懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

パソコン SSDとHDD

2019年07月23日 | 日記

パソコンのメモリーは従来 HDD(ハードディスクドライブ)だったがSSD(ソリッドステートドライブ)に替わりつつある。

HDDは電磁的的に記録する高速で回転させて磁気ヘッドで読み書きをする。

高速回転の機械的なところがあり長年使うと摩耗劣化や磁気ヘッドの接触もある。私も5年くらいで故障している。

回転音や熱の発生もある。

SSDは半導体メモリーのため回転部がなく熱の発生もなく小型化が可能。しかしまだ価格は高い。

特徴は立ち上げの速度が早い40秒以内で完了する、停止はもっと速い。パソコンを買い替えて7ケ月だがHDDだと段々立ち上げに時間が掛かるがSSD全く変わらない。

寿命はHDDの1.5倍は持つとのうたい文句だが今後の実績待ち

SSDは故障すると復元が困難なので必要な物はダブルでバックアップ (外付けHDDとDVD)

パソコンはいつ故障するか分からない機種が変わろうとコマメにバックアップする。


日本茅葺紀行 NO,518 民家を見下ろす

2019年07月23日 | 日本茅葺紀行

撮影場所 兵庫県猪名川町

住人の了解を取り民家の裏から撮影させてもらう。

裏は畑になったり小道が付いていたりで歩く事が出来る。

他人の家だが上からの眺めはいいものだ。

集落がどの様に形成されているか先祖の苦労に思いをはせる。

平地でない暮らしなので苦労もある。

日本各地には厳しい環境に住む人も大勢いる。

健康な人はそんな集落を撮影している。

私も茅葺民家や日本家屋ならば撮影するが現代的な民家は撮る気にならない。


蒸気機関車 倉敷郊外

2019年07月22日 | 蒸気機関車

撮影場所 伯備線倉敷郊外

長工デフの貨物を牽引の蒸気機関車が走る。

周りは田圃の中に新しい民家が出来ている。

今は田圃はほとんどなく住宅地になっている。

マイホームを持つ憧れと土地神話があり土地は下がらないと信じられてきた。

私の住む市は45年前と人口は変わりないアパートや社宅や借家に住んでいた人が家を建てたのであろう。大企業は沢山あるが社宅を持つ企業は少なくなった。補助して持ち家を推奨したためか

老後を考えると毎月の家賃5万円は年金では厳しいし高齢者への貸し出しは嫌われるので中古の安い家でも買わざるを得ない。

人口増加地域は値上がりも見込めるが地方都市は土地で資産が増えることは無くなった。

土地を持っても建物がないと固定資産税が高く草刈もしないといけないしお荷物である。子供か遠く離れて住んでいれば土地など貰い手がない。


ガラエビの天ぷら

2019年07月21日 | グルメ

ガラエビがスーパーの鮮魚売り場にでてくるようになった。冬場エビが動かないのか出回らない。

このガラエビのかき揚げが好きである。

エビは他の魚に食べられるし獲り過ぎで資源が枯渇しそうだが毎年獲れるようだ。値段は安いまま庶民の食べ物だ。

駿河湾の桜エビが不作で食べに行ってもエビが確保できないとテレビ放送がある。

桜エビのかき揚げ丼が1000円と書いてあった。

ガラエビは4割引きで140円で18時過ぎに買ってきた。エビは翌日まで日持ちがしないので夕方には安くして売りきるのだろう。

元の値段でも1パック240円と安いエビだ。

1パックで玉ねぎなどとかき揚げにしたら6個できる。夫婦二人では翌日も食べる。

かき揚げは頭から尻尾まで揚げて全部食べる。頭がミソがいい味をだす。

秋になるとエビも大きくなり殻も堅くなるのでむき身にしてかき揚げにするか刺身で食べる。

桜エビのようにブランド化すると需要も多く獲り過ぎてず枯渇することもある。

ガラエビは知名度がないままでいい。安い値段で庶民の味として今後も出回ってほしい。


懐かしい物 押し車

2019年07月21日 | 懐かしい物

撮影場所 鳥取県若桜町(わかさ)

茅葺民家の横の道をお婆さんが手押し車を押して帰ってゆく。

懐かしい光景と思い撮影する。

農家の人には引退はない死ぬまで仕事である。身体を動かすのが生き甲斐かなんであろう。

昔見た写真集に角のない牛というのを見た。昔の田舎の女性は牛馬の如く働いた。

働く女性を追った写真集である。まさに女性の事を角のない牛と表現した。 

今日もグルメにカラオケにブログを書いてという暇人と一緒には行かないと言われそう。

そう言う自分もカメラを持った暇人だったが

 


