大門に着いたのは、16時45分だった。
晴れていたら、綺麗な夕日が見れたに違いない。
ここで今回のツアーの目玉は終了した。
案内の紙には、「大門から宿坊までは自分で行ってください」と書いてあった。
また、「18時以降に到着の場合は、宿坊に連絡をしてください」とあった。
そのほかに「バスは本数が少ないので、事前に確認してください。徒歩では40分かかります」
出発前から気にはなっていた。
観光地だから、タクシーぐらいあるだろう。と思っていたが、それもなさそうである。
「わたし、途中のバス停まで行きますから、一緒に行きましょう」とクラタさんがいう。
「ここから40分ぐらいかかるって書いてありましたけど・・・」
「そんなにかかりませんよ」
大門をくぐって、高野山に入っていった。
町石がまだまだ続いていた。
「ここが最後の1町石です」
塀の向こう側でよく見えなかった。
180町石私は歩いた。罪が流れ、仏様の世界に足を踏み入れることがゆるされたのだ。
「ここが壇上伽藍です」
空海が願っていたのは「国家の平和と民衆の平和」である。
この祈りを、人に邪魔されずに祈ることができ、また修行者に修禅の一院を建立したいと願い、それにふさわしい場所を探していた。
そして選ばれたのが「高野山」であり、最初に建物を建てた場所が「壇上伽藍」であった。
クラタさんがひとつひとつ丁寧にお堂を紹介してくれた。
「この松は『三鈷の松』と言って、弘法大師が唐から伽藍建立の地を示し給えよと願って投げた三鈷が、この松に引っかかっていたのよ。普通松葉は2本でしょ、ここの松葉は3本あるといわれているの」
そういって、松の木の下にしゃがみ、松葉を拾い出した。
「あった」
私は見つけることが出来なかったが、クラタさんが3個も見つけてくれた。
「ラッキーね。私も枯れたものしか見たことないけど、これ緑よ」
天気の悪い17時。辺りが暗くなってきた。
「今までの180町石が胎蔵界、そしてここから奥の院までの36町石が金剛界になるのよ」とクラタさんが説明してくれた。
大塔の横に、今度は1と掘られた町石が立っていた。
7町石付近にバス停があり、ここでクラタさんとお別れする。
お土産にとハンドタオルをいただいた。
途中でも、名産の干し柿やヤマトの柿の葉寿司やお菓子などをいただいた。
「明後日は、20代の女性と歩くの」とにこやかに話す。
素敵な仕事をしているな。と羨ましかった。
このボランティア、やっぱり資格があるそうだ。
もちろんテストもある。今は、町石道の語り部であるが、今度は高野山内の語り部になりたいと、今も勉強をしているそうだ。
クラタさんと別れ、宿坊の「遍照光院」をめざす。
すでに時間は18時近い。
13町石付近に「遍照光院」はあった。
「遅くなってすみません」
中から出てきたのは、作務衣を着た若い男性だった。
「お疲れ様です。荷物はお部屋に置いてあります。先にお食事にしてください」
部屋に通された。初めての宿坊どんなところなのか?
