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映画『悪人』

2010年09月27日 | 映画鑑賞記
またまた、久しぶりになってしまいました、PCからの投稿ですが。

今日は、先週見た映画『悪人』の感想をば。

話題の映画ということあって、劇場もかなり混み混みでしたよ~。
とても社会派な映画で、見終わった後は、ズ~ンと心が重くなると言うか、この世の中の本当の「悪」って何なのだろう?と考えさせられる作品でした。


物語の舞台は九州。
冒頭で、佳乃という若い女性保険外交員の他殺死体が見つかります。
彼女が最後に乗った車が、博多に住む裕福な大学生・増尾の車ということで、容疑は増尾に。
警察は、事件後、行方をくらましている増尾を追います。

一方。
紳士服の量販店で働く光代は、家と職場を往復するだけの、地味な暮らしをしていました。
そんな時、出会い系サイトで出逢った、祐一という男性と肉体関係を持ち、やがて、孤独な2人は惹かれあっていくのでした。

けれども、警察が逃走中の増尾を確保した後、その証言から、佳乃殺害の真犯人として、祐一が浮上してくるのでした。

そして、祐一の祖父母の元には、警察が訪ねてきます。

それを知った祐一は、光代を連れて逃走。
「何があったの?」
と問う光代に、祐一は、
「俺は人を殺した」
と告白するのでした。
そして、一体、なぜ、何があって、佳乃を殺すに至ってしまったのかを光代に語ります。

こうして、互いに孤独を抱え、それゆえに、強く惹かれあっていく2人は警察へ出頭する道ではなく、一緒に逃亡する道を選択するのでした・・・・・・。


ホント、重い・・・凄く重いです。
もちろん、人を殺めるという許し難い罪を犯した祐一は悪人でしょうが・・・果たして、祐一だけが悪人なのか?
善悪とは何なのか、考えさせられます。
そして、全てに通して感じられる、「人間の孤独」。それは、まさに、現代社会が抱える問題であり、それゆえに起こった哀しい事件は、この作品の中だけでなく、現実でも起こりそうな、リアリティがあります。

一体、「悪」とは何なのか?

私は、殺された佳乃にも悪いところはあると想います。もちろん、だからといって、それが殺されて良い理由にはなりませんし、気の毒です。けれども、自業自得的なことも否めません。

金持ちの息子と言うだけで、玉の輿を狙って増尾に媚を売り、その裏でセックスの相性が良いと、出会い系で知り合った祐一とも付き合っている。
たいして知りもしない増尾の車に、簡単に乗り込む。
たいして知りもしない出会い系で知り合った祐一と関係を結ぶ。

このご時世に若い女性としては、ちょっと無防備すぎますよね?

また、女友達に対しても「自分が優位」に見せる嘘を付き、そして、増尾に擦り寄る反面、祐一のことは馬鹿にして、罵る。
彼女が命を落とすことになってしまった、決定的な原因は、自分の感情を上手くコントロールできず、すぐにキレて、罪のない祐一に当たり散らしたことでしょうが。。。。

でも、佳乃がこんな風に、他人を見下し、女王様のようになりたがっていたり、すぐキレたりするのは、きっと、その根底に「孤独」があるのではないかなぁと想います。


そして、そんな佳乃に苛立ち、夜の山道にもかかわらず、車から無理矢理降ろした、金持ちのボンボン・増尾。コイツも悪い!
彼も、自分の家が金持ちというだけで、天狗になって、他人を馬鹿にして楽しんでいます。自分が偉いわけでも何でもないのにね。
他人を馬鹿にすることでしか、自分の存在意義を見付けられないのは、ある意味、佳乃にも似ていて。きっと、甘やかされて何不自由なく育ったのでしょう。それ故に、大切なものがない。彼もまた、王様になることで孤独を紛らわせていたのかもしれません。