茅葺民家 三田市波豆川の民家

2019年07月20日 | 茅葺き民家

昔ながらの茅葺民家に住む。生活感があり好きな風景だ。

年寄りだけで茅が朽ちるまでこの家に住むつもりなのか。

若い人が同居していれば嫌がり解体しして新しい家を建てるだろう。

茅葺民家を解体して建てかえた民家を見ると和風の民家は少なく積水ハウスやダイワハウスの民家に建て替える例が多い。

茅葺民家や日本家屋はいずれ無くなる運命にある。

和風の旅館や和風の民家をコツコツと撮っている人がいる。木造の洋風民家を撮っている人もいる。自分の琴線に触れる風景に出会えば撮影を続けるべきだ。

そんなのを撮影しても余り共感してくれない。ほとんどの人は無関心である。

マスコミで取り上げられ人気のあるところにしか関心がないのが現実である。

他人が関心や興味がなくても自分がこれだと思ったら臆するることなく続けるのが人生だと思う。


9回さよなら2ランホームラン

2019年07月19日 | 日記

例年なら梅雨明けの時期だが北九州から中国地方から関西の北部は水不足気味

あのまま梅雨が明け猛暑晴天が続くと水不足の心配があった。

九州南部や四国や紀伊半島から関東は梅雨前線が停滞し十分な降雨と梅雨寒が続いていた。

しかし台風五号の接近で水不足エリアも100mmを超す降水量がありこの夏も乗り切れそうだ。

まさに1-0で9回裏まで負けていた試合が2ランホームランでサヨナラ勝ちしたようなものだ。

去年のような大災害の出る満塁ホームランは必要ない。

去年は熱帯低気圧の後の湿舌が大量の雨を降らせた。台風通過も安心できない。

岩手県でも台風通過後の線状降水帯で大きな災害があった。


白タク

2019年07月17日 | 日記

介護に来ている男性と話しをした。82歳で脚が悪く車の運転はできない。

病院や散髪や買い物に行くのはどうしているか聞いてみた。

時間の掛かるものは娘が30分のところに住んでいるので来てくれる。

病院や散髪は10分のところなので近所の人が車で送り迎えしてくれる。

一回往復で1000円払っている。しかし、その人が83歳で息子が運転するなと言われ現在は64歳の散髪屋の人に送り迎いしてもらうようになった。

田舎の散髪屋なので平日の昼間には客もいないので事前に言っておけば迎いにきてくれる。散髪の時は送迎の金は取らない。

家内が行くヘアーサロンは年寄は車で送迎しないと客が来てくれないという。

高齢化すれば送迎の問題がでてくる。金を支払って送迎は白タク行為だが田舎で暮らすには送り迎えしてくれる知り合いも必要だ。

家内の友達は旦那は亡くしている電車で旅行した時に特急の停まる駅から3駅先に住んでいる。

到着が21時過ぎて普通列車はあるのと聞いたら夜中でも迎えに来てくれる友達が三人いて電話すれば誰か来てくれるという。その代わり自分も友達を送り迎えするという。

旦那がいない者も女友達同士で互助して支えあっているのだなあと思った。

私はリフトで乗り降りする車で家内に連れて行ってもらう。家内が仕事の時は介護タクシーを使う。介護タクシーの運転はタクシーと同じ二種免許がいる。ヘルパーの資格も持っている。普通のタクシーの運転手は原則乗客の身体を触ったり支えたりはできない。泥酔した客にセクハラをしたり乗客が女性ドライバーにセクハラをさせないためかと思う。大きな荷物くらいは降ろすのは手伝うだろうが

介護タクシーは介助の必要な人が使うので介助や身体を支えるのは許されている。

介護タクシーは介護認定を受けていない人でないと乗れない。足を折ったからと言っても使えない。それとどこの介護タクシーでも使えない。契約しているタクシーのみ 介護保険の補助がないので実費となり5キロ往復で1万円くらいとられる。

タクシーに乗り降りできる人は普通のタクシーが断然安い。


日本茅葺紀行 NO,517 広島市白木町の民家

2019年07月16日 | 日本茅葺紀行

広島市白木町へは一般道で行った。距離は140kmくらい。

これ位の距離なら一般道だ。高速代も使わなくてよい。

いろいろ風景を見ながら走る。高速では風景など見られない。

茅葺民家を探すのも以前の情報で無くなっていることも多々ある。

無いからといちいち腹を立てたりガックリきてはこんな撮影はできない。

根気と頑張りである。根気と頑張りと呪文を唱えながら探し回る。

撮影に出ればひとつくらいは発見や人との出会いがある。

人との出会いは積極的に話しかけないと難しい。そこでいい話を聞ければ儲けもの。

全国各地、人は暮らしている。写真だけ撮るのではなく人との会話にもブログのネタはある。


私の昭和鉄道遺産 その104  長野のC56

2019年07月15日 | 私の昭和鉄道遺産

撮影場所 長野県 長野機関区

長野機関区のC56型 ナンバープレートに型式が入っている。

こんなのは正面からプレートを撮っておきたかった。

この機関車は飯山線で運行されたのか。

写真に残っていればその当時の状況を断片的に覚えている。

写真が無ければ忘れ去ったものが多いとおもう。

写真は第二の脳ともいえる。写真が残っていればその時の行動や食べた物の記憶が残る。

日記に書き留めるスケッチや絵手紙にする。スクラップに思い出を張り付ける。

絵葉書やコレクションも思い出を残すアイテムであろう。

我々が生きた昭和の時代は大きくの変貌した。特に都市圏は大きく変った。

変貌する土地開発や交通網に目を向け撮影しておけばいい老後のライフワークになっていた。我々年代には撮影するチャンスがあったが多くの人はそれに関心もなく気付いていない。

せめて自分の住む県や市の変貌を記録していく事が必要だ。人間は死ぬ前になってそれに気づくからたちが悪い。