懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

呼子のイカ

2013年10月21日 | 旅行
撮影場所 佐賀県唐津市呼子

呼子の朝市とイカを食べに行った。
佐賀県で茅葺民家を撮影し観光を兼ねて呼子にいく。
唐津には富士町の茅葺民家を撮影し虹の松原の撮影に行った事がある。
日本全国の白砂青松をカメラに収めるのも面白いと思ったが車椅子は砂地では全く動かないのでテーマには難しい。

呼子は「よびこ」ではなく「よぶこ」と読むのだそうだ。介護担当の唐津出身の女性が教えてくれた。
佐賀県出身の彼女に「とっとっと」と話かけた。大笑いしながら「とっとっと」と返事が返ってきた。「とっとっと」は席が空いているか聞く時に使う言葉でこの席とってありますかの意味で、席を取ってある場合の返事も「とっとっと」となる。とってあるのよいう意味である。地元の人ではわずかなアクセントの違いで会話になるのである。

もう一つの方言の言葉あそびは「この肉うまか」である。うまかは美味しいときに九州の人はよく使う。「この肉うまか」に対して「この肉は馬と違う牛じゃ」「ほんにうまかね」「何度言うたらわかのかこれは牛じゃ」

呼子はイカの漁港である。また朝市も有名でゆっくりと港や朝市を見学する。
港でイカを干している風景を撮影する。
イカの料理連休とあって大勢の人で食べるのに二時間半かかる。
こんなに待たされる怒りが体内に充満し味覚の神経も麻痺してしまい美味しい感動もなかった。やっぱり私は人の多いところは苦手だ。イベントや祭りには行く気にもならない。






日本茅葺紀行 その87 広島県大和町の民家

2013年10月20日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県大和町(現在は三原市)

大和町や世羅町、世羅西町は平坦な高原になっている。
この平坦な高原は賀茂高原と呼ばれ西は広島市の手前まで続く。
岡山県と同じ時代に生まれたのに岡山は大きな川が流れているため浸食されて深い谷になっている。
賀茂高原には大きな川は少ない。しかも分水嶺が島根県の県境でなく瀬戸内海から50キロほどの上下町あたりである。
上下町あたりの山だと高度も低いし河川の長さも短い。
川の浸食する力は高低差と河川の流域面積の広さによる水量の多さと地質であろう。
浸食されやすい石灰岩や火山の噴石などでは谷も深くなる。
2000メートル、3000メートルの落差からの勢いと500メートル程度の落差では水の勢いが違う。
賀茂高原は河川が短く高低差もなく雨量も四国南部や和歌山などに比べると半分以下のため
浸食が少なかったのではないかとおもう。

そんな高原のなかに昔ながらの集落が点在し茅葺民家も残っていた。
各地方で地域の茅葺民家を撮影したり絵を描かれている方がおられます。
そんな情報を元に茅葺民家の探索に出かけた。

大和町の茅葺民家は寄棟造りで棟仕舞は箱棟にしている。下屋もない。後ろにももう一軒茅葺民家が見える。

懐かしの蒸気機関車写真展 その40 「峠越え」 播但線生野越え

2013年10月19日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 兵庫県 播但線生野

播但線の新井から生野、長谷と登りが続くそれもトンネルがひとつしかないので新井の方面から登ってくるのが見える。播但線に並行して国道も走っているので撮影場所は沢山ある。
生野を出て長谷に向かう山の斜面はイベントがあると人の山となる。
遥か遠くから汽笛と煙で気持ちは高揚する。心臓の鼓動が早くなるのが自分でもわかる。
いまだかって撮影するときに心臓の鼓動が高鳴るのは蒸気機関車の撮影をおいてほかなかった。汽笛、煙、ドラフト音、クランクやレールの軋む音、聴覚、視覚、嗅覚がとぎすまされる。
消え去る蒸気機関車への惜別の思いもあったとおもう。もう二度と生野で蒸気機関車の爆走を見る事もないと思うと寒さで凍えながら汽車を待った日々を思い出される。

