2007年11月22日 木曜 胆管が相当悪いらしい
午後12時、午前のアルバイト先から病院へ到着。
待合室で ちりとてちん を見ながらざるそばを食べる。
すごい度胸だ。
なんかい、美味しいパン屋さんで美味しそうなペストリーを
手に取ったことか・・・
だめだめ、ダイエット!
病院に来るたびにペストリーを食べる癖を付けたら
ペストリーになってしまう。
美味しいパンやさんには シベリア もあったのだ。
むかし、秋月堂 で売っていたシベリアだ。
そのむかし、母が弟の看病のために留守していた時
ジェンギンスと朝食用のチョコのかかったパンを買いに行ったことを
思い出した。
いつも買ってもらえないチョコのかかったパンを買ってもらえて
姉と喜んだ思い出を、思い出した。
さて、ジェンギンスは点滴をして相変わらず
眠っています。
口をあけて呼吸しています。
これでは、口の中が乾燥してしまうことでしょう。
口の中は真っ赤で、しろいカスがたくさんついています。
カビでしょうか。
絶食だから食べ物じゃないし・・・
何度も声を掛けました。
呼びかけには反応します。
まず、棒付きのキャンデーを口に入れてあげました。
しかし、飴というのは、唾液がないとなめれないのでした。
いそいで、お水で飴を洗い、口に入れてあげたら
やっと溶け出します。
自分で棒を持ってもらって食べさせました。
透明なキャンデを透かして見てました。
紅茶をすこし
プリンをすこし
前ほど食欲もなく
つらいところがあるみたいです。
そんなことを書くよりも
今日の2時間の面会は
もう、それはもう、いろいろありすぎて
まとめれません。
お陰で、3時半に病院を出ないと行けないのに
30分遅れ、仕事中も電話電話
夜は葬儀屋さんの見積もりメール比較。
微妙に値段が違う。
花で飾られた祭壇は造花だったとは知らなかった。
生花だと10万くらい高いんだ。
さて、
検査結果が出たと言うことだったが
造影検査はしてないなどとぬかした。
今日は造影検査結果待ちで、リンパ節まで
病魔が広がっているかと、余命を知らされる日だったのに、
なんか、わかんないんだって。
看護婦さんに聞いたら
担当の先生は、精神科の先生だっていうから、
お腹の専門医じゃないんだ。
早ければ、すぐにでも
体力が持てば、まだ・・・
という曖昧さ。
胆管周辺がやられてるらしい。
肺はやられていないらしい。
黄疸も出てきた。
胸水がたまっている。
熱も毎日夕方出る
痛みも出てきた。
横になって苦しむ時がある
最後の延命処置をどうするか聞かれた。
人工呼吸器などは、付けないことを
おねがいした。
今入所している介護病棟は、とにかく治療病棟ではないので
わたしはどうしたらいいのか困惑した。
治療はしないにしろ、最後は楽になってほしいから
2階の治療病棟に移して欲しい気持ちがある。
聞いたらば、看護師さん中心で、でっかい栄養注射も
いろう も2階なら処置してもらえるそうです。
2階に移ったらどうかと先生に聞いたら、
そう考えていた・・・と言われた。
食事を与える時も・・そう考えていた と言った先生だ。
いろいろあって
家の近所の病院に電話をしてみたら
ケースワーカーが今の病院のケースワーカと転院の話しを勧めたい
というので、いそいでケアマネにケースワーカを呼んでもらった。
もう、わたしには時間がなかったのに
てんやわんや、
長期に渡っての入院はできないので
回復したら出てもらうけれど
それで良いのか? って。。。。
あくまでも、。もう亡くなるから近所の病院に移ろうとしてたのに
治ることは考えていなかった。
回復が有るのか?
3日前までは、。回復して当然だと思っていたけれど
どうも、様子がおかしい・・・
夕方近くになり、
苦しみだした。お腹が痛いって。 それなのに
拘束パジャマが脱げないので、ハサミで切りたいといって
苦しんでいた
トイレもいきたそうだし・・・
かわいそうなジェンギンス。
早く薬で眠った生活になると良いと思った
転院はどうしたらいいか分からない。
ほんとうに迷っている。
近所なら、母も面会ができるし、わたしもこんなにハードじゃなくなる。
でも、はたして認知老人をめんどうみれるかが心配だし、
最後のホスピス的なことはできないらしい。
とおいけど、今の病院の治療病棟が環境的には良いだろう。
迷っても、相談する人がいなくて参った。
点滴の棒にジェンギンスのお父さんの写真を貼った。
午後12時、午前のアルバイト先から病院へ到着。
待合室で ちりとてちん を見ながらざるそばを食べる。
すごい度胸だ。
なんかい、美味しいパン屋さんで美味しそうなペストリーを
手に取ったことか・・・
だめだめ、ダイエット!
