ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

高野山旅行記3/19(木) ③

2009-04-30 22:50:30 | 旅行記
大門に着いたのは、16時45分だった。
晴れていたら、綺麗な夕日が見れたに違いない。

ここで今回のツアーの目玉は終了した。
案内の紙には、「大門から宿坊までは自分で行ってください」と書いてあった。
また、「18時以降に到着の場合は、宿坊に連絡をしてください」とあった。
そのほかに「バスは本数が少ないので、事前に確認してください。徒歩では40分かかります」

出発前から気にはなっていた。
観光地だから、タクシーぐらいあるだろう。と思っていたが、それもなさそうである。
「わたし、途中のバス停まで行きますから、一緒に行きましょう」とクラタさんがいう。
「ここから40分ぐらいかかるって書いてありましたけど・・・」
「そんなにかかりませんよ」
大門をくぐって、高野山に入っていった。
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町石がまだまだ続いていた。
「ここが最後の1町石です」
塀の向こう側でよく見えなかった。
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180町石私は歩いた。罪が流れ、仏様の世界に足を踏み入れることがゆるされたのだ。

「ここが壇上伽藍です」
空海が願っていたのは「国家の平和と民衆の平和」である。
この祈りを、人に邪魔されずに祈ることができ、また修行者に修禅の一院を建立したいと願い、それにふさわしい場所を探していた。
そして選ばれたのが「高野山」であり、最初に建物を建てた場所が「壇上伽藍」であった。
クラタさんがひとつひとつ丁寧にお堂を紹介してくれた。
「この松は『三鈷の松』と言って、弘法大師が唐から伽藍建立の地を示し給えよと願って投げた三鈷が、この松に引っかかっていたのよ。普通松葉は2本でしょ、ここの松葉は3本あるといわれているの」
そういって、松の木の下にしゃがみ、松葉を拾い出した。
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「あった」
私は見つけることが出来なかったが、クラタさんが3個も見つけてくれた。
「ラッキーね。私も枯れたものしか見たことないけど、これ緑よ」

天気の悪い17時。辺りが暗くなってきた。
「今までの180町石が胎蔵界、そしてここから奥の院までの36町石が金剛界になるのよ」とクラタさんが説明してくれた。
大塔の横に、今度は1と掘られた町石が立っていた。
7町石付近にバス停があり、ここでクラタさんとお別れする。
お土産にとハンドタオルをいただいた。
途中でも、名産の干し柿やヤマトの柿の葉寿司やお菓子などをいただいた。
「明後日は、20代の女性と歩くの」とにこやかに話す。
素敵な仕事をしているな。と羨ましかった。
このボランティア、やっぱり資格があるそうだ。
もちろんテストもある。今は、町石道の語り部であるが、今度は高野山内の語り部になりたいと、今も勉強をしているそうだ。

クラタさんと別れ、宿坊の「遍照光院」をめざす。
すでに時間は18時近い。
13町石付近に「遍照光院」はあった。
「遅くなってすみません」
中から出てきたのは、作務衣を着た若い男性だった。
「お疲れ様です。荷物はお部屋に置いてあります。先にお食事にしてください」
部屋に通された。初めての宿坊どんなところなのか?

お部屋は「民宿」といった感じだった。
コタツがまだ出ていた。
汗が引いて、顔には塩が吹いている。
ご飯の前にお風呂に入りたいが、そうわがままも言え無そうである。
ここはお寺であって、私達のお世話をしてくれる人も僧侶である。
宿坊の説明を聞いた後、着替えを済ませ食事を待つ。
お部屋で食事が出来るそうだ。

てっきり、コタツでご飯かと思ったら、コタツの隣に準備を始める。
お膳が2個とお鍋が用意された。精進料理である。
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肉も魚もないが、お腹いっぱいになった。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「お風呂にどうぞ。今日は空いていますが、明日はお休みなので人が沢山になります。4時~5時頃にお風呂に入っていただければ、ゆっくり入れます。それから、朝のお勤めは6時半からです」
お風呂に入った。人もあまりいなく、疲れた足を延ばして汗を流した。
部屋に戻り、明日の計画を立てていると眠くなってしまい、布団の上でねっむってしまった。











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高野山旅行記3/19(木) ②

2009-04-30 00:11:56 | 旅行記
慈尊院から119段の階段を登ったところにあったのが「丹生官省符神社」
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空海が、高野山を開くとき、2匹の犬を連れた狩人に出会い、高野山に導いてくれたという話がある。この狩人を狩場明神という。
そして、このあたりを守っていた、丹生都比売命(天照大神の妹君といわれている)に高野山を開くことの許可をもらった。といわれている。
そのため、慈尊院建設のとき、その鎮守社として、二神等を祀った神社である。

