アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

ジェンを太らせないと・・・

2006-02-23 10:52:19 | 介護


わたしの午前の仕事は今日から3週間ほど無い。

だから、すこしはジェンギンスの面倒が見れるようになった。

とにかく、この痩せてしまった体と、衰えた脳みそを復活させなければならない。



仕事が無いとは言っても、

家事はそのまま山ほどあるので

家事をしながら、何度もジェンギンスのテーブルに通って朝食のパンを食べさせる。

そのあとまもなく、昼食の五目寿司を食べさせたけれど、お皿のご飯は手にとって食べてしまうので

すぐにサランラップで小さなおにぎりにして持たせた。

結構、食べてくれたので良かった。

私の存在が父の食事をとらせたので本当に良かった。 自己満足だ。



12時過ぎて、デイサービスへ行くため

バス停まで父の腕を抱えて連れて行った。

母が路線バスに一緒に乗って行った。



バスに乗せるのも、下ろすのも、一苦労だ。

外から両親の様子を見ていると、

バスの乗客がみんな両親を見ている。

そして、お年寄りが父のために席を譲ってくれている。

悲しい光景だ。



わたしは、その後、掃除洗濯買い物夕飯支度。



今日作ったのは

ホイコーローとマーボー豆腐。

年寄り用と自分たちのおかずは

やさいの切り方も、味付けも、炒め加減も全て違うので、2種類作るわけだ。

ご飯も、二つのジャーで水加減のちがうご飯を炊くのだ。

味噌汁は、具がいっぱいのものを作るのだ。



そして、私の夜の仕事が終わって

電子レンジをあけたら、

おかずセットが一揃い入ったままだった。

つまり、一生懸命作ったおかずは

このように、毎日食べてもらえず・・・



わたしが夕食を食べるとき、

ジェンギンスにも一揃いそろえて

食べさせた。

パンとミルクも飲ませた。



・・・そうそう、昨日の夜中に、母が助けを求めてきたので夜中だというのに私は父とコタツでパンとミルクでティータイムした。

その後にやっとのことで横になって寝かせる事に成功したのだ。



お腹がいっぱいになって、満足したジェンギンスだったようだ。



だから、きょうも、お腹をいっぱいにさせて、

栄養失調回復に努めるんだ。



__________



しかし、夜中のティタイムが効いたのか

今日、全く久しぶりにジェンギンスは

2階に上がってきた。

声がしたのでドアを開けたら、ジェンが階段を上がりきったところだった。

部屋には入れなかった。

入れてあげればソファに座って喜んだかもしれないけれど・・・

そのまま、腕と体をつかんで一緒に階段を下りた。



降りるときは、慎重に慎重に一歩ずつ降りるジェンギンス。

玄関マットの模様が水たまりに見えるらしいので

躊躇しているから

マットを取ってジェンを降ろした。



階段を上がってくるなんて、、多少の回復だ。



さて、夕飯の時は、テレビの横に置いてある

伊予かんが気になっているらしく、

質問してくるので、

渡したら、自分でむいて

そのあと、わたしに剥いた伊予かんをくれるんだな~

ありがとうと感謝して、いただいておいた。



そのあと、

『 どなたですか?』と私に丁寧に聞いてくるので

『 隣のものです、いつもお世話様です。

  隣というのは、親戚の。。。です。

  東京へ行ったら、おいさんを頼りにしろと

  父がいつも言っていますので

  おいさんの所へ、来ました。

  大変、お世話になりますがよろしくお願いします』



とかなんとか、言ったら、

ジェンは、私の手を握って放さない。

励まされたり、感謝されたり、泣かれたり、自慢されたりして、

ジェンは、泣いて喜んでいたので、これからは

この手でご機嫌をとるんだ。


私の手を握って感謝し、お辞儀をするジェンギンス。

学芸会って感じです。


コメント

アルツ悪化

2006-02-22 23:09:27 | 介護
もう、写真掲載できません。

痩せすぎで骸骨みたいだからです。



痩せた原因は、もしも癌でないなら・・

ご飯を食べないからです。



朝・・・・    トースト少しとホットミルク

昼・・・・   私が用意したおにぎりを一口くらい

おやつ・・・・デイサービスではおやつが出るのだろ

         うか?