病院に来るたびにペストリーを食べる癖を付けたら
ペストリーになってしまう。
美味しいパンやさんには シベリア もあったのだ。
むかし、秋月堂 で売っていたシベリアだ。
そのむかし、母が弟の看病のために留守していた時
ジェンギンスと朝食用のチョコのかかったパンを買いに行ったことを
思い出した。
いつも買ってもらえないチョコのかかったパンを買ってもらえて
姉と喜んだ思い出を、思い出した。
さて、ジェンギンスは点滴をして相変わらず
眠っています。
口をあけて呼吸しています。
これでは、口の中が乾燥してしまうことでしょう。
口の中は真っ赤で、しろいカスがたくさんついています。
カビでしょうか。
絶食だから食べ物じゃないし・・・
何度も声を掛けました。
呼びかけには反応します。
まず、棒付きのキャンデーを口に入れてあげました。
しかし、飴というのは、唾液がないとなめれないのでした。
いそいで、お水で飴を洗い、口に入れてあげたら
やっと溶け出します。
自分で棒を持ってもらって食べさせました。
透明なキャンデを透かして見てました。
紅茶をすこし
プリンをすこし
前ほど食欲もなく
つらいところがあるみたいです。
そんなことを書くよりも
今日の2時間の面会は
もう、それはもう、いろいろありすぎて
まとめれません。
お陰で、3時半に病院を出ないと行けないのに
30分遅れ、仕事中も電話電話
夜は葬儀屋さんの見積もりメール比較。
微妙に値段が違う。
花で飾られた祭壇は造花だったとは知らなかった。
生花だと10万くらい高いんだ。
さて、
検査結果が出たと言うことだったが
造影検査はしてないなどとぬかした。
今日は造影検査結果待ちで、リンパ節まで
病魔が広がっているかと、余命を知らされる日だったのに、
なんか、わかんないんだって。
看護婦さんに聞いたら
担当の先生は、精神科の先生だっていうから、
お腹の専門医じゃないんだ。
早ければ、すぐにでも
体力が持てば、まだ・・・
という曖昧さ。
胆管周辺がやられてるらしい。
肺はやられていないらしい。
黄疸も出てきた。
胸水がたまっている。
熱も毎日夕方出る
痛みも出てきた。
横になって苦しむ時がある
最後の延命処置をどうするか聞かれた。
人工呼吸器などは、付けないことを
おねがいした。
今入所している介護病棟は、とにかく治療病棟ではないので
わたしはどうしたらいいのか困惑した。
治療はしないにしろ、最後は楽になってほしいから
2階の治療病棟に移して欲しい気持ちがある。
聞いたらば、看護師さん中心で、でっかい栄養注射も
いろう も2階なら処置してもらえるそうです。
2階に移ったらどうかと先生に聞いたら、
そう考えていた・・・と言われた。
食事を与える時も・・そう考えていた と言った先生だ。
いろいろあって
家の近所の病院に電話をしてみたら
ケースワーカーが今の病院のケースワーカと転院の話しを勧めたい
というので、いそいでケアマネにケースワーカを呼んでもらった。
もう、わたしには時間がなかったのに
てんやわんや、
長期に渡っての入院はできないので
回復したら出てもらうけれど
それで良いのか? って。。。。
あくまでも、。もう亡くなるから近所の病院に移ろうとしてたのに
治ることは考えていなかった。
回復が有るのか?
3日前までは、。回復して当然だと思っていたけれど
どうも、様子がおかしい・・・
夕方近くになり、
苦しみだした。お腹が痛いって。 それなのに
拘束パジャマが脱げないので、ハサミで切りたいといって
苦しんでいた
トイレもいきたそうだし・・・
かわいそうなジェンギンス。
早く薬で眠った生活になると良いと思った
転院はどうしたらいいか分からない。
ほんとうに迷っている。
近所なら、母も面会ができるし、わたしもこんなにハードじゃなくなる。
でも、はたして認知老人をめんどうみれるかが心配だし、
最後のホスピス的なことはできないらしい。
とおいけど、今の病院の治療病棟が環境的には良いだろう。
迷っても、相談する人がいなくて参った。
点滴の棒にジェンギンスのお父さんの写真を貼った。
みるき~さんの日記を見ていると、今のところの2階がよさそうだけど・・・
近いところはいいよね。
回復したら出てもらうって、回復することを期待しているわけだから、出されたらどうしようかと思っちゃうね。
その辺の心の葛藤が大変だと思う。
私は、父にここまで出来なかった。
母のことと、父のことを両方考えるのは大変だ。
自分が何処まで出来るかっていうこともあるしね。
お父様が苦しまれないことを祈っています。
父はやっぱ、2階がいいよね。。。
きょう2人の看護婦に希望を伝えたけど、先生がいないとぜんぜん伝わらないんだ。
30分間車にゆられて移動するのも危険だしな。
私は先生に自分の意見をはっきり言う強さが無くて困ったよ。
もしも、話が整った場合、「救急車」移送になると思います。ハワイ旅行中にくも膜下出血&手術した叔母は、成田から最寄の病院(神奈川)まで救急車で搬送されました。
車で30分の所だと、もう少し、短時間で移送できるかもしれません。
移送の話が出たということは、動かせる状態まで回復したということでしょうか?
お近い病院が、どれだけ、認知症の患者さんにご理解があるかどうかでしょうか?
実母が、整形で入院中、同病室の方が認知症らしく、大変そうではありましたが、細やかに看て下さっていました。何度も何度もお呼びがかかっていましたが。看護師さんはいつもにこやかでした。
お近くの病院を見学する価値はあるかもしれません。担当医と話すことも一つ安心材料になるかも?(こちらは、両親の交通事故時、北海道から、二人を飛行機で連れ帰り、事前に受け入れ先病院の担当医に本人不在診察を受けた経験ありです)
あくまでも、認知症でない人の移送例なので、お役に立つかわかりませんが、念のため、一つの選択肢を考える際の、対処として。
ケースワーカー同士は知りあいではないのですが、転院の時はわたしとではなく、ケースワーカー同士で決めるらしいです。
病院は両親とも入院したことのある救急びょういんですが、認知をどこまで許してくれるか? 父はまた歩き始めてしまうだろうか・・・・トイレに行きたい時は立ち上がります、、だから、未知の世界なのです。
今の病院なら老人にも認知にも適しているんだけれど、もし末期ならどこの病院でも近ければいいやと思って居るんです。
痛みだけ止めてくれればそれでいいです。
救急搬送してくれれば良いんだけれど、
いま、治療病棟へも移さないくらいだから
困った。。困った。。
本当に困った。 時間がなくて困った。
問い合わせの時間がない。