である。

 私は、その野菜の配達を、更に小さな使用人の出入り口から運ぶ。

 吉兆の厨房は地下にあった。

 私は、野菜の入ったダンボールを、その地下への階段でこけてぶちまけたことがあった。

 でも、吉兆の板前さんたちは、青ざめる私を咎めることをせずに、そのまま、その野菜を使用してくれた・・・。

 初めて行った時、厨房の「本日来られるお客様」のホワイトボードに、盛田(元)会長や竹下(元)総理大臣他、二、三人の当時の有名な方の名前が記されていたので、私はビビったものだった(正直、うろ覚え^^;)。

   (今、この配達初日<1991/04/19>の日記が見つかりました!
        もっと凄い名前が書かれてました! 後で、更新します!)

 ある日、さつま芋を配達した私に、板前さんが「おお! マルジュウが来たな!」と言った。

 そのメガネの板前さんは、私にニヤリと微笑みかけると、

     「君は、さつま芋を、何で『マルジュウ』と呼ぶか分かるか?」

 と聞いてきた。

「いいえ・・・」

 と私は答える。

「西郷さんの薩摩藩のマーク(藩の紋章?)が、丸に十字架なんだよ^^」

          ・・・私は、一つ勉強になった^^v

 「吉兆」は、他の料亭に比べ、温和な雰囲気が漂っていた。

 私は、「吉兆」の創業者・湯木貞一さんに興味を持ち、『吉兆・味ごよみ』なんかも購入し、読んだものだ。

 最近の、吉兆の他店舗による賞味期限偽装問題や牛肉山地偽装問題が、悲しい・・・。

                                     (2007/11/18)

   ◇

 [(追記:1991年) 「吉兆」の思い出] (2007/11/18 15:40)

▼先ほどの投稿、[「吉兆」の思い出(マルジュウ)] の追補です。

  ・・・1991年4月19日(金)

 5時に起き、がら空きの中央線で築地へ。

 朝の早起きは辛いが、それだけで、仕事は楽々^^

 これまでの仕事の、僕一人の作業量を、十人くらいでのんびりやっているみたいだ。

 配達で、日本で5本の指に入るという高級料亭に行く。

 『吉 兆』・・・。

 厨房に入ると、お客さんの予定表が入っていた。

 うぉっ!!!!!

   海部総理だ!

   ソニー・盛田会長だ!

   キャノンの会長だ(名前ど忘れ)!

   ロックフェラーだ!

 本当に凄い店なんだな^^

 海部総理は、ゴルビーとの会見の骨休めと言ったところかな?

 バイトはかくして昼に終わり、最終の講義に顔を出し、部室に顔を出し、ジムに行き、帰宅する。

 帰りの中野駅では、人身事故があったらしく、たくさんの警官と、

 白いチョークの人型と生々しい血の跡があった^^;

☆よく、キャノンの会長のやり方は、ロックフェラーが引き合いに出されるが、ここに、その萌芽があった・・・。

 私は、歴史の証人か!?

   ◇

  ・・・1991年5月17日(金)

 バイトを終え、アパートに戻る。

 アパートから50メートルと離れていない廃ガソリンスタンドで、2日前に、その解体作業中に爆発が起きたそうだ。

 ちょうど前を通って来たので、その新聞記事に驚く。

 新聞をすみずみまで読むと、結構、身近なことが書いてある。

 父の昔働いていた大日本土木が問題視されていた。

 雑誌では、ルノアールとゴッホの絵を買い、「死ぬ時は棺おけに入れてくれ」と言い顰蹙を買った斉藤了英が「吉兆」の日本間で、それらの絵を前に食事を満悦したことが記されていた。

 最終時間の講義の学校に行こうとしたら、どうも体の調子が悪い。

 無理して学校に行くのだが、寒気がして、すぐに帰宅・・・。

 風邪だろう。

 9時にベッドに入る。

                                     (2007/11/18)

   ◇

 本日の私は、23時にベッドに入る。

                                     (2009/10/30)
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