懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物 日本通運木造建物

2013年08月03日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県山陽本線鴨方駅前

山陽本線の構内や駅前の風景を撮りに行ったが古い物がなく日本通運の木造事務所を撮影したものと思われる。
撮った本人もどんな意図で撮ったのかよくわからない。
日本通運は国鉄の貨物を一手に引き受けて輸送していたのでちょっとした町には事務所があった。木造の古臭い倉庫も持っていた。子供心に夏は涼しくひんやりする倉庫を覗きどんな物が入っているか見たものだ。木箱やむしろ梱包されたものが多かったように思う。
国鉄の貨物扱いがトラック輸送に競争で負け縮小から廃止となった。
国鉄とのつながりが強かっただけにクロネコヤマトなどの宅配に遅れをとった。
宅配の分野では弱いが航空便や船舶の大型貨物では過去の実績から今も強い。

昔はどこにでもあった日通の木造事務所を撮っている人もいるのではないかと思う。
これも昭和の消えた風景のひとつである。

工場で働いている時に原材料を運搬する業者の人と話しをしていた。
原材料を運ぶトラック輸送は儲からない。人件費、燃料代、トラックの償却費や事務経費で大阪から物を運んで3.5万から4万円しかならない。
それに比べてクロネコヤマトの宅急便は収益性が大変大きい
客が宅急便で荷物を1個1000円支払ってくれる。19トントラックで1000個運ぶと100万円の収入になる。集配所の経費や本社経費、配送の経費を入れても収益性は大違いと言っていた。クロネコヤマトも個人は高いが大口の場合は1個600円から800円で送ってくれるル。

日本茅葺紀行 その69 山形県長井市の民家

2013年08月02日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県長井市

新潟県から米坂線沿いに長井市に入り白鷹町に向かっていた。
最上川沿いに桜並木があると云うので走っていた。桜は古木で土手に並んでうえてあった。しかし五月ではもう桜はおわっていた。
町の中にも茅葺民家が残っていた。
そんな民家を撮影しながら白鷹町に向かった。
母屋は寄棟だったが倉庫は切妻造りだった。倉庫の向かいにももう一軒茅葺があった。

町並みの中や田園地帯に茅葺が少しであるが残っている。こんな光景がいつまで残るであろうか。





懐かしの蒸気機関車写真展 その20 「駅の風景」 鹿児島吉松駅

2013年08月01日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所  鹿児島県 肥薩線吉松駅

今回から駅の風景を四回にわたりお送りします。
駅は別れや出会い、仕事、旅行で立ち寄り。失意での別れと新天地を求めての降りたつ事もある。
駅や列車での男女の別れは昔から歌にもなった。
ほとんどが女性が失恋で旅にでる歌が多い。実際はどうか分からない。
男が女に振られて旅にでるのでは歌にならない。女性は失恋と呼び悲劇のヒロイン、男の場合は喋れば振られたといわれダメ男の評価しか受けない。
私はアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」と竹内まりやの「駅」が好きだ。

見知らぬ土地で夜汽車を待つ時は感傷的になる。雨の降っている時や雪のホームはさびしい。薄暗い木製の客車も寂しさが漂う。
いろんな客車や機関車、貨物が通り過ぎた駅、過ぎ去った昭和の光景は今思えばドラマのワンシーンだった。もっと昭和を表現出来なかったかと思っている。

吉松駅 C55型蒸気機関車スポーク動輪は魅力的だった。製造台数もC57に比べて少なく憧れがあった。吉松にはC5534とC5533号機がいた。
私が最初に撮影したのはC5534号機だった。そのころ宮崎県で働いていて宮崎駅で撮影した思いで深い機関車だ。これは混合列車と言われ貨物と客車が一緒に走行した。