生野を越えると雪だった。播磨と但馬の気候の違いが峠ひとつで感じた。
今は播但線に並行して播但自動車道が走っているので昔の風景と様変わりしてアカン絵にならんという声を聞いた。
生野越えも走っている機関車がC57形だったから行ったもののD51形だったら行かなかっただろう。最初の写真の客車の一両目は客席と荷物室が一緒になったオハ二ではないか
いまではこんな車両は保存された物しかみられない。ごく普通に走っていたので撮っていないものだ。



茅葺民家  大分県の茅葺民家

2013年10月18日 | 茅葺き民家
撮影場所 大分県九重町

九重町はここのえ町と呼ぶ、以前、久住町(くじゅう町)が隣接していたため混乱を避けるために元千代の富士と同じく「ここのえ」と読んでいる。
久住山を中心とした九重連山はくじゅう連山と呼ばれている。

私も九州に勤めていた頃に三度九重山を訪れた。やまなみハイウエーが開通して快適な観光ルートであった。
茅葺民家を撮影を始めた平成になり高速道路も完備されてマイカーで九州の茅葺民家を撮影に出かけた。
家内はやまなみハイウエーを走った事がなかったので観光も合わせた旅行であった。
九重高原から日田市方面に帰っていたら茅葺民家が二軒並んでいた。夕暮れがせまってうす暗かった。手持ちでシャッターではブレる。この時は三脚を積むのを忘れていた。
さて困ったなんか台は無いかと探していたらビールのケースがあった。
これを借りて平地に置きカメラを置きレンズの下にタオルを当てシャッターを押した。なんとかブレずに撮れた。
玖珠町や九重町、日田市には茅葺民家が少し残っている。










懐かしい物 レンガ積み煙突

2013年10月17日 | 懐かしい物
撮影場所 佐賀県武雄市

武雄に向かって国道35号線の高架橋を走っていたら造り酒屋の煙突がみえた。
もう造り酒屋は廃業していたが人はすんでいるようだ。工場の一角に茅葺民家もあったが痛みがある。本来は高架橋の上から撮影すればよいが私は無理なので下の空き地から撮影する。
コンクリートの煙突はまだ残っているがレンガ積みは味がある。昭和の遺物である。
今度くる時は撤去されているかも分からないので撮影する。
佐賀県鹿島市の三河内の造り酒屋り茅葺民家とレンガ積みの煙突は取り壊されてしまった。
世の中にはいろいろなマニアがいてマニアのサイトは個性があって面白い。
煙突マニアもいる事である。ダムや水門ばかり追いかけている人もいれば団地ばかり追いかけている人もいる。
コンビナートなど撮影対象にならないと思っていたが今はツアーまである。私などコンビナートのど真ん中で働いていたので定年で辞める前に記念に撮っておくべきだった。
中で働いている者しか撮り得ない写真もとれた。(ちなみに工場内は撮影禁止、しかも職務中に職務に関係ない事をするのは罰則の対象)
ブログで自分の働いているコンビナートを撮影して投稿は処罰されますぞ。

日本茅葺紀行 その86 岩手県の草棟民家

2013年10月16日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岩手県大野村(現在は洋野町)

棟に草を生やした草棟民家、芝棟ともいわれている。
かっては関東から甲信越、東北と沢山あったようだ今は美しい芝棟を見ることは少なくなった。草棟ばかり調査研究されている人もいる。「芝棟」という本を見ると東京近辺にも残っていたのが伺える。
私も早く岩手県を回っていたらよかったのに岩手が最後になってしまった。
草棟のある北上山地は酪農をやめ米は作れないところもあり離農する家も多かった。
岩手の草棟の集落むを見ていると日本昔話の世界のように思う。




懐かしの蒸気機関車写真展 その39 「峠越え」 花輪線龍ヶ森

2013年10月15日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 岩手県 花輪線龍ヶ森

蒸気機関車で一番の撮影場所は峠越えであろう。
きつい勾配で見晴らしがよく撮影場所が確保されているところは名所ともなっている。
露出さえ間違わなければ誰が撮っても70点くらいの写真が撮れる。
重連や三重連も
見られるしスピートがゆっくり登ってくるので何枚でもとれる。
しかし、龍ヶ森のような名所は多くの人が訪れ沢山の写真が残されている。
それでも一度は訪れたい場所である。
私の撮影していたころは手動カメラでピント合わせフィルム巻きも手動、撮影中に露出を変える事はできなかった。
今のカメラは何もすることはない。連続にしておけば勝手にピントも露出も変えて写してくれる。動く鉄道写真などの撮影も大変強い。

