11月末、友人が誕生日には早いけれどと送ってくれたみかんの箱の中に、緑色したレモンが入っていた。
これは彼女の家で作っているもの。
敬意を表して絵にしてみたいと思いながら机の上においていたけれど、心の余裕のないままいつしか・・。
都会の子供は、緑色したレモンなんて知らないだろうなあ。
六八コンビの歌を思い出し、ハミングしながら、パソコンでお絵描きちゃちゃっと描いてみた。
その友人がまたおみかんを届けてくれた。 お礼の電話をしたとき、還暦の会の話になった。
「旅館やから、お膳よね」「そりゃあそうじゃろ」「じゃあ私は正座できないし椅子持って行かなあかんなあ」
「校長先生より偉ろうなりますなあ」「え?校長先生、まだ生きてはるの?」「生きとるよ(笑)100歳よ」
「え! そうなん! 素晴らしいねえ、それはおめでたいやん、お祝いせなあかんね」
(校長先生、大変失礼致しました、お詫びに年内にお葉書でも書かせていただこう)
校長先生とは地域が同じだが帰省しても、お会いすることなどなかったからお元気なのだ。
六年の時だったか、ゴム版で干支を彫って年賀状を出したら、朝礼で紹介されたことがあった、確か。
今でも多分私の思い出箱の中に、そのゴム版あると思う、(またその干支で使おうと思いながら)
私がいまだに年賀状を出しているのは、小学校5.6年の受け持ちだった男先生と中学1年担任の
千葉在住の女先生と、2年の担任のふるさとのお坊さん先生の3人である。
どの先生もいつも丁寧に自筆の添え書きをして下さる。
ご迷惑かな・・と思いつつ断ち切れず、お元気な限り続くのかなと思っている。
祝いの会のお陰で、小学校時代を懐かしく思い出すことを時々楽しんでいる日常である。