懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家 鳥取県智頭町

2015年06月21日 | 茅葺き民家
智頭町は岡山県のとなりどこから入るにも峠がある。
中国山地が横たわっているので峠を越えないと行けない。
峠と言っても600メートル程度で車だと苦になる峠ではない。
国道53号線が岡山県の奈義町と鳥取県の智頭町を結んでいる。
国道の上から茅葺き民家が見えた。因美線の脇にも何軒かあった。
ここも過疎化人口減少で住む人がいない。葺き替えの費用が捻出できない。
でトタンを掛けるか取り壊す家が増えた。
智頭町で茅葺き民家を探す事も難しくなった。
ここ15年は茅葺きにとって厳しい環境になった。

ここを通る都度、心躍らせ撮影した過去がおもいだされる。
それにしても民家の撮り方が下手だなあ。、




日本茅葺紀行 NO,222 兵庫県篠山町後川

2015年06月20日 | 日本茅葺紀行
三田市との境の後川地区に田植えのころに行った。
緑が美しいまでは良かったが蛇が一番行動する時期だ。
交尾の時期でもあり絡み合っている蛇もいた。
カラス蛇に縞蛇がからんでいたのでどうするのと見ていたらカラス蛇は必死に逃げた。
この地域も過疎化で空き家も多い。石垣も沢山ある。
蛇の天敵は何と言っても人間である。カエルも多い。丸々と蛇も肥えている。
人が住まなくなった集落は蛇の天下である。
茅葺きの撮影には畦道や草むらも歩かなくてはならない。
マムシにかまれないように長靴で歩くが草むらからにょっきと顔を出されると気持ち悪い。
この日は26匹の蛇に遭遇した。
こんな蛇の多かった場所は他になかった。


神か仏かイチローか

2015年06月19日 | 日記
イチローの安打記録を毎日表に記録していのが日課になっている。
3000本安打、500盗塁の達成を願って日々記録している。
ヤンキースに移籍して現在まで遅々として安打が増えない。
レギュラーならば今年中に3000本安打も達成出来ていた。
いまのままでは何年かかるやら
しかし、こんな境遇でも腐る事なく数少ない出番に実力を発揮するのは千日回峰の修行僧にも思える。
41歳の年齢にしてMBLで頑張れるのは驚異でもある。MLBに行っても2年、3年で帰ってくる選手が多い。
年齢が40歳を超えると速球が打てなくなる。それと走るが遅くなる。それとどこか身体的な故障が出てくる。

イチローの凄いところは
1.150キロを超える球速に振り負けない。
2.盗塁の失敗が少なくできる。
3.守備も肩も素晴らしい。
4.故障がほとんどない。あれだけ走りバットを振れば筋をいためたり捻挫や腰を痛めるものだが
和田が42歳で2000本安打に達した。2000本は選手の勲章でもあるがイチローはその倍以上を打っている。まさに神の領域だと思う。

わたしにはイチローが神の存在に見えてきた。現役を引退すれば神話として語りつがれるのだろう。
何年かかってもいいから3000本安打、500盗塁を達成してほしい。
この歴史的快挙を見られるのは幸せである。見届けるまでは生きたいと思う。

蒸気機関車 C5534

2015年06月19日 | 蒸気機関車
撮影場所鹿児島県 肥薩線吉松駅

C55形は美しい機関車だった。
スポーク動輪が軽やかだった。
それでも蒸気機関車の終焉時期まで残っていたので撮影している人は多い。
62両の製造だったので走っている場所が限定されていた。
北海道の宗谷本線、北九州の筑豊線、南九州の肥薩線や吉都線、日豊線で見掛けた。
私が蒸気機関車の本を買いSLの写真を撮り始めた最初の頃に出合ったのがこのC5534であった。宮崎駅のホームに停車しているのを撮影した。
フィルム感度もISO100をつかっていたので暗いところではぶれたりしていた。
そのまま蒸気機関車を撮り続けていたら良かったが軟弱な性格ですぐに止めてしまった。
いまにして思えば昭和の高度成長期という変化の大きな時代に生きながら時代の記録の必要性に気付いていない。
趣味の世界にしても金儲けの世界にしてもいくらでもチャンスのあった時代であった。
それに気付かなかったのは痛恨の失策である。
還暦を過ぎると人は時代を振り返り自戒の念に駆られるものだ。


