懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺き民家 英田町の民家

2015年06月14日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県英田町

英田サーキットに数キロの場所にあるが大分茅が痛んでいる。
住んでいるのは隣の瓦葺きの民家、葺き替えるのか壊すのかトタンを掛けるのか動向かが気になる。
この家は近所の家が離れているし以前は土の道だったので映画の撮影に使われていた。
春には道沿いに芝桜が咲いた。秋は彼岸花と蕎麦の花が咲いた。
英田サーキットの大きな大会があると道が少ないので大渋滞となり若い女性が夜中の10時にトイレを借りに来る。F1が英田でむ二回行われた・その時は仮設トイレを道路脇に置いてもらった。
六月には蛍が乱舞すると言っていたが、我々の住むところでは30分走れば蛍の乱舞は見られるので行っていない。


茅葺民家 島根県大東町

2015年06月13日 | 茅葺き民家
大東町は現在雲南市と呼ばれている。
奥出雲や雲南市には懐かしい風景が残っている。
牛を飼っている家も残っているし茅葺き民家も少しではあるが残っている。
新規に茅葺き民家に出合う事がないが二年に一回は訪れる。
鉄道ファンは鉄道写真を撮ったり乗り鉄をするのを鉄分補給と呼んでいる。うまい事いうものだと思う。ゴルフをやるものは芝刈りにいくという。茅葺マニアにはどんな言葉があるだろう。定期的にカメラを持ち茅葺き撮りに行かないと勘も鈍るしカメラにもよくない。
今年も大東町に足を伸ばした。茅葺民家が三軒姿を消していた。

初めて訪れた大東町は何か懐かしい風景が漂っていた。
懐かしいと思いプリントやスキャンしてみると大したことない事もよくある
しかし、大東町の茅葺き民家は懐かしい。昭和の風景のまま待っていてくれた。

写真の家もこのあたりにあったはずだが解体されて消えていた。
初めに撮る時に限界集落化が進み学校も廃止、家が壊されるとは想像できなかった。
写真だけでなく文章や民家の配置図も添えて残しておくべきだつた、


日本茅葺紀行 NO,220 大分県九重町の民家

2015年06月12日 | 日本茅葺紀行
九州では佐賀県、大分県は茅葺き民家が残っていると言われているが大分県は余り走っていない。日田地方には沢山あると言うがいってみるとなかなか見つからないものだ。
九州は観光と温泉と抱き合わせた茅葺き民家探しの気楽な旅がよい。
豊後森から久住山に向かう道沿いにこの民家はある。
2軒向かい合ってあったが一軒はトタンを掛けた。
九州で働いていた昭和41年頃に2度久住山に登った。
豊後森まで汽車で来てこの道をバスで久住の麓まで行き登った。昭和40年代は道が悪かった細い道でクネクネ登った。民家の軒先を縫うように走った。時代が何もかも古かった。
その時は鉄道にも茅葺き民家にもカメラにも興味がなく何の行動記録も残っていない。
今、この歳になると人生は記録であると思う。それも定年になり初めて気づくのである。
残り少なくなった人生を惜しむように60の手習いで必死になつて頑張るのである。
過ぎ去った時代は元には戻らない。


蒸気機関車 小樽築港機関区

2015年06月11日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道小樽市

蒸気関車を撮っている時に機関区を全部回ろうと考えていた。
しかし、撮影地ガイドブックなどが発行されて峠の撮影地など人気があった。
あれもしたい、これもしたいで一貫性のない写真になった、
また、冬場の北海道の機関庫は扉を閉めて撮影が出来ない。それから機関区を訪れるのは頓挫してしまった。
蒸気機関車を撮り始めたのも終盤の頃で悠長に撮れる期間は無かった。
あれもこれも撮るのではなく、ひとつのテーマを持って一点豪華主義で撮るべきたった。
機関区をすべて回るとか駅舎駅のホームの機関車を撮るとか自分しかやっていないものを残すべきだった。複線の平坦地で撮影した走行写真が沢山あるが標準レンズで煙のない機関車の写真ばかり、こんな写真は迫力もなく使えない。
それより駅のホームや機関区を訪れて撮ったほうが良かった。

特に機関区には鉄道遺産になる建造物が沢山あった。
あの当時は近代化遺産としての考えもなかった。
しかし、漠然と蒸気機関車が無くなればこの設備も撤去されるので撮っておこうと考えもあった。現に、昭和47年には梅小路機関区に蒸気機関車も機関庫、ターンテーブルも動態保存された。これをみれば近代化遺産に展開するのは想像が出来たと思う。
先の読める人はそれも頭に入れて撮影したのであろう。
写真を見ればその人の思慮の深さが見えるものだ。
蒸気機関車の写真だけは膨大な量の写真が残されている。
団塊世代の人は国鉄、蒸気機関車、昭和に思い入れがある。

小樽築港の機関庫内を三脚で撮影した。C622号機がいた。今日はC622号機の走行はないのだ。

岡山の茅葺き民家 阿波村の民家

2015年06月10日 | 茅葺き民家
阿波村西谷地区には何軒も茅葺き民家があった。
しかし、解体やトタンを覆ってしまった。
撤去された家は人が暮らしていた痕跡さえ消し去ってしまった。
集落の茅葺き民家がどう分布していたか配置図なりに記録しておかないと変遷がわからない。フィルムの時はそんな無駄使いは出来なかった。
記録の為に全体写真、個別写真、詳細写真といった撮り方をしていない。
一軒を二、三枚撮ったら終わりであった。
山間地は過疎化だけでなく集落が消える存亡の危機にさらされている。
ただ単に茅葺き民家を追い求めるのではなく集落で暮らしていた記録も念頭に入れて撮るぺきであろう。
しかし、気張って見てもあんたの身体であと何年生きるつもり。30年後のための写真など残してもゴミ作るだけやめときなはれと言われそう。



