懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その85 山口県周南市

2013年10月12日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山口県周南市

周南市は徳山市や下松市、新南陽市などが合併してできた。山口県の海岸沿いのコンビナートが続くエリアです。
山陽本線はこの石油、化学コンビナートの横をはしる。
私のとこからだと山口県は高速道路を使わないと一般道では無理である。高速道路を使いガソリンを使ってあてもなく走って茅葺民家を探すのはリスクがありすぎる。
何軒かある情報が得られれば出向く、この時の山口行きも何軒か茅葺がある情報が得られたので出向いた。随分沿岸部から山に入った。目的の民家をさがしたら後はその周辺をはしる。
しかし、網の目のように走るには時間がなくありそうなところを探すしかなかった。
写真の家は山の中から街に戻る時に発見した民家である。
山間部にはほとんど平地は存在していない。石垣を積み平地を確保しているめ。棚田であり宅地を確保している。この茅葺民家は蔵も持っていて昔からの民家である。
棚田や宅地の石垣が素晴らしい。人々の長い営みの歴史が感じられる。

これを撮影した時はすでに歩行は支障をきたしていた。杖を付き電柱のあるところまで歩き電柱を背当てにして身体を安定させて撮った。そんなどうでもいいような事が写真を見れば思い返される。


懐かしの蒸気機関車写真展 その38 「機関区」 機関車集合-2

2013年10月11日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 福岡県田川市 後藤寺機関区

田川線、後藤寺線の貨物列車を牽引する9600形蒸気機関車が勢ぞろい。
客車はC11形が牽引していたが後藤寺は通過していたのであろうか、
機関区には停車していない。
木造の機関庫に木造の倉庫や建物。昭和の風景である。
蒸気機関車が廃止になれば撤去される設備も多い。
それまで金を掛けず昔の建物で残してあったのだろう。
炭鉱の町でもあった繁栄と衰退を味わった町でもある。
40年ぶりに田川市を訪れたがかって機関区のあったところや線路には行かなかった。
いって現状の変わった景色をみてもしょうがない。
私の記憶は昭和40年代の風景のままでよい。一度見ると過去の記憶がリセットされそうである。

9600蒸気機関車を正面から撮っている。こんな位置から撮影できる建物はない。
多分、前にもう一台機関車がいてテンダーに乗り撮影したものとおもう。
機関車のテンダーについているモンキータラップを昇ったのであろう。
マナーの悪さでひん色をかいそうな写真である。
蒸気機関車のテンダーに乗るのは落下もあるが感電する危険もある。
広島機関区や岡山機関区、姫路は山陽本線が電化していたので機関区の構内の一部に架線が張られていた。







茅葺民家  犬のいる風景

2013年10月10日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府美山町長谷


茅葺民家を訪ね歩くと犬や猫を飼っている家に出会う。ほとんどの家では犬に吠えられ猫に逃げられる。
こんなに大人しくポーズを取ってくれる犬は珍しい。
犬の種類にもよるが雌犬はおとなしい。雄犬は気性が荒いのがいる。
それでもおしっこをちびりながら喜び腹を上に向ける犬もいる。
動物と茅葺民家を一緒に撮った写真でひとつのジャンルができる。
犬、猫、牛、ヤギ、鶏

古い町並み 岡山市西大寺

2013年10月09日 | 古い町並み
撮影場所 岡山市西大寺

西大寺は昭和44年までは西大寺市であった。岡山市に編入された。
昔は西大寺の門前町や高瀬舟の運行など海運の町だったようだ。
海運が廃れてからは大量の水が必要な繊維産業が進出する。
小さな町なので戦災にも遭わずに古い建物が残っている。
昭和の時代に撮影に訪れたが余り根性の入った写真が残っていない。
標準レンズでの撮影だったので撮影に苦慮するところもあった。
昭和の時は撮影してどう作品としてまとめるのかどう計画して撮影するのかも決めずただ単純に撮っただけであった。当然撮影に時間も取っていないし気持ちも入っていない。
そんな事もあり平成に入りフィルムカメラを持ち西大寺の町を訪れた。
街の中に切妻の茅葺民家と本瓦葺きの民家があったので撮影する。




日本茅葺紀行 その84 長野県信濃町

2013年10月08日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 長野県信濃町

北信濃の茅葺民家を探しに走った。
信濃町の旧北国街道の柏原宿近くにあった茅葺民家
野尻湖から小林一茶記念館に立ち寄るため走っていて発見する。

野尻湖はナウマン象が有名だがこの象が絶滅したのは人が捕獲して食べてしまったそうだ。
笑ってしまった。人間の欲望で滅んでしまった動物なのだ。

小林一茶は藤沢周平の全集に入っていたので読んだ事がある。俳諧という不安定な仕事と望郷の思いで信濃に戻るが家督争いや結婚しても子供の死や嫁の死と不幸がかさなる。
子供はすべて亡くなり嫁の腹に子供を宿し一茶は亡くなる。
何十年も江戸で暮らし田舎に戻り土地をよこせと弟と家督争い。村の人からはよく思われなかった。それでも今は一茶は町の宝である。
個人のお宅を見ると一茶の句碑を建ててある家が何軒かあった。


