ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

体の反応

2015-02-21 01:03:12 | うんちく・小ネタ

先日のテレビで「人は0.5秒で好き嫌いを判断する。」という実験をしていました。

二人の異性を見せた時に、どちらを良いと判断するか。

 

どっちがいいかな。この人の笑顔がすてきだからこっちかな。いやこっちの人の唇の感じがの方がいいかな。

なんて、結構時間がかかるのですが、実は0.5秒で判断しているそうです。

 

どこでわかるかというと瞳。

パッと見た瞬間に好きな方に瞳は大きく開きます。

その時間が0.5秒。考えているのではなく反応ですよね。

心変りは、この反応に従わなかった場合におこるのだそうです。

好き嫌いと決めているときも、すでに瞳は好きな方だけ大きく開きます。

目は嘘をつかないのです。

 

ところで、私の体にはもう一カ所、きっと頭より早く反応するところがあります。

男性と会った時におきるのです。

これは、テレビや映画などの男性に対してはありません。

必ず目の前にいることが条件。

何に反応しているのかわからないけど、反応する人としない人がいます。

遺伝子が感じとるものなのでしょうか。

たぶん、においに反応しているのだろうと思います。

フェロモンかな(笑)

それで男性を見分けても良いか悪いかは別な話。

ただ、なぜか落ちついて、元気が出るのは確かです。

もともとは体が遺伝子を残すために活動しているのだと思いますが、すでに私は遺伝子が残せませんから。

もしかすると、この反応も必要ないのでなくなってしまうかもしれませんね。

 

人間の体って不思議ですよね。

自分のことなのに知らないこといっぱいですから。

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運気をあげる相性

2014-12-27 21:29:08 | うんちく・小ネタ

先日の記事のコメントに

「あげまん、さげまんの影響があるのは、セックスした相手だけですかね?」といただきました。

あげまん、さげまんの語源もよくわからないのですが、以前読んだ「江戸の性愛術」や「江戸の閨房術」の中に、昔は遊女の女陰検分が行われており、「上品(じょうぼん)」「中品(ちゅうぼん)」「下品(げぼん)」などいくつかのランク付けをしていたそうです。

「『上付き』の女陰は、交合に際して男は腰を落とさずに容易に深く挿入でき、男にとっては快適な姿勢で対応できる。したがって『上付き』の女は客付きが多く、遊女屋としては商品価値が絶大なのである。」(江戸の性愛術より)

この文章からして、遊女屋にとっては「上付き=あげまん=商売繁盛をもたらす」ということになります。

私は、そのあたりから「あげまん」という言葉が発生したのではないかと推測します。

あげちん、さげちんという言葉はありませんからね。

 

確かに、SEXをしなくてもいてくれるだけで運気をあげる人がいます。

世の中では「気配りのできるいい女」をあげまんと言っているようです。

それは一般論で本当のあげまんは「運気をあげる相性のある人」だと思います。

人には見えない波があって、その波が打ち消しあうか、共振するかで相性が決まり、運気を上げるか、下げるかになっているのだと思います。

この相手を見つけるのは難しいですが「元気になる」がキーワードでしょうか。

これは男性にも女性にもいることから、私はあえて「あげまん」と言わないと思います。

 

ですから「あげまん」はSEXした相手だと思っています。

私の意見ですが、SEXしているときに相手と何か見えない物のやり取りが行われている感じがします。

私が女性だから「もらった」という意識が強いのかもしれません。

そのとき良い物を相手に渡すことができる女性が「あげまん」だと思います。

 

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お風呂が先か、ご飯が先か

2013-11-12 23:28:35 | うんちく・小ネタ
テレビで話題になっていた。

私はご飯が先派であるが、ご飯でお腹がいっぱいになるとお風呂のタイミングを逃すことが多い。

私も主婦をしていた時代があったので、仕事から帰ったら食事を作る。
食事が出来たら、ご飯を食べて片づけをしてお風呂に入った。

主人が仕事をしている頃は、主人は食事を家で食べず、また帰宅が22時過ぎだった。
そのため、自分の食事とおつまみを作って、お風呂に入って、主人の帰りを待って、帰宅してから一緒に食事をした。

今はあまり料理をしないが、それでも食事を作ると匂いが髪の毛についてしまったりするのがいやなので、先に食事にしている。
ところが、お腹一杯になると眠くなる。
眠くなるとお風呂をためるのが怖い。

何回もやっているのだが、30分以上お風呂のお湯を出しっぱなしにしていると、ガスが遮断される。
これをリセットするのが大変なのである。

また、お腹一杯の時にお風呂に入るのも何だか辛い。
そのため、いつもお風呂に入るタイミングに悩んでしまう。
それならば、帰宅したらすぐにお風呂に入った方がいいのだろうか?