帰宅後・・・・  母が買ってくるサツマイモやバナナ

          を食べる。

夕飯・・・・    イモのせいで、まったく食べない。



このパターンで5ヶ月が過ぎた、

父はガリガリになった。

毎朝、私が寒い台所で沢山の食事の支度をしているにもかかわらず、全く手をつけていない日が続く。

電子レンジに入ったままのおかずセットを次の朝

見つける事が多い。



母がパニックを起こしている。



ジェンギンスは、



寝ることを忘れ。

トイレを忘れ。

食べる事をわすれ。

着替える事をわすれ。

言葉の理解をわすれてきた・・・・



最近、今月に入ってから

急変した。

まともじゃなくなった。



痩せてきたとともに

脳も異常を見せ始めた。



母が限界だ。



母は父を怒る。

母は父をなじる。

母は父をバカにする。

母は父を怒鳴る。

母は父のいう事をいちいち聞き返して訂正する。



見てられなくなってきた。



~~~~~~~~~~~~~



この2ヶ月私は忙しくてジェンの朝の面倒を見れなかった。

けさ、午前の仕事を3週間休む事にしてきた。

早朝に仕事に出て午前11時半に私は帰宅した。



ジェンギンスに朝食を食べさせた。

『 あげたって食べないわよ』と母が言うけど

ジェンはちゃんと食べて、ミルクも飲んだ。

そのあと、ご飯とおかずもおいしいと言って

食べた。



着替えもしてくれないから母が怒りに怒って手がつけられなかったけれど、

先にご飯をたべさせて、脳ミソが働くのを待っていたら

だんだん、おしゃべりが出てきて

着替えもする事が出来た。



ジェンは、何もいう事をきいてくれなくなった。



家においておくならしたくもさせなくていいし、

ご飯も好きなとき食べさせれば良い。

寝たいとき寝れば良い。

でも、24時間の介護は家族にはムリだ。

母に負担がかかるから、デイサービスには行ってもらわないと困る。



でも、

そのデイサービスも母がバスに乗せて連れて行くので母は気が気じゃない。

母が帰宅して2時間するとジェンが帰ってくる。



母は、具合が悪くても病院へ行く事も出来ない。



今は、父の頭のおかしさで

この家はいっぱいになっているけれど、

最近、母がどうも、変じゃないかと、思われる。