私の頃は52mmの標準レンズだけで撮影していた。しかし、蒸気機関車の汽笛やドラフトの音が聞こえると気分が高揚し心臓鼓動も高まり冷静さを失っている。
遥か遠くシッター切り始める。そうして肝心の場所に来たらフィルムがなかったり、カメラがトラブルが起きたり手ぶれやピンボケとロクな写真がのこっていない。欲張って二台で撮るため双方失敗もよくある。撮影技術より心の鍛錬が必要である。
利口な人は一枚しか撮らなかった人もいる。
マウンドコントロールを付ける前にマインドコントロールである。
ピンチに立った時にどれくらい冷静になり実力を発揮できるかである。

シャッターブレを起こさないため三脚にセットして撮影する。
三脚で撮った写真は面白くない写真に躍動感がない。被写体も煙も動いているので手持ちでずっと追いながら風景とともにカットしていかないと躍動感のある写真にならない。
手持ちと三脚で撮った写真を見比べたらよくわかる。




茅葺民家 岡山県加茂町

2013年10月14日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県加茂町(現在は津山市)

加茂町の奥まった集落に10戸ほどの民家があった。
そのうち二軒が茅葺民家があった。
土地の関係か一戸は東西に一戸は南北に建っている。
田や畑もそう広くない人々はどんな暮らしで生計を立ててきたのであろう。
車社会になれば外に働きにでたと思う。
それ以前、昭和30年代の生活が知りたい。
ひとつの集落にも長い歴史があると思う。
風水害の被害や火災、疫病などにどう立ち向かってきたのか
集落の結束を強くするための互助や冠婚葬祭、祀りや行事の維持
暮らしの工夫や産業なども聞いておくと撮影の参考になるとおもう。
本来は聞いた話をイメージしながら対象物を探しカメラに収めるのがいいとおおう。
撮影に来た者にすぐに心を開くものでもないし自分たちの恥になる事を口にする人もいない。
田圃の法面の茅を葺き替えに使うのであろう。普通は法面は草刈りをするものだが茅だけのこしてあるところをみると刈り取り納屋に葺き替え用として収納するのだろう。






ていたらく

2013年10月13日 | 日記
「ていたらく」は「体たらく」とも「為体」とも書く

意味は「すがた」とか「なりゆき」「ありさま」の意味だが現在は放送などで全く違った意味でつかわれる。

よくみのもんたが朝の番組でいろいろな事件があった時に「役人のていたらくぶりが目に付く」といっていた。
あんな言葉の厳しい世界で影響力の大きい人が誤った使い方をするのかと思う。
ていたらくを「低堕落」と思って使っているのではないかと思う。「たらく」と「だらく」では大違い。

みの本人が放送中に女子アナの尻をさわったり、息子の窃盗容疑もていたくな親子だというのであろうか。

懐かしい風景  六地蔵のある風景

2013年10月13日 | 懐かしい物
撮影場所  岡山県美甘(みかも)村(現在 真庭市)

美甘村から県道55号を湯原温泉を目指し茅葺民家を探して走っていた。
峠を越えるところに六地蔵が並んでいたので撮影する。
両脇に太い杉の木が立っていてその間に六地蔵が据え付けられていた。
上り口が整備されていて草も生えていない。
訪れる人も整備する人もいるのであろう。
峠道の頂上付近にあり歩いて登る人の安全を守り集落を災いから救うために信仰されてきたのであろう。長年信仰されてきた神仏には霊気がみなぎる。

六地蔵とは次のように書いてある。
仏語。六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う6体の地蔵菩薩(ぼさつ)。地獄道の檀陀(だんだ)、餓鬼道の宝珠(ほうじゅ)、畜生道の宝印、修羅道の持地(じじ)、人間道の除蓋障(じょがいしょう)、天道の日光の各地蔵菩薩とするが、異説もある。