ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

河津桜

2019-02-28 21:32:06 | 日記・エッセイ・コラム

2019年2月22日(金)

 

ニャンニャンニャンで猫の日。

でも今日は猫には出会わなかった。

 

昨日から、天気が良ければ桜を見に行こうと準備していた。

曇り空であったが、河津桜を見るために南伊豆町に出掛けた。

河津桜と言えば河津町であるが南伊豆町にも「みなみの桜」があるのだ。

どちらも河津桜ではあるが、少し品種が違うようで、河津町の桜の方が濃い花が咲く。

 

平日だったため大渋滞ではないが、河津町は車も人も多かった。

渋滞を抜けてから、コンビニでトイレに寄ろうと思った。

ところがコンビニがつぶれていた。

そこで、白浜神社で小休憩とした。

明るくてすっきりした場所。

本殿前には1本の桜が咲いている。

何だか地形が変わった感じがする。

石が緑なのは生のり。

今が旬。美味しいですよ。

 

今年も綺麗に咲いていた桜。

9分咲きであろうか。

平日なので、人出はそこそこ。

天気が良くなかったのが少し残念。

夕方まで撮影をして、近くの温泉で疲れを取った。

ついでに夕食を食べようと、温泉施設で食券の自動販売機で食券を買った。

600円入れて、食券を購入。

おつり口を見ると、100円玉が4枚。

前の方が忘れたらしい。

自分の食券を買う前なら、その400円を使ってしまっただろう。

しかし、すでに購入済みだったので、食券を出しながらおばさんに渡した。

「販売機にありました。誰か取り忘れたみたいですよ」

さんまフライ定食のさんまが1枚多くなることはなかった。

ライトアップもしているので、少し撮影。

撮影教室でみんなと撮影するのもいいが、ひとりで好きなだけ撮影できるのもいい。

久しぶりに楽しい1日だった。

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周りが前向きになれる

2019-02-25 13:15:04 | 日記・エッセイ・コラム

2019年2月21日(木)

 

昨日友人と会って刺激を受けた。

友人は銀行に勤務して、今週が1年に1度ある1週間連休だった。

私も仕事を辞めたので、ふたりで旅行に行くこともできたのだが、私の引っ越し計画が未定だったためとりやめた。

そこで、今回彼女が思いたったのは「友達に会おう」だった。

「今度会おうね」が社交辞令にならないように。

たぶん、同級生の死が影響しているのだろう。

「今度」はないかもしれないのだ。

 

もともと、家でおとなしくしているのは苦手な彼女。

時間があれば自分のやりたいことをしている。

「何か趣味持たなくちゃ」という。

趣味をするのもやりたいことをするのも同じだと思う。

 

今の私は何だか中途半端。

時間があるのだが、いつ流れが変わるのか待っている。

それもなかなか辛いのだ。

 

堀ちえみさんが舌癌の手術を受ける。

癌はステージ4であり、リンパまで進んでいると言う。

私の義父も舌癌だった。

歯が痛くて食事ができないので歯医者に行ったところ、別の病院を紹介され発見された。

義父は手術で舌だけでなく、あごの1部も摘出した。

舌はももの肉を使って舌のように作られていたが、舌の動きをするわけではない。

舌が動かないので、言葉をきちっと出すことができなかった。

お互い、意思疎通ができずイライラしてしまった。

また、あごの摘出もあったため、食事は流動食だった。

お酒好きで食事に興味なかった義父だったが、食べれなくなると食べたくなるようで、私たちの食事を羨ましそうに見ていた。

もちろん、顔もあごが無くなってすこし変わってしまった。

飲みこむことが難しかったので、よだれが垂れてハンカチをいつも持っていた。

手術から5年後、年齢もあったが死因は癌の移転ではなく、急性心不全で布団の中で安らかに他界した。

 

ちえみさんも術後は思うようにならずに大変かもしれない。

でも、ちえみさんが生きていることで周りの人が前向きに生きていけるだろう。

元気な姿をまた見せてほしい。

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天邪鬼だから

2019-02-25 12:32:05 | 日記・エッセイ・コラム

2019年2月20日(水)

 

久しぶりに早起きをして長野から帰宅する。

自分の朝食だけ買い込んで新幹線に乗った。

二人分買って彼に渡してあげれば良かったと反省。

「自分さえよければ」

昔から思っていたが、最近よく思う。

会社を辞めたことも、原因はここにあるのだと思う。

 

今日は友達とランチ会の予定。

昨晩、帰宅が延びたことを友人に伝えた。

すると友人から「10時頃に娘を駅まで送りに行くよ」

私の乗る新幹線が駅に着くもの10時頃。

グッドタイミング。

 

3人のランチ会。

9種類の前菜。

実は右の一番上には金柑の甘煮が付く。

私のにはなかった。

意外とこういうことが多い。

「そういう場合どうする?」

「別にそのままにする」

「クレームつけないの?」

「本当に欲しいものでなければね」

気付かなければいいのだが、人のと見比べてしまうために気付くのだろう。

「私のフキ小さい・・・」友人が言う。

「こればかりは個体差だから外れだね」

前菜からデザートまでを食べながら「美味しい物は幸せになる」と笑う。

オーナーにこのお店の由来と梛の葉をいただいた。

3人で大切に梛の葉をお土産にした。

お財布に1枚入れておこう。

 

