懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行  NO,122  山形県白鷹町の民家 その2

2014年04月09日 | 日本茅葺紀行
前回に引き続いて山形県白鷹町

桜の花の咲く頃にもう一度東北へ行ってみたいと思う。4月20日から25日ころがいいのではないか、水仙や芝桜やチューリップも見られる。山野草の同時に見られる。
五月中旬になると山野草がぐっと少なくなる。
山形県は茅葺民家も残っているのでいい光景が撮れると思う。
私は山形に行けば道の駅で「イモ煮」を食べるのが楽しみである。
スジ煮というのもあり牛の筋肉を長時間ゆっくり煮たのも美味しい。


岡山の茅葺民家写真展 -4 野呂に生きる その1

2014年04月08日 | 岡山の茅葺民家写真展
民家の裏では白い三椏(みつまた)の花が咲いていた。

撮影場所 岡山県旭町(現在は美咲町)

野呂はなだらから山の山頂付近をそう呼んでいる。
岡山では野呂と言われているが辞書には載っていない。
そうして一番頂上付近を空とよんでいる。
昔の人は山の高いところに住むのを「あのひとの故郷は空の方の方の出じゃという。
野呂姓もあり野呂田さんという大臣もいた。
広島県呉市には野呂山という山もある。

写真のような周りにこれ以上高いところがないところは空と呼びたくなる。
野呂と同様に空という地名も岡山にはある。

山の上のため畑作中心で田は下に下った棚田でしか造れない。
私が撮影して20年、わずかに20年で集落の崩壊が始まっている。
農産物の生産性は低いし大きな道路や工場が出来る見込みもない土地は廃屋が増えて棚田には雑草や杉が生い茂っている。


茅葺民家 島根県木次町の民家

2014年04月07日 | 茅葺き民家
木次町は今は雲南市になっている。
斐伊川水系に尾原ダムがある。立ち退きて茅葺民家も消えた。
ダムの建設でこの家も立ち退きになった。
二軒並んでいた。この位置まではダムが満水になっても浸かる事は無かったが斜面になっている地域は全て立ち退きの対象となる。
満水になり斜面の地盤が緩み岩が崩落する事がある。斜面に沿った道路は残る事もあるが民家は立ち退きとなっている。
ダムが建設される前に何度か訪れた。
立ち退きが決まっていたので建物や設備に金も掛けず昔のままの生活が残っていたのが懐かしい。立ち退きになった家も造成された土地に新しい大きな家を建てオール電化の暮らしをしているのではないか。


蒸気機関車 直方のC55形蒸気機関車

2014年04月06日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県筑豊線直方駅

C5551号機とC5557号機が無蓋車を挟み並んでいる。二台ともデフレクターを切り取った門鉄デフである。何の変哲もない写真だが鉄道ファンは写真一枚で何十分も語る。
直方の広いヤード線路を何本も跨ぎ機関車の脇まできて撮影したのであろう。
性能のいいズームレンズの無かった時代は単レンズの標準レンズで撮っていた。
走行していない蒸気機関車を眺めるのもいい。

何かをテーマに長年撮影するのは作品としてまとめ写真展や本の発行をするほかに晩年を迎え病弱で歩け無くなってもアルバムを開けば頑張って撮影した頃が思いだされ何か心が落ち着くのである。人に感動を与え思いでを沢山残すために写真は撮るのであろう。
しかし、人に感動を与える写真はなかなか難しい。
自分だけが満足しているだけの写真も多い。人に見せて忌憚ない評価を受ける事であろうか。

日本茅葺紀行  NO,121  山形県白鷹町の民家

2014年04月05日 | 日本茅葺紀行
山形県の長井市や白鷹町には桜の古木が残って知る。
案内用のパンフレットもあり撮影の傍ら巡ってみた。
古木だけあり枝の腐っていたり支持する柱でむやっと立っていたりの桜が多い。
時代を生き抜いた厳しさ威厳もあるが私は歩ない自分を見ているようで好きになれない。
老木の脇に次世代の桜も植えてある。それを見ていて桜は一杯花を付けて若々しい勢いのある桜の方がよいとおもった。