お部屋は「民宿」といった感じだった。
コタツがまだ出ていた。
汗が引いて、顔には塩が吹いている。
ご飯の前にお風呂に入りたいが、そうわがままも言え無そうである。
ここはお寺であって、私達のお世話をしてくれる人も僧侶である。
宿坊の説明を聞いた後、着替えを済ませ食事を待つ。
お部屋で食事が出来るそうだ。
てっきり、コタツでご飯かと思ったら、コタツの隣に準備を始める。
お膳が2個とお鍋が用意された。精進料理である。
肉も魚もないが、お腹いっぱいになった。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「お風呂にどうぞ。今日は空いていますが、明日はお休みなので人が沢山になります。4時~5時頃にお風呂に入っていただければ、ゆっくり入れます。それから、朝のお勤めは6時半からです」
お風呂に入った。人もあまりいなく、疲れた足を延ばして汗を流した。
部屋に戻り、明日の計画を立てていると眠くなってしまい、布団の上でねっむってしまった。
晴れていたら、綺麗な夕日が見れたに違いない。
ここで今回のツアーの目玉は終了した。
案内の紙には、「大門から宿坊までは自分で行ってください」と書いてあった。
また、「18時以降に到着の場合は、宿坊に連絡をしてください」とあった。
そのほかに「バスは本数が少ないので、事前に確認してください。徒歩では40分かかります」
出発前から気にはなっていた。
観光地だから、タクシーぐらいあるだろう。と思っていたが、それもなさそうである。
「わたし、途中のバス停まで行きますから、一緒に行きましょう」とクラタさんがいう。
「ここから40分ぐらいかかるって書いてありましたけど・・・」
「そんなにかかりませんよ」
大門をくぐって、高野山に入っていった。
町石がまだまだ続いていた。
「ここが最後の1町石です」
塀の向こう側でよく見えなかった。
180町石私は歩いた。罪が流れ、仏様の世界に足を踏み入れることがゆるされたのだ。
「ここが壇上伽藍です」
空海が願っていたのは「国家の平和と民衆の平和」である。
この祈りを、人に邪魔されずに祈ることができ、また修行者に修禅の一院を建立したいと願い、それにふさわしい場所を探していた。
そして選ばれたのが「高野山」であり、最初に建物を建てた場所が「壇上伽藍」であった。
クラタさんがひとつひとつ丁寧にお堂を紹介してくれた。
「この松は『三鈷の松』と言って、弘法大師が唐から伽藍建立の地を示し給えよと願って投げた三鈷が、この松に引っかかっていたのよ。普通松葉は2本でしょ、ここの松葉は3本あるといわれているの」
そういって、松の木の下にしゃがみ、松葉を拾い出した。
「あった」
私は見つけることが出来なかったが、クラタさんが3個も見つけてくれた。
「ラッキーね。私も枯れたものしか見たことないけど、これ緑よ」
天気の悪い17時。辺りが暗くなってきた。
「今までの180町石が胎蔵界、そしてここから奥の院までの36町石が金剛界になるのよ」とクラタさんが説明してくれた。
大塔の横に、今度は1と掘られた町石が立っていた。
7町石付近にバス停があり、ここでクラタさんとお別れする。
お土産にとハンドタオルをいただいた。
途中でも、名産の干し柿やヤマトの柿の葉寿司やお菓子などをいただいた。
「明後日は、20代の女性と歩くの」とにこやかに話す。
素敵な仕事をしているな。と羨ましかった。
このボランティア、やっぱり資格があるそうだ。
もちろんテストもある。今は、町石道の語り部であるが、今度は高野山内の語り部になりたいと、今も勉強をしているそうだ。
クラタさんと別れ、宿坊の「遍照光院」をめざす。
すでに時間は18時近い。
13町石付近に「遍照光院」はあった。
「遅くなってすみません」
中から出てきたのは、作務衣を着た若い男性だった。
「お疲れ様です。荷物はお部屋に置いてあります。先にお食事にしてください」
部屋に通された。初めての宿坊どんなところなのか?
お部屋は「民宿」といった感じだった。
コタツがまだ出ていた。
汗が引いて、顔には塩が吹いている。
ご飯の前にお風呂に入りたいが、そうわがままも言え無そうである。
ここはお寺であって、私達のお世話をしてくれる人も僧侶である。
宿坊の説明を聞いた後、着替えを済ませ食事を待つ。
お部屋で食事が出来るそうだ。
てっきり、コタツでご飯かと思ったら、コタツの隣に準備を始める。
お膳が2個とお鍋が用意された。精進料理である。
肉も魚もないが、お腹いっぱいになった。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「お風呂にどうぞ。今日は空いていますが、明日はお休みなので人が沢山になります。4時~5時頃にお風呂に入っていただければ、ゆっくり入れます。それから、朝のお勤めは6時半からです」
お風呂に入った。人もあまりいなく、疲れた足を延ばして汗を流した。
部屋に戻り、明日の計画を立てていると眠くなってしまい、布団の上でねっむってしまった。