お腹いっぱいになったと言うのに、その後コメダコーヒーに移動して4時間もおしゃべり。

その中で、今回気になったのが「算命学」のお話。

先日、友人Aが幼馴染にあったところ占いの勉強をしていると言っていた。

今度春からは東京に「算命学」の勉強に行くと言っていた。

そして友人Bも2年前から「算命学」を東京に勉強に行っているとのこと。

5年間そこで勉強するそうだ。

そして私、このところ算命学でいろいろなことを占っていただいている。

自分も勉強しようかなと思っていたところだった。

占いに興味のない友人Aが「今、算命学はブームなの」と聞いてきた。

ブームなのではないが、自分がそういう時期なのだろう。

で、天邪鬼な私。

「みんながやっているならやらない」

と言うわけで、また何をやろうか1から考え直す。

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【建築】 茅野市神長官守矢史料館

2019-02-25 10:31:49 | アート・文化

茅野市神長官守矢史料館を設計したのは茅野市に生まれた「藤森照信」氏である。

藤森氏は建築史が専門であり、建築士ではなかった。

その彼が初めて設計をしたのがこの建物である。

とても面白い建築をしている。

「見学に来る方が、色々な発見をして行く」と館長が話していた。

屋根からつきぬけている4本の木。

この木の1本には御柱に使用する木を選ぶ時に使用する「薙鎌」が打たれている。

遠近法を利用した階段。

石段のの上に木製の階段があるが、これは電気式の跳ね上げになっている。

普段は上に上がって昇れなくなっている。

 

昔ながらのガラス板の窓。

光のゆがみが懐かしい。

1枚割れているが、今はこの板硝子が手に入らなくて割れたままになっているらしい。

鍵はこの横棒1本。

 

部屋の壁や柱を見ていると、平衡感覚がおかしくなる。

いたるところ歪んでいる。

それも故意的に。

1階書庫の扉は扉を重ねると間に隙間ができる。

トイレの窓から外を覗くと黄色い建物がある。

あれも藤森氏が建築した「高過庵(たかすぎあん)」

今日は雨だったので気がついた。

建物に付いている傘立て。

また、外壁に使われている割板はサワラの割り板で木その物の風合いを出している。

 

史料館を出て、窓から見えた建物に向かう。

藤森氏が私有地に建てたもの。

お茶室である。

低過庵(ひくすぎあん)と高過庵(たかすぎあん)

空飛ぶ泥舟

天気が悪かったので残念であるが、青空の中では空に浮いている船となる。

 

藤森氏が何を思ってこれらの設計をしたのだろうか。

史料館は見かけは木造のようだが、実際は鉄筋コンクリートである。

私が説明を聞きながら感じたのは、日本の昔からある建物の伝統。

庶民がどんな生活をしていたのかを表現したかったのでないかと思った。

藤森氏は建築史専門である。

日本の家の歴史表現であるのだろうか。

 

藤森氏については、この本を読んでみようと思っている。

藤森照信の茶室学―日本の極小空間の謎
藤森 照信
六耀社

 

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【史料館】 茅野市神長官守矢史料館

2019-02-25 08:48:05 | アート・文化

諏訪大社上社宮前の近くに史料館はある。

神長官守矢氏は諏訪上社の神事を取り仕切る神長官という役職を務めた家である。

展示室には土器や国産陶器、貿易陶磁器などの破片が展示されていた。

また、神長官守矢家の敷地には古墳がある。

この場所は昔から人が住んでいた場所なのである。

 

大和朝廷の力が諏訪に入る以前は守屋山の自然信仰があり守矢氏が統治していた。

縄文時代からここに住みついた人々は狩猟生活をしていた。

そこへ出雲より農耕生活をする民族が入ってきた。

それが国津神であり、諏訪社の始まりとなる。

戦いに敗れ、統治権を譲った守矢氏ではあるが、祭祀については実権を握ることになった。

 

守矢氏の年中行事や秘法は一子相伝であった。

今から3代前の宮司が「記録として残さなくてはいけない」と思い書き残した。

また、戦国時代には武田信玄が諏訪社を厚く崇拝し守矢氏にも手紙を出していた。

そのため、守矢家には多くの資料が残っている。

 

その中に「鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし)の版木」がある。

鎌倉幕府以来、肉食は禁じられていたが、諏訪社では鹿がなくては神事ができない。

そのため、鹿食免・鹿食箸を所有していれば食べることを許された。

他の神社では鹿は「神の御使い」とされている。

ところが、もともと狩猟民族であったため、野山の動物を食べ、神にもささげていた。

1年間に諏訪社の神事は75あり、そのたびに鹿の頭を供えて神事を行ってきた。

その時の頭が展示されている。

不思議なことに、みんな穏やかな顔をしている。

まるで笑っているようである。

今は「御頭祭(おんとうさい)」が4月15日に取行われているのみであるが、この時は剥製の頭を使用している。

 

守矢氏の敷地内に建てられているが、他に祈祷殿、古墳、ミシャグジ社もある。

雨のため回らなかったが、今度はゆっくり見たい。

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