懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしの蒸気機関車写真展 その23 「駅の風景」 広島糸崎駅

2013年08月13日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 広島県三原市糸崎(呉線糸崎駅)

最後まで大型蒸気機関車の残った呉線と函館本線
わたしも辛うじて大型蒸気機関車に巡り会えた世代である。
C62形蒸気機関車は存在感がある。もう一度走らせてほしいと願っている人は大勢いるはずである。

昭和の写真でも鉄道関係は数多くの写真が残っている分野である。
鉄道の本や雑誌も月刊誌として発行されていて鉄道ファンの多いのも一因である。
しかし、本人に興味がなければ時代の動きにも気づかない。
わたしが訪れる鉄道関係のサイトの管理人の人は私より年下だが昭和30年代の蒸気機関車を記録に残している。中学生から52年間、まだ継続して鉄道趣味を続けている。
中学生ならすぐに止めそうに思うが継続して続けた工夫はどうしたのか。
撮影の目標は段階的に設定し全国をすべて回るのを最終目標に掲げたと思う。蒸気機関車はいずれ全廃される思いで早く撮影しないとの思いで励んだと思う。

独創的に何かを始めるのは凡人には難しい。誰かが取り組んだ事を本なり話しを聞きそっくり真似から始めるのが一番か 真似からでも20年も継続すれば本人の個性も生まれるか




茅葺民家 山際の民家

2013年08月12日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県吉田村(現在は雲南市)

山際に建っている茅葺き民家を撮影する。
半逆光の光があたりバックの山の木々も少し立体的に見える。
山際に暮らす茅葺き民家は日本の風景である。
四月頃の光線が茅葺き民家を撮るには都合がよい。
茅葺き民家の傾斜は45度以上で1月頃は太陽の角度が低く昼間でも裏には当たらない。
冬場昼間の太陽の角度は34度程度だと思う。
夏場は太陽の角度が高すぎて軒下が真っ黒になる。
最近のような猛暑はコントラストが強すぎて民家の撮影には向かない。
それでも最初は暑かろうが寒かろうがいつでも撮影に行っていた。
猛暑の日に岡山県の阿波村に撮影に行った。余りにも暑く汗でびっしょりだった。身体もほてりたまらなかった。これ以上、人家のない渓谷まで走り淵に飛び込み身体を冷やした。県北の渓流のため川の水も冷たくあれは最高に気持ちよかった。
下着の予備を持っていなかったので露天風呂感覚で素っ裸で入る。
暑いときは一度冷やすと随分楽になる。
柔道の国民栄誉賞の山下氏が言っていたのは夏場練習の後は水風呂で身体を時間を掛けて冷やすと言っていた。スポート選手は急激に冷やすのは禁物かと思っていた。
歳をとり暑い時は特に苦手になった。
やはり春か秋が撮影に最適である。






古い町並み 岡山県倉敷市茶屋町

2013年08月11日 | 古い町並み

倉敷市茶屋町に古い町並みが残っていた。
明治以降の建物であろうか
21世紀になった現在、今まで残った町並みも少しづつ変化している。
茶屋町も瀬戸大橋線が開通して岡山高松へと便利になり住宅地として評価が上がり土地もあるので大型スーパーも何店もできた。
それに伴い古い町並みも姿を消している。
多くの町並みはサッシの窓になっていたり古い建物の中に新建材の民家があったりで古さを出すのは難しくなっている。二軒三軒の古い民家を一杯古い民家群があるかのように見せる撮り方をするしかない。同じ場所をいろんな方向から撮影して古い民家が一杯あるように見せる。
電柱や車、ブロック塀、ガードレールは極力いれないようにする。人物も地元人だけにする観光客は風景になじまない。