岡山の茅葺き民家 旧赤坂町の民家

2015年06月18日 | 茅葺き民家
赤坂町は岡山県の中央部り南側にある。御津町から小さな峠を越えて岡山県の東北部に行く時にこの道をよく走った。
その道路から見えるところにこの家はあった。
旧来の民家が造りや屋根瓦からうかがえる。庭も整備され周囲は塀に囲まれていた。
家の人に断りを入れ庭の築山の上から撮らせてもらった。
この位置が民家が一番美しく撮れるポジションだと思った。
写真家は4WDの車の上に登れるように梯子と天井に足場を付けている人もいる。脚立を常時車に乗せている人もいる。一メートル二メートル高い位置から撮るだけで非日常的な風景になる。
残念ながらこの時はカラーフィルム用のカメラを持っていなかったのでモノクロしか残っていない。

NHKラジオ 熟女B

2015年06月17日 | 日記
パソコンをしながらNHKラジオをよく聞く。
特に「ごごまり 午後のマリア―ジュ」の金曜日は必ず聞く。・
山田マリアが進行役で13時から17時まで音楽が流れる。前半2時間がポップス、後半2時間が歌謡曲
リスナーは中高年なので最近の曲は掛からないのが安心できる。

先週の金曜日の「歌謡曲てなんだ」
に掛かった曲が驚きだった。
五月みどりが唄った「熟女B」がかった。
初めて聞いたが歌詞に驚いた。
また山田まりあが過激な歌詞の部分を読んだもので爆笑になった。

この曲は中森明菜の歌った少女Aを意識して1980年代の曲だそうだ。
番組を進行しているほとんどの人が知らなかった。
民放だとスポンサーからクレームが来るのでかかる事はないと解説の近田春夫氏は言っていた。NHKだから放送禁止のフォークソングでもかかる。
放送が流れてもみんな大人だと思った。クレームや文句のかき込みょする者もいなかった。

ユーチューブでも聞けるので興味のある人はどうぞ。

参考までに歌詞をコピペしました。

熟女B」の歌詞は 歌手は五月みどり
-
バナナの皮をむくように
私の服を脱がせたら
しばらく明かりをつけたまま
見下ろしていてほしい
あなたの眼に犯されて
あたしは堕ちていく
(らららら~ら~んんんん~)
燃えやすい年頃
あたしだけがすごいんじゃないわ
みんな本当はこうなのよ
左の乳房に貞操を
右の乳房に欲望を
包んで生きているオンナ
あ・た・し・熟女・B~

自分の指を歯で噛んで
あたしが涙流しても
たいしてのらない顔をして
じらし続けてほしい~♪
あなたの手に遊ばれて
あたしは堕ちていく
(らららら~んんんん~)
燃えやすい年頃~
あたしだけがすごいんじゃないわ
みんな本当はこうなのよ
左の瞳でメルヘンを
右の瞳で現実を
見つめて生きているオンナ
あ・た・し、熟女・B~


茅葺民家 兵庫県三木市

2015年06月17日 | 茅葺き民家
三木市の山間の集落には茅葺き民家が残る。少し走れば神戸市だ神戸の中心地まで40分もあれば行ける。
そんなところに昔ながらの茅葺きの残る集落があった。
県道を走っていたら豊臣秀吉の家臣、竹中半兵衛の墓があると書いてあった。
播磨平定の折に病死している。
町に近いのに茅葺き民家が残るのは葺き替えの費用が農業収入以外で得られる働き場所があるからであろう。
しかし、当世になると茅葺き民家の維持は難しくなったのか随分減った。
ここも放置解体のケースがでている。

