懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その74 佐賀県鹿島市の茅葺き民家

2013年08月22日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 佐賀県鹿島市

佐賀県は沢山の茅葺き民家があったがここへきて茅葺き民家の減少が加速している。
21世紀の現在では茅葺き民家の維持には難しいものがある。
職人さんの確保や茅の確保、生活様式の違いによる住みずらさ。
普通のサラリーマンの人ならば茅葺きに住む理由がない。
昔からの伝統を重んじる家か物好きな人でしか住むのは難しい。

佐賀の民家は茅の厚さがそれほど厚くない。台風や豪雨での痛みも大きいようだ。
鹿島市の三河内の民家も随分減った。
しかし写真の民家は人は住まなくなったが残っていた。
「佐賀のがばいばあちゃん」の映画の撮影が行われたそうだ。
漫才師 島田洋七の小説を映画化したものだそうだ。
子供の頃の貧乏生活を売り物にした小説があるが何か胡散臭くてすきでない。
皆なから同情を得ようとした思惑一杯でしらける。
昔の日本の庶民はみんな貧しかった。




懐かしの蒸気機関車写真展 その25 「機関区」 吹田機関区

2013年08月21日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 大阪府吹田市 吹田機関区

缶と庫(かまとくら)の第二弾
大阪の吹田機関区を投稿します。
大阪も城東貨物線は非電化で蒸気機関車が走っていました。
最近電化されたようでDD51のディゼル機関車が牽引する貨物列車を撮影するために撮影ポイントだったようです。
城東貨物は大阪の南北を結ぶ貨物線で吹田操車場から八尾の竜華操車場を結んでいた。
城東貨物線で淀川を渡り片町線、おおさか東線で竜華操車場へつないでいた。
淀川に架かる城東貨物線は片側が鉄道で片側が歩道になっていて複線化するので今年には歩行が出来なくなるようです。

城東貨物の機関車が吹田機関区格納されていた。
平地を走るのでD51蒸気機関車はナメクジ型が何台かいた。
山間地はトンネルと勾配がきついので集煙装置を煙突につけていた。ナメクジ型は取り付けられないので平野部を走る事が多かった。
大きな機関区だった。かっての東海道線の蒸気機関車も収納したのか近代化遺産の梅小路期間庫より大きかったように思う。


わたしが撮影に行ったときに中学生が撮影にきていた。
小学、中学時代から鉄道に興味をもって撮影していたのだ。
わたしはこの年ごろには何も興味がなくボケーとしていたように思う。

中学生が撮影に来ていた。蒸気機関車を見てブローイングしていたので必死で撮影を始めた。後ろで撮影している人がいるのも気づかず







なぜかC12型が庫にいた。

茅葺き民家 角屋造り

2013年08月20日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県丹南町(現在は篠山市)
この丹南町の民家は福知山線古市駅付近にあったが積水ハウスに建て替えられた。

角屋(つのや)造りは母屋から直角にL字またはT字に部屋が伸びた形で旧国名の摂津や丹波、播磨地方に存在する。
東北の曲がり屋に似ているが角屋造りは母屋から屋根の高さが一段低く伸びている。
曲がり屋は牛や馬や倉庫に使っているのに対して角屋は隠居部屋や若夫婦の部屋に使っているようだ。江戸時代には格式の高い家しか建築が認められなかったが今残っているのは明治以降に建てられた可能性もある。

角屋造りの家は大きいので茅の葺き替えが大変である。
どんどん姿を消している。残っている民家も少なくなっている。残っているうちに記録に残しておきたいものだ。


撮影場所 篠山市

古い町並み 倉敷市玉島長尾

2013年08月19日 | 古い町並み
撮影場所 倉敷市玉島長尾

古い町並みで昔ながらのどこか懐かしい風景をとりあげてみた。
古い看板の薬屋、ナマコ壁の倉を事務所につかっている。事務所の内部(おおよそOA聞きには縁がないし) 土塀の路地、板塀の路地








日本茅葺紀行 その73 津軽平野の茅葺き民家

2013年08月18日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 青森県五所川原市

津軽平野は結構茅葺き民家が残っている。
平野部ばかりで山や高い建物もなく俯瞰撮影できるところが少ない。
唯一高いところから撮れるのは岩木川の堤防のうえからである。
この家も岩木川の堤防の上から撮影した。小屋を入れて三軒撮れる。よくホームページに出ている場所でもある。堤防の上から見れば茅葺き民家の所在も確認できる。
十三湖から岩木川をさかのぼり茅葺き民家探しをして見たいがなかなか実行できない。
家内からここは以前にも走ったのにまた走るのかと言われるのが辛いところだ。
五所川原周辺も大きなスーパーが何軒もでき全国チェーンの飲食店やコンビニが立ち並ぶむようになった。その変遷を何度も訪れる間に見てきたように思う。
茅葺き民家も行くたびに減っているように思う。

懐かしの蒸気機関車写真展 その24 「機関区」 新見機関区

2013年08月17日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 岡山県新見市 新見機関区

今回から機関区について15回にわたりお送りします。
蒸気機関車は燃料と水を積んで走るので80km程度毎に機関区を設けた。
蒸気機関車は燃料水の補給や炉内の掃除、灰の排出をしないと走れない。
機関車は金属と金属の接触で振動も大きく駆動部も多いので点検と整備が必要である。
オーバーホールも機関区で行われていた。
分解組み立てを行う技術者も機関区で働いていた。