日本茅葺紀行 その71 茨城県の茅葺民家

2013年08月10日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 茨城県常陸太田周辺

西日本の人は埼玉、栃木、群馬、茨城の位置関係が明確でない。
位置と県名を書けと言われると正解率30パ ーセントか

群馬は郡馬と書き茨城は茨木と書く人も多いだろう。
おばあちゃんなんかうちの孫は東京の埼玉にすんでいるといいうちの娘は東京の浦安に住んでいるという。
そういう私も関東には足を運ぶ事は無かった。鉄道の写真も全く撮っていない。人の多さや都市の巨大さから関東がアレルギーになっている。
茅葺き民家が少ない事もあるが東京の渋滞する中を走って往生した。
今は高速道も都心を通らなくなり楽になったが一向に行こうという気にならない。

茨城の茅葺き民家、八郷町には沢山あるが常陸太田市周辺の茅葺き民家を追ってみた。




懐かしの蒸気機関車写真展 その22 「駅の風景」 宮崎駅

2013年08月09日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 日豊線宮崎駅

ブルートレインの特急富士と蒸気機関車を宮崎駅で撮影する。
蒸気機関車は入れ替えでうろうろしていたが特急富士が到着するときに丁度並んでほしかった。この写真撮りに何度か通った。
カメラを持った私は列車が来ているのにその前をあっちうろうろこっちうろうろ。
写真展をした時に今は線路に入る行為は犯罪ですからねといわれた。
この宮崎機関区で蒸気機関車が残っていたころに撮影の学生が人身事故を起こし裁判で機関区側が負け立ち入りが厳しくなったそうだ。
機関庫なども立ち入り禁止になっているところが多いようだ。

特急富士は東京と西鹿児島駅を24時間で結んでいた。そのブルトレ富士も終着駅が短くなり2009年3月についに廃止となった。特急富士は日本で最初の特急で1929年だそうだ。「つばめ」や「はと」は戦後生まれの特急

日豊線は特急をDF50が牽引していた。鹿児島本線はDD51が特急ブルトレを牽引していた。
DF50も昭和50年代に四国で最後を迎える。この頃の映像はビデオレコーダが普及していて音も入っていた。蒸気機関車の頃は8ミリフィルムカメラのためいい画像は少ないようだ。

写真展をしていた時に国鉄で機関士をしていた人が四回も来てくれた。
ブルートレインのさくらの運転席に座っているところを鉄道マニアの人が夜中に撮影して後日、届けてくれたそうだ。国鉄で機関士をしていても業務中に写真を撮る事は運行の支障になるので写真は持っていないと言っていた。デジカメ時代でも機関士が業務中に写真を撮っていたと叩かれる事であろう。








茅葺き民家 長野県富士見町

2013年08月08日 | 茅葺き民家
撮影場所  長野県富士見町

中央道沿いの長野と山梨の県境の富士見町、小淵沢から清里の八ヶ岳の山麓の茅葺き民家を探す、東京に住む大学生の息子が古い車を使うというので東京に持っていくついでに息子と山梨周辺の茅葺き民家探索と観光を兼ねて走る。息子が車に慣れるためのものでもあった。
都会で学生が車を持つのは贅沢だったが駐車料金とガソリン代はアルバイトで稼ぐとの約束で許可した。
夏休みも終わり頃だった。観光地の民宿などはシーズンを終えてどこも空いていた。
リタイアした高齢者は八月末から九月が旅館も空いていて避暑の旅行には最適である。
清里などは涼しいので部屋にクーラーが設置していなかった。道路工事でもやっているのかと思ったら蝦夷ゼミの鳴き声だった。騒音に近いセミの声だった。
クマゼミも早朝からうるさいが鳴き声に旋律があるがエゾゼミは道路工事の騒音に聞こえた。
茅葺き民家を探すのに情報は持たずに走っていて偶然出会った民家を撮影した。丸みを帯びた寄棟造りであった。






懐かしい物  木の橋

2013年08月07日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県加茂川町(現在は吉備中央町)

岡山市に流れる旭川水系の宇甘川に架かる木の橋、対岸の川沿いに数軒の集落がある。
それを結ぶ木の橋、今はコンクリートの頑丈な橋となった。
橋の上を人が歩くまで待っていた。歩くには歩いたがよく分からない写真になった。