山をずんずん登る。165町石付近に展望台がある。
このあたりは柿畑であり、眼下に紀ノ川が見える。
「今日は、黄砂が飛んでいるからよく見えないね」とクラタさんが言う。
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ここで私は驚いた。三輪車がまだ現役で動いていた。

144町石の横には、1里石がならぶ。
この町石、全長が3mある。遠くからでもわかるようになのだろうか?
180町石全部があるわけではない。
「山は生きているから、動くのよ」クラタさん。
いまだに発見されないものもある。
また、明治の石、大正の石、昭和の石と、再建したものもある。
再建後に昔のが見つかり、同じ数が2個あるところもあった。

休み、休み歩く。
途中に空海のお地蔵さんがあった。
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122町石付近の展望台でお昼にした。
「この時期で、こんなに天気がいいなんて、ミケさん恵まれていますよ」
本当に今日は天気がいい。ちょっと歩くと汗をかくが、風が心地よくふいて、気持ちが穏かになっていく。
お昼を食べながら、天野の里を眺める。
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時間が違う場所。そんな気がした。
「奈良の飛鳥に似ていませんか?」
よくわからない・・・
ここに、「丹生都比売神社」がある。
パンフレットで見たが、とてもいい感じである。
この天の里、神聖な場所に感じる。
今回は行く事が出来ないが、ぜひ一度訪れてみたいと思う。

昼食も終わり、また山道を歩く。
落ち葉がひきつめられている。
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ふたつ鳥居があった。これも空海が建立したという。
聖域に入っていくんだなと思った。
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ここで、初めて人に会った。
60代の男性が、白衣(はくえ)を着ていた。
話を聞くと、去年四国八十八か所をまわって、最後に高野山にも参拝したが、正式な参拝ルートは九度山から登ることだと聞いて、今日歩いているという。

笠木峠を過ぎると、下り坂になる。
昇りがきついか、くだりがきついか。
途中「見守りじぞう」があった。
そういえば、熊野古道を歩いた時にもあった。
昔の人たちも、ほっとしながら、手を合わせたんだろうな。

国道370号を横切るところでトイレ休憩。
60町石まできた。
「矢立茶屋」で休憩する。
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このあたりのお水を沸かしたお湯のお茶と、やきもちをいただく。
お茶もおもちも美味しかった。

ここからは上り坂である。
天気が悪くなり、25町石辺りで、雨がぱらつく。
天気がよければ、ゴールの大門付近は、夕日のスポットである。
今日は、ちょっと無理そうである。
雨がひどくならないことを祈った。

12町石から急な上り坂になった。
あと1kmちょっと。リュックの重さを感じる。
急な階段を登ったら、国道に出た。
目の前には大きな赤門が見えた。
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ここが高野山の入り口「大門」である。
ゴールに着いた。クラタさんと喜んだ。
とうとう、私は念願の「高野山」に着いたのだ。
あれ?町石は7町石である。
「本当のゴールは壇上伽藍なの」
















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高野山旅行記3/19(木) ①

2009-04-29 21:09:45 | 旅行記
年に1度の一人旅行。
今年は「高野山」に行ってきました。

18日22時15分 沼津駅北口から夜行バス「金太郎号」に乗車
19日 7時 6分 なんば駅バスターミナル着
     7時48分 南海難波駅出発
     8時56分 九度山駅着
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ここで、語り部のクラタさんと合流する。
今回の旅行は、南海国際旅行の「語り部と行く、高野山町石道【踏破】コース」を申し込んだ。
このツアーに何人参加するのかわからない。
一緒に歩く人がいるのだろうか?

駅で待っていてくれたのは、私と変らない年齢の女性。
「語り部さん」と言うから、もっとご年配の人かと思った。
体格もほとんど私と一緒である。
「ひとりですか?」
「そうですよ。よろしくお願いします」
予想通りだった。

九度山駅から歩くのかと思ったら、市の職員の方が「慈尊院」まで車で送ってくれた。
クラタさんもボランティアで語り部をしているそうだ。
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ここは、弘法大師の母親が眠っている場所である。
当時、高野山は女人禁制だった。
しかし、このお寺までは参拝することが出来たので「女人高野」といわれていた。
高野詣りは、玄関口である慈尊院弥勒菩薩とご縁を結び、罪障を流してから山頂を目指すのが本参りとされている。
そのため、私達も弥勒菩薩にお祈りをする。
「無事に完歩できますように」
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県の指定文化財である「多宝堂」の横をとおり、高野山町石道を歩き始める。
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町石とは、弘法大師が参拝者が迷子にならないように、道しるべとして「卒塔婆」をたてていったのが始まり。
その後、木では腐ってしまうので、石で作られるようになったという。
長石は約1町(約109m)ごとにたてられている。
長石は大塔まで180個ある。
まずは180番目からスタートする。










