来年の1月2日の同窓会のことを思ったとき、ふと頭に浮かんだことがある。
全員の記念撮影を頼まれていることも気になりだしたが、お参りするのは実家のそばの神社である。
あそこは最初82段の石段があって、4段くらいの石段、最後は1・・いくつかの石段をあがるのだ。
私・・息切れしないかな・・きっとするのでは、それに足元ぐらついて転げ落ちたりしないか。
転げるよ、ころころしてるし、なんだか気になってきた、おっちょこちょいだし。
昇った後など、はぁはぁ言ってシャッター切れないな、撮影は石段の下で昇る前、役員さん心得ていらっしゃる。
実家のそばの八幡神社は、神社と言えどもまるでそこは我が庭の如く育ち盛りを遊んで過ごした。
今の子供たちは、殆ど同学年の子としか遊ばない。 私たちの時代は、兄や姉の友だちとも遊んだ。
上には敬、下には愛、人間形成のうえで大切な上下関係も遊びの中で自然に教えられ身についた。
教師は聖職と言われたのも、そんな時代だったと思う。 悪いことをするから叱られるのであって、
それを親がどうのと言うたぐいではない。 ごもっとも・・良くぞ怒って下された先生様の時代である。
その点この時代の先生は良かったと思う。 黒板用のむちで叩こうが、チョークを投げつけられても、
時に平手が飛ぼうとも、それこそ(何もいえねえ)ってな具合、反省反省なのである。
八幡山は、鬼ごっこはもちろん、鞍馬天狗や月光仮面、赤銅鈴之助ごっこ等格好の場であった。
神社の小高い山は知り尽くすほど季節の変わる中で、私は友達や兄の男友達とも遊んで過ごした。
夏休みの終わり頃はたいてい、宿題の絵を小高い山から海を眺めながら描いたものだった。
もう代も次々変わり手入れのない木々が、伸び放題伸びている。
もう50年に近い遠い昔のこと、今懐かしい。 その時を過ごしたの同級生に会える・・もうすぐ。
高校卒業の頃つきあっていた夫と神社のある場所に、京都に就職する私と島で造船所へ行く夫は、
再会を願ってイニシアルを刻んだことがある。 KN&MN・・。 今思えばなんと大胆なことを。
今大きな反省、まだ残っているだろうか。 そう言えば・・それも気になるなあ。
また含蓄のある、今日の”みつを”の言葉。