そしてそして。
そんな2人の痴話喧嘩に巻き込まれるような形で、突発的に殺人を犯した祐一。
彼もまた、大きな孤独を抱えているのですよね。
母親に捨てられ、祖父母に育てられ。今では、仕事と家の往復しかない世界。家に帰れば、祖父の介護を始め、色々と祖母に当てにされて、自分が楽しむ時間も世界もない。
人との交流が少ないせいか、上手く、感情を表現したり、コントロールしたりすることができず、それ故に、佳乃を殺めることに・・・。

祖母は祖母で、ヘルパーを雇うとお金がかかると、祐一に面倒なことを何でも押しつけ、その一方で、怪しげな健康食品の集いに夢中。もちろん、母親に捨てられた祐一を母親代わりに育てたということは素晴らしいと想います。でも、怪しげな集いに夢中になる・・・ということは、彼女もきっと、どこか淋しかったのでしょうね。

それから。
祐一と出会うことで、大きく人生が変わってしまった光代。
彼女もまた、家と職場の往復だけの地味な暮らし。
妹と一緒に暮らしているものの、妹は、家のことなど全部、光代に任せっきりで、自分は恋人と楽しくやっている。
自分の家にも、居場所を見付けられないの光代の孤独。
だからこそ、祐一と出会い、惹かれあい、祐一の秘密を知った後も、「共に逃げよう」と言う。

本来なら自首させなければいけないのに、共に逃げる道を選ぶ、彼女も果たして悪人なのか・・・・・・。


こうやって見てみると、多かれ少なかれ、みんな、心の何処かに「悪人」の顔を持っているのですよね。
もちろん、それは、私達にも当てはまることで、きっと100%善意な人間なんて居ないと思います。
そんな時、家族や友人、恋人と、絆や愛情を持つことによって、人は善になったり、また、強くなったり出来るのでしょう。

でも、家族関係を始め、人間関係が希薄になっている現代社会に於いては、心から大切と思える人やものを持つ人が減っているのではないかと思います。
それ故に、孤独だったり、淋しかったりで。

佳乃や増尾も、このパターンではないかなぁと。
そして、祐一も。
最初は、彼も、大切なものは無かった。
でも、光代と知り合うことによって、「大切なもの」が分かったのではないかと思います。
また、光代も同様に。
そして、「大切なもの」を得た人間は強くなれます。
殺人を犯して逃亡をするのが良いとは言えませんが、でも、祐一と光代の逃避生活には、極限の強い絆や強さが伺えました。

また、孫の犯した罪に呆然としていた祖母も。
哀しいことではありますが、こうなって初めて、祐一に対する愛情を思い出したのではないでしょうか? だからこそ、段々と強くなっていけた。

この映画に根底に、孤独というものを強く感じました。そして、それ故に、人は罪を犯す・・・というのは、現代社会ならではなのかもしれないなぁとも。
劇中で、殺された佳乃の父親が、
「今の世の中、大切なものを持っていない人間が多すぎる」
っていうシーンがあるのですが。
まさに、その通り。
今の世の中、心の豊かさが失われつつあるのでしょうね。
この映画の事件は、きっと、そういう所から引き起こされたのだろう・・・と。

本当に、誰が悪人なのか?
もちろん、人を殺した祐一は悪いです。一番、やってはいけないことをしました。
でも、本当に、それだけなのか? 祐一一人を悪人にして、それでオシマイなのか? その背後の因果関係まで踏み込んでみたら、大小の違いはあれ、色々な「悪」が見えてきます。
そう、みんな、悪人の顔を持っているのです。

そう想えてしまって。心がズ~ンと重くなりましたです。
私自身も、「悪人」の顔・・・・・・出さずに生きていきたいです。


そしてそして。
この映画で、注目すべきは、深津絵里さん演じる光代。

物語の冒頭では、何の楽しみもない、地味な生活を送る、色気のない女性でした。
でも、それが、祐一と知り合うことによって、どんどん色っぽくなっていくというか。「女」の顔になっていくのですよね。
その生々しいまでの変化が、素晴らしいです!

社会派な映画ですし、見た後、心が重くなるのは必至ですが。
でも、自分の心の中、また、自分を取り巻く現代社会を、改めて考えてみるにも、良い作品だと想いました。


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