山陽線笠岡駅のホームの写真をお送りします。
笠岡駅のホームに井笠鉄道のホームが隣接していました。
井笠鉄道は明治44年に開業して昭和46年3月31日に廃業となっている。
この当時は笠岡と井原の路線だけが残っていた。
線路の規格は762mmで在来線より狭いのでナローゲージと呼ばれていた。
在来線も狭軌なのだがホームに並んだところを見ると車両ははかなり小さく見える。
九州行きの急行玄海と左の車両を見比べるとかなり大きさが違う。
井笠鉄道の木造客車は大正時代の車両で通称マッチ箱と呼ばれていた。
井笠鉄道には廃止までに何度か足を運んだので何回かに分けて投稿します。
私は昭和44年に他県から岡山県に転勤してきた。井笠鉄道の存在も知らなかった。愛着などあるはずもない。しかし、撮影していてよかったと思う、鉄道を通して昭和という時代、時代の流れが写真に残すことにより正確に判る。
写真左側が井笠鉄道、右側が山陽本線
マッチ箱と呼ばれた井笠鉄道客車、木製で走っているとギシギシときしむ音がする。暖房なしもちろんトイレなし
583系特急電車とすれ違い。特急はと、つばめが活躍していた。
笠岡駅のホームに井笠鉄道のホームが隣接していました。
井笠鉄道は明治44年に開業して昭和46年3月31日に廃業となっている。
この当時は笠岡と井原の路線だけが残っていた。
線路の規格は762mmで在来線より狭いのでナローゲージと呼ばれていた。
在来線も狭軌なのだがホームに並んだところを見ると車両ははかなり小さく見える。
九州行きの急行玄海と左の車両を見比べるとかなり大きさが違う。
井笠鉄道の木造客車は大正時代の車両で通称マッチ箱と呼ばれていた。
井笠鉄道には廃止までに何度か足を運んだので何回かに分けて投稿します。
私は昭和44年に他県から岡山県に転勤してきた。井笠鉄道の存在も知らなかった。愛着などあるはずもない。しかし、撮影していてよかったと思う、鉄道を通して昭和という時代、時代の流れが写真に残すことにより正確に判る。
写真左側が井笠鉄道、右側が山陽本線
マッチ箱と呼ばれた井笠鉄道客車、木製で走っているとギシギシときしむ音がする。暖房なしもちろんトイレなし
583系特急電車とすれ違い。特急はと、つばめが活躍していた。
岡山出身で高梁川上流育ちです
懐かしい岡山情報
これからも宜しくお願い致します
wingtomさんの素敵なblogは毎日
訪問させて頂いています
お越しいただきありがとうございます。有漢の出身でしょうか、私は岡山の人間ではありませんが一番長く過ごし子供も岡山で生まれ育ちましたので岡山が一番思い出の残る土地です。横須賀にお住まいででしょうか。横須賀安人さんは三浦按針の洒落でしょうか。
元気にボーリングや散歩をさられていてうらやましい限りです。私は残念ながら車椅子生活で歩けません。定年後は自給自足の農業生活とオンボロ写真館を造り月に二、三人訪れる来館者と雑談するのを楽しみにしていました。歩けなくなれば歩けなくてもできる事に挑戦するしかありません。いつまで生きるかわかりません。死ぬまでやりたい五つの事を決めて日課としてやっています。過去に撮影したネガのスキャナーも健康ならばやらなかったと思います。過去の写真の整理よりカメラを持ち各地へ撮影に出かけた方が楽しいにきまっています。過去の写真が日の目を見るのも病気になったから、病気になって9つ悪い事があったがひとついい事もあった。ひとついい事があるだけでももうけものと考えています。