茅葺民家 兵庫県篠山市八上

2015年06月09日 | 茅葺き民家
国道372号線の旧道沿いに古い町並みが少し残っている。
茅葺き民家も古い瓦葺きの民家も残っていた。
篠山の民家は玄関が妻入りが多い。
町並みの民家は妻入りのところが多いがここは普通の民家でも妻入りが多い。
塀も瓦屋根も痛んだり苔むしたりして時代の古さを感じる。
撮影したり絵を描く人はこんな被写体に会うと嬉しくなる。
しかし、住んでいる人にとっては貧乏くさくて若い人は住んでくれない。
新しくするにも建てかえるにも金もなく自分の代が終われば子供は建てなおすであろうと言った家が多い。

こんな味わいのある通りや民家がひとつまたひとつと消えていく。

日本茅葺紀行 NO,219 滋賀県愛荘町の民家

2015年06月08日 | 日本茅葺紀行
滋賀県の茅葺きなど情報は余り持つ合わせていない。
あるとすればマキノ町の在原集落と永源寺町くらいのものだった。あとは新幹線の上から発見した民家や高速道路の上から発見した民家を後に訪ね歩いた。
滋賀県ならば高速を使えば麻早くでて夜遅く帰ればれば日帰りでも出来る距離だ。
しかし、定年後に自分一人で行って撮影が出来れば滋賀県をすべて回る事など訳なかった。
現在は家内に運転してもらい介助してもらいの旅なので牛歩のスピードである。
これが老いる事でもある。私の年齢の人ならばまだ元気であり老いるの言葉に怒り出す物もいる。

そんなことでぼちぼちと滋賀県の茅葺き民家を旅行のついでに撮影に行った。
この家は高速道路から見えた。
屋根にアワビの貝を乗せている。近畿の海のない地域でアワビを屋根に乗せる習慣がある。
あれはカラス除けか魔よけかアワビが食べられるという家の見栄がよくわからない。
アワビは穴が三つ開いているので針金を通し固定するのが便利である。
しかし台風が通過して風速40メートル以上だとちぎれて飛ばされるという。
昔、鳥小屋にイタチ除けにアワビを吊るしていた。キラキラ光るので動物がきらうのか
しかし、これが絶大な効果があるとは聞いていない。猫除けのペットボトルや案山子程度のものではないか

滋賀県の茅葺き民家は壁板にベンガラを塗る家が多い。京都北部でも見られる。


懐かしい物  穀物袋

2015年06月07日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県小野市


小野市の茅葺き民家の庭に農産物を干していた。
乾燥した穀物を入れる袋が懐かしい。
稲刈りの藁を使い袋やムシロ、縄に編んだ先人の知恵には感謝だ。
こんな大きい物は特注品が昔は売っていたのか
普通は米俵、かますが一般的だった。
麻製の袋はドンゴロスと呼ばれていた。
これは英語の訛った言葉だそうだ。

昔は一俵は成人男子の持てる重さ60キロだった。現在腰を痛めるので米袋き30キロにしている。1
私が働いていた頃は労災防止の観点から20キロを上限としていた。
灯油など20リットルが適量であろう。


岡山の茅葺き民家 岡山市海吉の民家

2015年06月06日 | 茅葺き民家
岡山市中区海吉、海吉と書いて「みよし」と読むのだそうだ。
岡山市には茅葺き民家はもうないだろうと先入観を持っていたが、郊外や街中に残っているものだ。マスコミや人の言う事を鵜呑みにしてはいけない。自分の目で確認する。実際に行ってみる事が必要とおもう。
ネットに載っている人気情報に左右されないことも必要だ。

岡山市内を目的もなく無駄走りをしたら結構茅葺き民家があった。
岡山県内ま市町村で弐番目に茅葺き民家が多かった。-
南部の江戸時代に干拓された田園地帯に多かった。

海吉は干拓地より北側だが田園地帯と新興住宅地が混在している。
岡山市の中心地にも近いので今は周りに家が建て込んでいるかもしれない。

茅葺きの民家は塀に囲まれた立派な家たせった。
何棟もの建物がある。屋根瓦は本瓦で葺いているのが岡山の民家らしい。
冬に来て近くから撮らせてもらおうと思ったが再び訪れたら時間が過ぎていてトタン屋根になっていた。




茅葺き民家 棚田と茅葺き民家

2015年06月05日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県猪名川町

大阪府能勢町や兵庫県猪名川町には棚田の中に茅葺き民家がある。
能勢町と猪名川町は隣同士、神戸や宝塚にも近い。

普通は棚田の真ん中に茅葺き民家のあるところは少ない。
ここは棚田の中に茅葺き民家がある。
棚田は大きくない。そんな中に民家も結構あった。
昔からの集落で道も狭く駐車スペースもUターンもできない。どんどん入って行ったら方向転換出来なくなった事がある。地元の人に指示を仰ぎやっと脱出した。
車を駐車する場所も少ないが下から歩いて撮影するのが無難

長年作り育ててきた棚田と民家の風景、10軒以上の茅葺き民家があった。
こんな風景を作りあげた先人の人々に感謝である。