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おみくじ

2011-01-13 21:35:31 | うんちく・小ネタ
久能山東照宮でおみくじをひいた。
今年の運勢は「小吉」
東照公 御遺訓
「人には向ふざすといふ事なければ其の心掛も自から薄くなるなり」

今年の運勢は
「自分の向う所を定めずふらふらして居ったのでは身を亡ぼす基となる。早くから志す所を定めて努力を続けていくならば必ず幸運が来る。」

今年は、目標を持って努力したほうが良いようである。
一番私が苦手とするところ。

もう一度自分を見直して、目標を立てよう。
1.英語を話せるようになる
2.立山に行く
3.資格をとる

さて、何から始めようかしら。

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セミナー「富士山を知ろう」

2009-10-07 01:00:58 | うんちく・小ネタ
静岡県県民部世界遺産推進室が開催した
富士山世界文化遺産公開セミナー「富士山を知ろう」に参加した。
全部で3回のセミナーであるが、1回だけの参加も可なので、今回だけ参加した。

今日のセミナーは
心のふるさと、富士山の歴史と信仰
と題し、静岡産業大学情報学部 中村羊一朗教授が講師をしてくれた。

富士登山をしてから、周りの浅間神社に行ったり、1周ウォーキングに参加したりしたので、私の情報量は増えている。
おかげで、講義の内容がよくわかった。

富士山は、山岳信仰の山だと思っていたが、海上安全、大漁満足の神としても祀られている。
理由は、昔は漁に出たとき、海上で自分の位置を知るために山を使っていたという。
魚が取れる場所は大体いつも同じであるので、近くの2つの山の交点で覚えていたということだ。
富士山は、高い山であるのでどこでも見えるため目印に使われていたという。
また、この目印の山は大抵、霊山的な山だったようだ。

もともと富士登山は、修験者の心と体を鍛え、高い精神能力を得るための、富士峯修行だった。
その後、信仰目的の登山者を「道者」といい、地方から道者たちを引率するものを「先達」といった。
登山ルートは東海道からなら、浅間大社→村山→山頂となった。
このように、富士登山は個人で登るのではなく、団体で登っていたようだ。

戦国時代には、富士修験関係者は駿河・甲斐で今川氏・武田氏の保護を受けていた。
理由は、富士登山が地域経済の支えになっていたこと、全国からの情報を得ることが出来たこと、修行を通じて優れた能力を獲得した修験者は忍者として利用していたことなどである。

江戸時代になると、富士講が広まった。
真面目に生きることは、幸せな生き方であり、男女は平等であるという教えから、とても信仰されていた。
富士講の人たちは富士吉田口を利用していた。
また、信仰以外にも登山する人が増えていった。
しかし、富士信仰の修験者の家の「御師」を利用し、そこからまとまって登山をしていたようである。


この講義を聴いて、富士登山の歴史がよくわかった。
近年富士登山をする人が増えているが、その理由はなぜなのだろうか?
物質文化が進んでしまい、精神部分が欠落してきたことに気がついて、心と体を鍛えようとしているのか?
私が富士山に登る理由は、達成感とご来光の美しさ、自然の偉大さを感じるためである。

先生が言っていた。
「日本人には潜在的な富士山信仰があるのではないか。たとえば、富士山の写真愛好家が多いこと、富士山を語ってあきることがないこと、また富士山と向き合うと何かを感じるなどがある」
そうかもしれない。
「富士山のふもとから来ました」と話すと、みな「いいですね、毎日富士山が見えて」と答える。

富士山のことをひとつ知ると、もうひとつ知りたいと思う。
これこそ、富士山信仰なんだろう。

余談であるが、三保の天女伝説と富士宮のかぐや姫伝説と木花咲耶姫神(このはなさくやひめ)には何か交わるものがあるのだろうか?
私の散歩のルートにいくつか石造があるのだが、その中に天女がいた。
その天女の頭には馬が乗っている。
これって、馬頭観音?
馬頭観音は、怖い顔をしているのが普通。
何かこの辺に伝わるものがあるのか?
知りたいことはたくさんある。







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