葬儀には午前中を要した。 最後のお別れに花を手向ける時には、さすがにどっと涙が溢れた。
上品で紳士で、とてもいいハンサムなおっちゃんだった。
読経を聞いているとき、いつか見送る時が来るであろう田舎の母たちや夫なら・・・私なら・・どんなだろう、
縁起でもないが、そんなことを思ってしまった。
こんな話のときには「あんたの方が絶対に早いと思うで・・」と夫は言う。
夫の方がスポーツもして健康的だから、私もきっとそうだろうと思うが、ならばよけいに気をつけないと!
残った夫の後始末を子供たちがするには、悲しすぎるから。 出来れば連れ添った私の役目でありたい。
一日でも夫より長く、生きたいと思う。
午後は年賀状(まだ一枚も・・)と思っていたが、夫の姉夫婦が遊びに来てくれた。
病人だらけの11月、雨の中鮭を届けてくれたとき気がゆるみ涙を見せてしまったから心配をかけた。
義姉にも聞いてあげることもあろうかと、歓迎だった。 積もった話に楽しい時間が過ぎた。
帰りに海遊館のイルミを見て帰ったらと夫がいい、車に乗って待っていてくれた、さすが駐車場へは列列。
三人で少しの時間見て、写真を撮ってあげた。 海遊館のイルミネーションは初めてだと言う。
こんなイベント物の好きな夫ならばこそ、ちょっとした心遣い・・姉への労いと思いやりだろうなぁ。
次女夫婦は昼間展君の妹さん夫婦と赤ちゃんとクリスマス会、夜は義姉の娘さん夫婦と赤ちゃんを誘って
セイ君宅で鍋パーティー、私たちは悲しくはあったが、若い者にも、充実の天皇誕生日であった。