白鷹町の桜のある民家もついでに撮影した。
桜のシーズンには桜のある民家を追ってみるのも面白いかもしれない。
桜のシーズンの一カ月桜を追って民家巡りもしてみたいものだ。


岡山の茅葺民家写真展 -3  斜面に暮らす その3

2014年04月04日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県建部町

棚田地域の斜面に家がある。棚田は浸食により削られた斜面に田を作ったものです。
岡山県と広島県は同じような地形ができたと思うのですがその地形はあきらかにちがう。
広島県の世羅町や東広島市などは高度が300メートルから400メートルの平野が広がる。
岡山県も高度が400メートルくらいだが浸食により深い谷になっている。国道や主な道路はは谷底を走っている。
岡山県には大きな川、吉井川、旭川、高梁川が流れていて長時間かけて浸食したものと思われる。広島県には瀬戸内海にながている大きな川は太田川だけである。
岡山県の分水嶺は鳥取県の県境だが広島県東部は上下町あたりで距離が短い。
河川の浸食度合いは岩石の柔らかさもあるが水量と高低差がある。

岡山県の中央部の谷筋は浸食により削られているために棚田を造り稲を植えるしかなかった。


家の裏から向かいの斜面を見る。





茅葺民家 鳥取県智頭町の民家

2014年04月03日 | 茅葺き民家
鳥取県智頭町奥地区に鯉幟と武者幟を沢山立ててある家があった。
武者幟は10本、嫁にやっても金の掛かる地域だとおもった。
こんな風習の地域があるのだ。

そこをお婆さんが籠を担いで歩いて来た。
私は根気強く人が来るのを待つ方だ、蒸気機関車の撮影で待つ事はなれている。
撮影のスタイルはいろいろある。写真は誰が見てもどれくらい時間を掛けているかどれくらい粘ったかが分かる厄介なものだ。
早朝の風景を撮る人は4時頃には現地で準備をしている。
鳥を撮る人も根気がいる。何処の世界でも凄い人がいる。
茅葺民家の撮影で人が来るのを待つくらいちょろいものだ。


懐かしい物  煙草の乾燥小屋

2014年04月02日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県加茂川町

かって煙草乾燥小屋は各地に沢山あったがいつの間にか消えた。
消えるのが惜しまれることなく次第に消えた。
これもまた昭和の風景であった。
古い土蔵造りのために厄介物のように取り壊されたと思う。
家庭でも社会でも役に立たず自分の結末を見ているようで悲しい。

私は子供頃に農業体験がないので昔の話は分からない事が多い。
写真展をした時に煙草の乾燥小屋に染みついた匂いや蚕小屋の匂いが鼻に染みついて残っていると言った人がいた。また、煙草の軸を干して風呂の焚きつけに使っていたが煙さが煙草そのもので子供には息が苦しくて堪らなかったと言う人がいた。
風呂など電気温水器で沸かす事も無くなった。こんな体験を話す人も少なくなった。

日本茅葺紀行  NO,120  山形県米沢市大沢の民家

2014年04月01日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県米沢市大沢

かっての旧街道 大沢宿、米沢から細い道を南下する。山の中を民家もないなか小さな集落にたどり着く。
かっての宿場町の様子を何軒かの茅葺民家が残す。
何軒か並ぶ茅葺民家を裏から桜を入れて撮影する。
季節は五月初旬であったので桜が残っていた。
途中の山道にはカタクリが咲いている。山形では山際の道には普通に咲いている。
カタクリは山菜として採っている人もいるし道の駅でも売っている。 
生えているのを抜いて食べたが少し甘みがあり癖のない葉っぱだった。
いつかカタクリの干したのを買ってきたがあれは美味しくない。

大沢から板谷峠は国鉄時代の難所だった。
碓氷峠、瀬野八本松、板谷峠が三大難所といわれていた。
大沢駅から始まり四駅にはスイッチバックがあり補機が付いたと書かれている。
今の電気機関車は性能が高くスイッチバックの必要がなくなった。
瀬野八本松でも以前は補機を付けていたが今は一台の機関車でぐんぐん登ってくる。
私は昭和47年に米沢から夜行列車に乗り東京までいっているがスイッチバックには全く気付いていない。
米坂線の蒸気機関車には興味があったが電化区間は興味が無かったのだろう。