機関区は蒸気機関車にとっては自宅でもあった。食料補給、休息、健康維持の場でもあった。
機関区は機関車の走行や重量物の昇降、重機の運転で大変危険な場所である。
工場であれば柵をして立ち入りが禁止されている。作業者もヘルメットと安全靴の着用の場所である。
しかし、この当時は機関区の窓口に氏名を記入すれば立ち入りか許可された時代である。
近くで機関車や作業が撮影できた有難い時代に感謝したい。

一回目は新見機関区
伯備線、芸備線、姫新線の機関車が立ち寄ったので沢山の機関車がいた。
D51とC58しかいなかったので一度撮影に来ただけだった。
一日出入りする機関車や作業を撮るべきだった。
機関庫も近代化遺産として評価されるのが分かっていればもっと丁寧にとっておくのだった。




茅葺き民家 歩こう

2013年08月16日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山市才崎

茅葺き民家の横を昼下がりお婆さんが元気に歩いて行った。
わたしは孫が唄っているこの曲を思い浮かべた。


トトロ「さんぽ」

 あるこうあるこう わたしはげんき
あるくのだいすき どんどんいこう

さかみち トンネル くさっぱら
いっぽんばしに でこぼこじゃりみち
くものすくぐって くだりみち


岡山南部の茅葺き民家の形が残っている。
寄棟、箱棟、下屋や箱棟の瓦が本瓦を使っている。

懐かしい風景 倉吉線山守駅

2013年08月15日 | 懐かしい物
撮影場所  鳥取県関金町 倉吉線山守駅

倉吉線は山陰線上井駅(現在は倉吉駅)から分かれ倉吉市内から関金と走り山守駅が終点の20kmの路線
かって軽便を国鉄の路線にしたので線路規格が低く(30kgレール)速度の出せない路線だったそうだ。
赤字路線で1985年に廃止となっている。
いずれは廃止になるのは分かっていたので家族で山陰に海水浴に行った時に撮影した。
1982年(昭和57年)に撮ったと思う。
山守駅と関金駅を撮ったと思う。しかし、通りすがりにちょっと撮った写真で心がこもっていない。写真を見ればどの程度情熱を持って撮っていたかが分かる。
せめて列車がホーム到着し人が乗り降りするシーンがなければ廃止前に撮ったのか分からない。
昭和57年頃まで鉄道の写真を撮っていたのが分かる。
この当時、岡山から関金に抜ける犬挟峠は曲がりくねった難所だった。犬が挟まれるほど狭い峠の意味もある。道が悪くこの峠越えは使う人は少なかった。今は快適道路になっている直線の下り坂のためすぐ100km/hのスピードが出る。


日本茅葺紀行 その72 東広島市の民家

2013年08月14日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県東広島市

東広島市の郊外にも茅葺き民家は残っている。下屋は茶色の釉薬瓦、中国地方の西部では広く見られる瓦である。中国地方の屋根の色彩でもある。

わたしのところからだと国道2号線を利用して日帰りコースである。
茅葺き民家を撮るのに高速道路を使ってまで行かない。広島市周辺までは一般道でいく。国道2号線も平日は渋滞で動かないが日曜日だけはスイスイ走れる。
東広島市まで三時間、昼は大体お好み焼きを食べる。

夏の写真であろう「さるすべり」が咲いている。木の肌がつるつるで猿も滑ると言われた事でこの名ついたとある。しかし猿は簡単に登っていくとも書いてある。
多分、実験した人がいるのであろう。
中国原産で寺院を中心に植えられたので民家には植えなかったが今は好んで植えられている。
花持ちがよく百日近く咲くことからさるすべりを百日紅と書くこともある。


山中慎介 1R KO勝ち

2013年08月13日 | 日記

WBCバンタム級タイトルマッチ
山中慎介が見事KO勝ちをおさめV4達成。

昨日の相手は戦う前から覇気がなく何か隠しているのか不気味だといわれていたが。
ただ弱かっただけか。
最初から腰が引けて防戦一方だった。
しかし、山中にしても長谷川にしても相手にボクシングをさせない凄さがあった。
向かい合ってグラブを交わしているうちに相手の癖や弱点を見抜き相手を封じこんでいるろ。
パンチが強いだけではなく試合運びもうまい。どんな相手であっても順応出来ているようにおもう。
わたしは格闘技のなかでもボクシングが好きだ。
家内は人が殴りあって残酷なと批判的である。
孫が遊びに来ている時は見ないでほしいと念を押されている。

しかし、ボクシングを見ているときの興奮度は衰えた脳細胞の刺激には最適である。
時には脈拍は高くなりドキドキしてくる。血圧もかなりり揚がっていると思う。
興奮しないスポーツは見るに値しない。
しかし、亀田三兄弟の試合はテレビを見ていて居眠りしてしまった。
話す事やパフォーマンスは派手だが試合は極めて地味だ。
山場のないだらだらした試合が多い。

ほとんどのボクサーはアルバイトをしながらボクシングを続けた。
それとオリンピックを目指して戦ってきた。オリンピックの出場は枠が少なくプロで世界チャンピオンになるより難しい。内山も山中も若手のホープの井岡や井上も五輪の出場は出来なかった。
みんなみんな段階を踏み日本チャンピオンや東洋チャンピオンになり世界挑戦をしている。
世界挑戦が20代後半になりワンチャンスを与えられている。

それに引き換え亀田三兄弟は日本チャンピオンにも挑戦せずスポンサーが付きアルバイトもせず弱いチャンピオンを見つけて世界戦に挑戦させ判定で勝つ、興業と思われる試合がむ多い。亀田長男に欠けているは戦う闘志と強い相手を倒す技術である。

格闘技は強い相手に勝って人間的に成長する。山中も長谷川も内山も強い相手に勝って一段と成長している。強い者に勝たないと身につかないものがある。