懐かしの蒸気機関車写真展 その37 「機関区」 機関車集合

2013年10月07日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 岡山市 岡山機関区

D51蒸気機関車が勢ぞろい。五台も六台も並んでいた。
D51ばかりで面白味がないと思いながら撮った。
今考えるとこれだけ蒸気機関車がそろうのは有難いことだ。
それも一回撮影すれば同じ光景は撮らなくなった。
毎回撮っておけば違った光景に出会うはずだ。毎回視点を変えて撮っておく事も必要だつた。3重連や重連編成があり機関区にはこんなに機関車が置かれていた。
機関車一台一台を撮影して機関車のコレクションをすべきだった。
今のようにデジカメとパソコンがあればコレクション撮影をすると面白い。





茅葺民家 広島県東城町の民家

2013年10月06日 | 茅葺き民家
撮影場所 広島県東城町(現在は庄原市)

東城町は広島県の東北部で中国山地に接しているが私が訪れた時は余り茅葺民家は残っていなかった。
この家は国道314号線沿いにあったので通った人はだれでも気付く。
東城の町から高度を上げて高原の風景になる。裏の高台に昇り全景を撮る。
これを撮った時は気付かなかったが裏に牛を飼っていた。
昔は中国地方の山間部の農家で牛を飼っていたのであろう。




懐かしい物 手押しポンプ

2013年10月05日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県作東町

茅葺民家を撮影していて立ち寄った家に手押しポンプがある。
私は昭和の建物や鉄道を撮ってきた。平成になっても昭和の遺物を撮っている。
井戸や手押しポンプも昭和の遺物である。
井戸と手押しポンプは大地震の時の飲料水、消火用水としての見直しがされている。
東京練馬区は515カ所の井戸を防災時の井戸として指定しているというのを新聞で見た。
平常時に防災の準備をして住民に知らしているのは立派である。
ポンプの位置と表示をしてポンプのメンテナンスも区で実施したそうだ。
個人に一日一人3リットルの水と一週間の食糧を用意するように指導があるが水はペットボトルを家族分買い置きしても置き場所が難しい。
我が家はほとんど対策を取っていない。しかし田舎住まい人は米は一年分買っている飢え死にすることもないだろう。

井戸を掘るにも私の住んでいるところは洪積地で地下水にわずかに塩分が残っていて飲料水に向かない。かって砂浜だった所はいつまでも塩が抜けない。
井戸を掘った人が洗車に使っていたら車が錆びてきて会社で塩分チェックしたら少し塩分があったそうだ。かって伏流水が流れてい所はいい水が得られるが干拓地は井戸は難しい。

文月メイの「ママ」の歌は泣けた

2013年10月04日 | 日記
文月メイの「ママ」が有線放送に歌詞が過激との事で放送禁止になったという。聞いてみると歌詞に泣いた。
多くの人が感動して泣いたと書いてある。
わたしも放送禁止にするのではなく子供虐待のキャンペーンソングにすべきだと思う。

子供を虐待するのは親から虐待を受けた。親から言葉の暴力を受けた。父親の母親へDVをみてきた。酒乱の父親の恐怖におののいてきた。
夫婦仲が悪く子供にあたる。失業やリストラ、貧困で子供に当たる。等があったのではないか

私には子供に男の子が三人いる。
そのうちの一人が小学校高学年になりうるさいので平手でたたいた事がある。これを根に持ち私に反抗が強くなり私の言うことを聞かなくなった。母親にはいつも笑い声で楽しく話すのに私には短い返事しかしない。
大人になり少しは会話もするようになったが父親としての尊敬をしていなかった。他の二人とは私への思いやりがちがった。それでも私が車椅子生活になってからは車の乗り降りの介助や車椅子の積み込みを家内に代わりやってくれるようになった。
私が死んでも彼はは余り悲しいおもわないかもしれない家内が死ねばこの子は立ち直れないのでは思った。種田山頭火は最愛の母の自殺がその後の人生を大きく変えたといわれていする。

大阪の高校バスケットのクラブの先生が皆の前で主将を30発も叩き続けた行為はどれほど自尊心を傷つけられたことか 親にも叩かれた事のなかった子ならば人前でどれほど辛かったことか

やはり子供を叩くべきでなかった。暴力は憎しみや自尊心を傷つける事しか生まない。



懐かしの蒸気機関車写真展 その36 「機関区」 燃焼室の掃除

2013年10月04日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 宮崎県佐土原町 佐土原駅

佐土原には機関区の機能を持っていた。
給水、給炭、燃焼室の掃除や点検もやっていた。
C6124号機の燃焼室を開けて炉内の掃除をやっていた。
エアーを使いボイラーチューブに付着した煤を除去している。
下に溜まった灰はスコップで掬い出す。
炉底に溜まった石炭ガラは下からピットへ落す。
燃焼室の扉を開けるときは熱風が作業員にふりかからないように煙突の下から蒸気を出して煙突に排出するようにしている。

石炭は灰分が5パーセントあり掃除をしないと灰が詰り燃焼を悪くするし効率も悪くなる。

地球はすごい星である。地球の生物は炭素と水素と酸素でできている。
地球が出来た時の元素を使い生物が生まれた。地球は元素が宇宙に飛び出さないようにシールされた膜の中で循環している。水も減る事なく循環している。人間は太古に生まれた石化燃料を生活に使っている。しかし、その元素の数はいつも一定である。地下に埋蔵された炭素を使い切ったらどうなるのであろうか。地球の空間には炭酸ガスが充満し気温が上がり人類は滅び炭酸ガスの増えた環境でも死滅しない生物だけが生き残るのであろうかと石炭を見ながら思った。