善光寺の東側に位置する「建御名方富命彦神別神社」別名を「水内大社」または「城山県社」
祭神は「建御名方富命」諏訪系の神社である。
もともとは善光寺の境内に「歳神堂八幡宮」としてあった。
明治12年の神仏分離令で現地点に移動したらしい。
多分、善光寺が今の場所に置かれる前からあった神社だったのだろう。
それがいつの間にか善光寺がメインになり、結局移転したのではないのだろうか。
善光寺と諏訪大社にも色々な話があるので、詳細はわからない。
善光寺の周りにある諏訪系の4社
武井神社、妻科神社、湯福神社、水内神社は寅年、申年に持ち回りで御柱が建つ。
寅年、申年の御柱は諏訪大社の御柱際と同じ年である。
2022年は水内大社の順番だった。
中央通りから御柱の曳き回しが行われる。
馬に乗った神官が先頭となる。
御柱の列は仲見世を通り、善光寺の前で曲がる。
ここが旧北国街道になる。
御柱は2本。
小高い城山にある神社は長野県立美術館の長い坂道を人力により上っていく。
本殿にはられている幕は葵紋。
拝殿の扉にも葵紋が入っている。
普段は人のいない神社なので、こんな時でないと中を見ることはできない。
詳細は今後の宿題となる。
2本の御柱が無事に建つ。
この柱が新しくなるのは24年後。
その時、私はまたここにいるのだろうか。