最近のゲリラ的に降る豪雨は怖い、一時間に100mm降る事も珍しくない。
一時間25mmで災害が出るといわれている。
鉄道も一時間25mmで運行停止となる。短時間に一気に降ると川に集中して流れ込むので短時間で水位が上昇する。
日頃流れの少ない小さな川がかえって危ない。堤防もないし川幅も狭いので被害が大きい。
高知のように雨の多いところは洪水に対して川幅も広くしてあるし橋に木材が引っ掛かりせき止めないように工夫がなされている。


日本茅葺紀行 その70 横浜市の茅葺民家

2013年08月06日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 横浜市金沢八景(京浜急行金沢八景駅隣)

勤めている頃、川崎に出張に行く事があり川崎の工場の人に神奈川県に茅葺民家はないかと聞いたら京浜急行の金沢八景駅の隣に二軒茅葺民家があると教えてくれた。
早く行動して撮影に行けばよかったのに15年近く経過した。そのうちもうないであろうと諦めていたらテレビに茅葺民家がでてきた。まだ残っているのだと千葉に撮影に行く時に立ち寄った。
この京浜急行沿線の茅葺民家は横浜近辺に住む人はみんな知っていたようで横浜在住の方の
茅葺民家の写真集にも電車と一緒にでている。

この民家の撮影の時はまったく歩け無くなっていて家内に撮ってもらった。
しかし、その後にユーチューブを見ていたら京浜急行金沢八景駅隣の茅葺民家が火災で焼失という投稿がある。何人もの人が撮影して投稿している。
多分投稿の写真の民家が焼失したのではないかと思われる。

懐かしの蒸気機関車写真展 その21 「駅の風景」 広島駅

2013年08月05日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 広島駅

広島駅を21時過ぎに発車する急行「音戸」夜汽車で大阪に早朝につく。
座席で寝るので十分寝られない。
呉線経由で糸崎までは蒸気機関車が牽引し糸崎から電気機関車が牽引する。
その当時だと糸崎からはEF58が牽引したのであろう。
その当時の客車には冷房装置はついていない。
夏場は蒸気機関車でも少し窓を開けて走行したのであろう。
通勤電車に冷房が入ったのが昭和45年7月だそうだ。
蒸気機関車は冷房を入れるにしても電力がない。
照明用の蒸気タービン発電機がやっとである。
蒸気機関車は発電機もコンプレッサーも一式備えつけられていた。
コンプレッサーはブレーキ操作用のエアーだった。常時加圧で圧力を抜くとブレーキが掛かる。エアーレスシャットの安全サイドで作られていた。

夜、広島駅で夜行の音戸が発車する前に三脚で撮影した。
露光時間はヤマカンで段階的に変更して撮影した。
私はこの後、九州に夜行で移動したが私を待っていたのは梅雨の雨だった。

この写真を銀河鉄道999のDVDの写真に使わせてほしいと依頼があった。
銀河鉄道999はC6248号機がモデルである。C62型は49両作られているのでC6248は実在する。
C6248で検索すると沢山の写真が投稿されている。私の写真よりいいと思ったが夜汽車の写真がほしかったのであろうか、写真を提供したらDVDをおくってきてくれた。
ネットで検索すると昭和30年代から昭和60年まで膨大な蒸気機関車の写真が残っているのだと感心した。

茅葺民家  広島県芸北町の民家

2013年08月04日 | 茅葺き民家
撮影場所 広島県芸北町(現在は北広島町)

広島県の北部、冬は雪が多くスキー場もある。
八幡原といわれる高原にある。
三段峡のある戸河内町の上にある。
八幡原というように高原の平野になっている。
平原になっているところは川がせき止められて湖になり堆積物で平らになりその後に湖が排水され平原が残ったのではないかと思う。
三段峡のハイキングの後に八幡原に立ち寄った。
私は三段峡など余り興味は無かった。初めから八幡原で茅葺民家を撮りたかった。いつも夕方の陽が傾いた時間帯の写真しか残っていない。
一人で来たかったが高速料金を支払っての撮影では観光もセットにしないと家計のムタである。

芸北町には茅葺民家が点々と残っていた。
広島県は寄棟造りがほとんどだがこの地域では入母屋造りで棟にはカラスオドシを乗せている。