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ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

久能山東照宮

2011-01-09 23:37:23 | スピリチュアル
喪中なので、初詣に行かないのが慣わしですが、神社仏閣好きの私ですから、時間があれば出かけてしまいます。

今回は、久能山東照宮に行ってきました。
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社殿は昨年国宝にもなりました。

平成の大修理も終わり、400年前から一度も建て替えもなく、はがれた色彩を戻せば建てた当時と同じ。
色彩はあまりにも美しく光り輝いていました。
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ただ、私の趣味ではないですが・・・
日光の東照宮はどうなのだろう?

私はずっと久能山東照宮はお寺だと思っていました。
拝殿で拝むときも、拍手は打たず、拝んでいたら、賽銭箱の横に「二礼 二拍 一礼」と書いてあったのでびっくり。
雰囲気が神社ではなくお寺なのに・・・と思って調べたら、久能山は推古天皇の時(西紀600年頃)久能忠仁が始めて山を開き一寺を建て、観音菩薩を安置し、補陀落山久能寺と称した。とパンフレットに記載がありました。
空気がお寺なんですよ。

余談ですが、永禄11年(1568年)には、武田信玄が久能寺を下に移し、山上に城砦を設け久能城と称した。とも記載がありました。ロープウエイ久能山駅には当時の石垣が残っています。
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御本殿の裏手に神廟(家康公のお墓所)があります。
家康は自身の死後について、「遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたら、日光山に小さいお堂を建てて祭ってほしい」と言い残した。と言われています。
一周忌後、家康の側近だった天海僧正が日光への「改葬」を手掛けたとされていますが、日光まで運んだ明確な記録が残っていないそうです。

よく考えれば、土葬して1年後のものを掘り起こすのは困難ですよね。
遺品を日光に運んで、遺体はそのまま埋葬されていると考えたほうがいいような気がします。

この 巨大な石造りの神廟が建立されたのは、1640年。家康の死後24年もたってから、建てられたもので、家康公の遺言どおり西を向いているそうです。
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西には、家康公が生まれた岡崎城や京都があります。

また、神廟は久能山東照宮の楼門―拝殿―石の間―本殿を結んだ直線上にあり、その延長線は富士山、日光東照宮があるのです。
誰が考えたのでしょうかね。

今日も1日天気が良かったので、日本平からはきれいな富士山を拝むことができました。
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また、社務所付近では、光り輝く駿河湾がとても美しかったです。
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今回は楽して日本平からロープウエイを利用しましたが、次回は1159段の石段から参拝をしたいと思います。












コメント

私のルーツ

2011-01-06 23:13:52 | つぶやき
祖母が他界して、親族が集合した。
我が家は私で4代目。

初代の曾おばあちゃんは私が小学校2年の時他界した。
同居していたから良く覚えているが、曾おじちゃんのことは知らない。
曾おじいちゃんは私が生まれる前に他界した。
曾おじいちゃんはお婿さんだった。

当時、曾おばあちゃんにお兄さんがいたが、満州に行ってしまったため、曾おばあちゃんが家を継いだそうだ。
家を継いだ?ってことはその前もあるのよね。
そこは良くわからない。

ただ、我が家のお墓は、私の4代前からのものである。

さて、今回なくなった祖母のほうであるが、曾おばあちゃんは10年前に100歳で他界した。
曾おじいちゃんはやはり、私が生まれる前に他界していた。
ここも婿取りで、曾おじいちゃんはお寺の子供だったそうだ。
当時、出産と同時に母親が他界したため、お寺で育たず、養子に出たらしい。

私のルーツ。
知っている人が生きている間に調べないとわからなくなってしまうかも。

自分のルーツに興味を持った。

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おばあちゃんへ 贈る言葉

2011-01-05 07:34:29 | つぶやき
おばあちゃん ありがとう。

おばあちゃんは、私にとって自慢のおばあちゃんです。

手先が器用だったおばあちゃんは編み物も上手で、小学校のころは、おばあちゃんが編んでくれたベストやカーディガンを着ていたよね。
1年経って小さくなると、またこわして新しいのを作ってくれて・・・
毎年毎年楽しみだった。
「長いマフラーが欲しい」って頼んだら、身長の倍くらいあるマフラーを編んでくれてうれしかった。

先日も会社の上司にほめられたの。
私が「冷たいサラダはサラダじゃない。採りたての野菜はあったかいよ」って言ったら、「豊かな生活しているね」って。
おばあちゃんがみんなの為に一生懸命作ってくれた野菜は、野菜の味がしておいしかった。

最近は遊びに行くと「何もしてあげられなくてごめんね」ってよく言っていたけど、私たち孫はみんなおばあちゃんの背中を知っているよ。
忙しい両親に代って、おばあちゃんは私たちをとってもかわいがってくれた。
土曜日の夜は、みんなでおばあちゃんの所にお泊りしたよね。

いつも元気なおばあちゃんは100歳まで元気だと思っていたから、突然のお別れに驚いているけど、大好きなおじいちゃんに会えるのだから、笑顔でお別れしなくちゃね。

昨日、みんなで感謝の気持ちを込めて鶴を折りました。

どうぞ、おじいちゃんに会って、二人でいつまでも私たちのことを見守っていてください。

おばあちゃん ありがとう。

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新年から

2011-01-02 22:25:07 | つぶやき
明日はお通夜である。

12月29日に元気だった祖母が、肺炎で危篤になった。
病院の処置のおかげで回復はしたものの、94歳の体力はそうは続かず、12月31日の21時に他界した。
94歳、大往生である。

普通、すぐに葬儀の準備を始めるのだが、焼き場もお正月休み。
仕事始めは4日になる。

そこで、病院から自宅に安置し、3日まで待つ。
この間は、寝ていると同じ状態なのである。

私は、初日の出ツアーを申し込んであったが、人数がそろわなくて中止になり、弟はあゆのコンサートチケットが1枚しか手に入らなかったので、行くのを中止にした。
何かの力で阻止されたのだろう。

祖母は、秋に骨折して病院に入院した。
このとき「今度のお正月は、みんなを集めてお正月をするから」と母に言っていた。
すっかり祖母の思い通りになっている。

昔を思い出せば涙もこみ上げてくる。
しかし、大好きなおじいちゃんのもとに旅立つと思えば笑顔で見送ることもできる。

おばあちゃんありがとう。そしてお疲れ様。

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祝 2011年

2011-01-02 04:51:36 | つぶやき
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自宅のベランダから拝む初日の出

皆さんに幸多きことをお祈りします。

本年もよろしくお願いします。

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