アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

訃報

2014-02-07 19:15:00 | 介護
母の姉妹の訃報が続き、もう母は一人ぽっちになりました。

12月 4日 母の姉が亡くなりました。
 2月 4日 母の妹が亡くなりました。
 2月14日 私の父が亡くなったのは6年前の今月です。

母には今週亡くなった妹の訃報は伝えていません。
このまま、ずっと悲しみを知らず生きていて欲しい気持ちですが、
親戚がいるので、なかなかそういうわけにもいかないんでしょうか・・

今朝も、朝から長く親戚からの電話がつづきます・・・・



亡くなった叔母は、数年前に肝臓がわるくなってきたとき、
そのことを、私だけに打ち明けてくれました。
入退院をくりかえして病気と戦い、そのたびに治っていたものの、
昨年は、とうとう難しい場所が悪くなったということを聞いたけれど、
医学の進歩によりそれも克服できたかとおもった。

昨年12月には、おばさんが初めて弱音を吐いた。
亡くなって気がついた弱音だ。
死ぬほど辛かったんだ。 

毎日が命日だと思え!という私の信念は生かされなかった、、無念だ。

亡くなるってわかっていたら、十分に見てあげれたのに・・・
それは、親戚のみんなが思うことだ・・
私だって、知らなかったんだ・・・
後悔ばかり・・・


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今日は母の爪を切り、化粧をし、眉毛をかっとし、パーマに連れて行った。
身だしなみを整えてあげることは、娘にしかできないと思う。
だから、きれいにしてあげた。
常に綺麗にしてあげないといけないのだ。
年寄りは何もできないんだから・・・

父がなくなる3週間前にも、床屋さんを頼んできれいにしたんだ。
だから、柩にはいっても短い髪の毛で綺麗だった。
・・顔は壮絶だった・・・目は大きく見開き、口は大きくあいていた。
死にたくないって言っていた父はなんであんな恐怖の顔をしていたんだろう。

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考えることがいっぱいだ。

今日母に、兄弟姉妹の誕生日を聞いた。
わたしの信念その2は、人は誕生日ころなくなるとおもっている。
だから、誕生日はいつなのかな~と思った。

母は、最初まったく分からないといっていたけど、
徐々に思い出してきた。

わたしが、真剣にきいていたんんで、
『 なんで 聞くの? 』 て言われた。


さて、あすは大雪らしい。

わたしは早朝より仕事があって母より先に家を出なくてはならない。
だから。。。デイは休ませた。
8時40分のお見送りができないので、
昼ごはんの用意をして私は家を出ることにする。

介護って大変だ。


介護をしていない人って、
自分が介護をしていないことに気がついていない。(断定)












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