暑い時期の撮影だった。カメラに汗が落ちないように拭き拭き撮影した。
民家はゆるい斜面に階段的に並んでいる。
こんなところの民家は下から撮ってもいい写真にはならない。
上の家に断って背後から撮影する。集落の田畑も入れる事ができる。
写真は空が多くならない位置で撮るようにしている。




死生観、人生観

2015年06月16日 | 日記
私も家内も街の医院の女の先生の診察を受けている。
病院の先生に色々指導されるのが一番のストレスになっている。
指導される事を守れないし努力もしないので余計にストレスに感じる。
看護師さんに病院に来るのが一番のストレスだ。先生との会話が早くおわらないかと思っていると言ったら検査結果の紙に先生との対話がストレスとメモされていた。
先生もそのメモを見て苦笑されていたが、今日も課題をもらった。
家内も私も大病をしているのでいつ永久の別れがくるかわからない。
二人で暮らしてきた人生を振り返り死生観や人生観としてまとめたらどうかと言われた。

それは男のあなたがまとめないと主婦には難しい。
先生、私は恐れ多くも人生観などというものを持って生きてこなかった。
上段に構えて心にもない事は書けません。と言った。
誰しも言うほど立派に生きてきた人はいない。
自分たちが結婚して家庭を築いたありのままを書いたら書いているうちに自分の愚かさや足りなかった事にも気づく、夫婦どちらかが亡くなったら、それが残った者の心の支えなるからと言われた。

毎日何をして暮らしているのかと聞かれたのでブログを書いていますと言ったら、それよりも夫婦二人で暮らした人生をまとめたらと言われた。
日記は結婚前から書いているが自分の事しか書いていない。妻へのねぎらいや子供の事はほとんどかいていない。
男は自分事しかやってこなかったのがよくわかる。
さてどうまとめるか頭が痛い。書き遺しても誰が読むの?

日本茅葺紀行 NO,22 広島県旧向原町

2015年06月16日 | 日本茅葺紀行
向原まで一般道日帰りで行った。
このあたりまでなら高速道路は使わない。1
何軒か茅葺き民家が残っていると聞いた。
鉄道の写真を撮っていた頃も訪れていない。
私が鉄道を撮ったのは数年だった。
ひとつの事をやり通すには20年は頑張らないといけないと残りの人生が短くなって気づいた。
一生一作品を残すために各地に出かけて茅葺き民家を探しもとめている。
これからは段々と条件が悪くなりコストも掛かる。
向原あたりは昭和40年代には懐かしさが一杯の風景が残っていたと思う。
それでも茅葺き民家がのこってくれるだけでも有難い。感謝感謝である。

この民家は小高い斜面にあった。百姓でも本百姓の家であろうか、蔵も持っている。
家には式台もついている。格別のお客を迎える玄関を持っている。
このあたりは大きな農家は式台を持っている家が多い。
早春でマンサクの黄色い花が咲いている。地味で目立たない花だが花のない時期だけに咲いたら話題にしてくれる。これが一カ月遅れて桜や春の花に混じって咲いても誰も気づいてくれない。


懐かしい物  木の半鐘

2015年06月15日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県吉永町

子供の遊ぶ公園に木の半鐘がある。
少し高台になっているので集落に聞こえやすいのでこに設置されたのか。
しかし、子供は面白がってジャングルでなくて木の半鐘に登るのではないすか。子供のころに半鐘に登りかけて叱られた事がある。
最近は木の半鐘に出合わない。腐って転倒の恐れのあるものは撤去されている。
携帯電話をほとんど人が持っている時代、半鐘自体が必要なくなった。
仕事にいっている人がいるのに半鐘は誰が叩くのだろう。
高齢者は高所で危ない。鐘を叩いても何の音か判るのであろうか
地震や津波の警報は訓練で聞いていないと実際の時に間に合わない。
半鐘の言葉も死語になりそうだ。