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泥酔事件

2009-04-25 01:11:59 | つぶやき
ここ数日、公然わいせつ容疑で逮捕された芸能人の話題をニュースで流している。
初めてそのニュースを聞いたのは、会社で流れるラジオ放送だった。
若い同僚の女性は大声を上げて笑っていた。

私は「やっちまったな~」と思い、笑えなかった。
これから彼が受けるダメージは大きなものだと思った。

先ほど、本人の謝罪会見があった。
とても沢山のマイクがテーブルに並ぶ。
そして、彼が現れただけで、沢山のフラッシュと沢山のシャッター音がした。
「楽しくて、飲みすぎました。大人らしくない行動をしてしまった」

芸能界で沢山のお金を稼いでいるのだから、ちょっとしたことも事件になってしまうのは仕方が無いかもしれないけど、ちょっと騒ぎすぎじゃないのかしら?
未成年でもないし、ただの酔っ払いが、公園で裸になっちゃっただけのことでしょ。
私だって、37歳の時に楽しすぎて飲みすぎて、駅前のおまわりさんにお世話になったわよ。
次の歳には、駅の噴水でおぼれそうにもなったし。
記憶のなくなる事だってよくあること。

30代のサラリーマンにインタビューしたら、
「いろいろストレスたまっていたんでしょ」
みんなわかってるわ。

どこかの議員さんは、「最低な人間だ」って言ってたけど、お酒飲めない人なのかしら?
お酒を飲まない人にはわからないかもしれない。
本当に楽しく飲めたときのこと。

でもね、こうやって泥酔事件を重ねて、大人の飲み方を覚えていくのよ。
節度ある飲み方を。

私は、それを覚えたら、楽しく飲めなくなってしまった。
いいんじゃないのこれくらいの失敗。

いろいろな企業で、イメージキャラクターの降板を伝えているけど、私は人間らしくてもっと身近に感じたし、イメージ悪くなったとは思わない。
犯罪者だから、イメージ悪いから。本当にそうかしら?降板を即座に決めてしまった企業もどうかと思う。

ニュースで、厚労省の大臣と都知事に事件についてインタビューしていた。
ふたりとも、笑いながらインタビューに答えていた。
大人だなと思った。


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新たな学びが始まったのか?

2009-04-18 22:02:19 | つぶやき
引越しをした理由。
ここのアパートに決めた理由。
なんとなくわかった気がする。

突然2月に引越しを思い立った。
何度も引越しを考えていたが、なかなか実行に移せなかったのに、今回はあっと言う間に決まってしまった。
しかし、新しい部屋を見つけるのには苦労した。
新しいアパートは、通勤途中にあり、毎日「ここだけはやめよう」と思っていた。
しかし、希望通りのところはなく、この物件になってしまった。

この引越しの途中に、私は高野山に2泊3日(正確には車中泊で3泊4日)の旅行に出かけている。
そこで出会ったのが「弘法大師 空海」である。
ここ何年かに、奈良の吉野山、和歌山の熊野古道、京都の御所等々に出かけている。
そこで必ず出合うのが「至る 高野山」の道しるべであった。
すべての道が高野山につながっている。私も高野山に行かなくちゃ。ずっとそう思っていた。

しかし、高野山がどんなところであるのかはまったく知らなかった。
ガイドブックも熊野古道がメインで、高野山のことはあまりかかれていなかった。
高野山に行って、いろいろな情報を得て帰ってきた。

高野山とは、弘法大師空海が開いた場所である。
弘法大師は、密教を広めた。

高野山はとても清々しい場所で、気持ちが安らぐ場所だった。
流れている時間が、日常とは違う気がした。

帰ってきてから、空海や密教についてもっと知りたくなった。
何でこんなに惹かれるのか?

さっきわかった。
新しいアパートの近くにお寺がある。
実は幼い頃、このお寺の敷地にあった幼稚園に通っていた。
なんと、このお寺を開いたのが「空海」だった。
そういえば、遠い昔にそんなことを聞いた覚えがある。

私がここに引っ越したことも、高野山に行って、空海や密教に興味を持ったこととも、すべてが上ではつながっているのだ。
前のアパートは、九頭龍神社と富士宮の浅間神社を結んだ線上にあった。
この線は、ほぼ東西に引かれる線だった。
その影響か、いろいろな神社に行った。
今度はお寺参りになるのか?

神であろうが仏であろうが、私にとっては、いつも私を見守って、導いてくれる人。
そう「人生を楽しくしてくれる人」なのだ。
(人ではないが、置き換える言葉が見つからなかった)

新たな学びにワクワクする。
そういえば、新学年の今頃はこんな気分だった。
学ぶことは面白い。


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