~~~~~~



今日ジェンは、デイサービスの入浴中に

便を風呂場でしたそうだ。

まともに、ご飯を久しぶりに食べさせたからでしょうか

スタッフの若い皆様には、本当に申し訳なく思います。

わたしですら、父の排便排尿とは付きあった事がないというのに・・・・

介護スタッフを私は心から尊敬します。



ジェンは、入歯を入れることに抵抗したまま

デイサービスに行きました。

スタッフが入れてくれようとしても、だめだったそうです。

夕飯も入歯無しで、まったく爺さん顔で食べていました。

おまけに、入れ歯を何処へ隠したそうで

母がパニックになって探していました。

捨てていない限り出てくると言い聞かせても

パニックになって怒って探していました。

コタツの中にちゃんとありましたよ。



夜も、寝ないといって母は怒ってばかり。



今日デイサービスで母は

『叩けばいいんだ、叩けばいう事を聞くようになる』と

変なことを吹き込まれてきたので

それに、共感し、今頃階下で叩いている頃でしょう。



~~~~~~~~~



この、異常な父が骸骨になっても

長生きしているのは

この家にいるせいです。

至れり尽くせりの幸せな父でしたが、



ちょっと、状況が変わってきました。



わたしの仕事がなかったら

全部面倒を見てあげれるのにと思います。

コメント

ショートステイ3泊

2006-02-14 00:59:39 | 介護
夜中に起きてしまうし、朝方まで寝ない父は

午前中に施設からのお迎えに間に合いません。

それに、機嫌が悪いと運転手さんを待たせてしまうので母が施設に連れて行くのです。



ショートステイのときは大荷物なので

私が持っていきます。
私は午前の仕事がある日だったので

早朝に仕事にいって、大急ぎで帰ってきて

二人を11時20分のバスに乗せました。


私は一緒に乗らないで自転車で荷物をもって行きます。
そうしないと、帰りが帰れないからです。
自転車だと、4-5分で施設に到着するのでわたしは、両親が降りてくるバス停でお迎えをします。

ほんと、年をとると不便です。
こんなに近い距離なのに時間がかかります。

施設に到着して
荷物点検とか血圧を測ったり
トイレの張り紙をたくさんしたり、


スタッフ「 腹巻をしていますか?」
ジェンギンス 「 腹巻じゃなくて、腹いっぱいだよ

        ハハハ..」

と、しゃれにもならないジョークをいっていましたが、だんだん、面白いことがいえなくなってくるんでしょう。



わたしは、すぐに施設から帰りましたが
母は、もう少し残るといって付き添っていました。
心配でしょうがないみたいです。
世話焼きなので、お邪魔じゃないか心配です。



さて、父が3泊いなくなって
母は、たいへんゆっくり寝ることが出来るし
時間に追われなくてすむし、自由に買い物に行くことができます。
よるも、好きなとき寝て寝ながらテレビも見ています。
洗濯物もなくて助かります。

私は、父がいなくても朝食昼食夕食の準備を
朝のうちにしなければいけないし、
ぜんぜん、変わりません。

私が忙しくて自分のことが出来ないのは
決して、父の介護のせいではないことがわかります。

夜と朝、放尿対策のために玄関マットを出したり敷いたり靴を階段に置いたり出したりの仕事が無いことは楽です。 たった数分の仕事です。



今日、父は帰ってきます。
気を遣う生活が始まります。
母は、いま、目医者に行きました。
どうしても、おかしいらしい。
でも、年をとっているから症状が言えないんです。
父がいると、医者にもいけない母で

本当に困ります。
24時間目が話せない父がいて
どうしたらいいのか本当に困っています。




ショートステイの施設へ行くために、ハチ公バス(100円)を待っています。

施設からのお迎えがあるといいのですが、

お迎えの時間に間に合わせる事がもう出来ません。



コメント

おおぼけなこの1週間

2006-02-11 23:02:07 | 介護
けさ、新症状でました。

パンツのなかに便をしました。


( 便失禁は薬の副作用であったことはこの時分からず
   安定剤の副作用だと分かってよかった)

コレがどういう過程でこうなったのか分かりませんが、あさ、立ってトイレで排尿していることは承知していましたが、なかなか出てこないので

母がトイレのドアを開けたら、立ってズボンをいじっていました。



ズボンがよくあるように濡れたらしいので

母が取り替えようとしたら

パンツのなかに便があったのです。



わたしは、仕事に出かける前だったので

母に全てをお任せして出かけました。

もともと、父のパンツ取替えなどしたことが無いし、

両親とも私が居るのは嫌がるので

私は遠慮するわけです。



話によると、脱がせようとしても抵抗するし、怒るし、母の手に便はつくし、抵抗するから便が壁に付きそうになるし、もう母ひとりで大変だったみたいです。

シャワーなど浴びせることも出来ません。



・・・・



とうとう、便!ですか。。。



・・・・



痴呆の掲示板というのがあって

初期の人が困って書き込みをしています。

どの症状も、全て父がとうり過ぎた過程です。

だから、全てに答えてあげれますが、

私の意見が並ぶのもよくありませんから、答えません。

でも、困っている人じゃなくて、心の底から家族の痴呆病気を悲しんでいる人には手を差し伸べてあげたくなるので、今回もメールで話をしました。



私の家族がそのやり取りを読んで言いました。

『 家が、ちょっとやそっとの痴呆じゃ無い事を

 もっと教えてあげなよ。

 家の、痴呆は半端じゃないよ』



わたしは、父の度合いがわかりません。



ただ、最近 『 末期 』 だとあるサイトで読んだので 痴呆の末期だからって、何よ! どうなるって言うのよ! という気持ちです。

癌だったら、間もなくお別れでしょうが、痴呆の末期って言っても、体は元気だったりして、永遠です。



で、 きょうどんな事をしでかしたかというと



* ティッシュの箱から紙を永遠に抜いていました。

* ハンガーに洋服をかける意思はあるのですが

  完璧できずに丸まってます。

* 湯のみにゴミをいれたあと、その茶碗でお茶を

  飲もうとします。

* 湯のみに台ふきを突っ込みます。

* 箸1本でごはんをたべようとしています

* テレビに手を振っています

* テレビの人に向かって卵焼きを突然投げました



* あさ、名前を聞いても分からないみたいでしたが、夕方は名前も住所も電話番号も娘の名前もいえました。 私の姉のことは知らないようでした。

勤めていた会社もいえたので、脳の調子がいいときはやっぱ、父が残っています。



でも、ここ一週間へんです。



とことん、ぼけてます。



座りっぱなし老人のせいです。



むかしから、無欲のジットしていたい性格のせいで
ボケも進みます。
数年、歩いて困りましたが

ここ4ヶ月・・恐怖の老衰状態以降、
父はすっかり薄くなりました。

気まぐれな母が、きょうも葬式の話です。
きょうは、葬式を普通にあげると言い出した。

『 あんたが全部やるんだ。あれもこれもあれもこれも』といわれた。

私はいやです。
生きている時こんなに目一杯尽くしているので
亡くなった日まで、親戚一同近所一同葬儀一同の面倒はみれません!

父の葬儀は家族と父の実家のみで密葬させていただきます。 母以外の了解は取れています。

母だって、そうしたいと言ったはずです


コメント

ジェンギンスの誕生日

2006-02-09 22:55:09 | 介護
2月9日はジェンギンスの誕生日。



ケーキを買ってお祝いしました。



昨年に比べてずい分痴呆が進行していることが

よくわかりました。



誕生日をどうも、理解してくれません。



おめでとうといっても、うなずくだけです。



昨年は泣き声出してよろこんでいたのに・・・



ケーキの上にみかんを置かれてしまいました。



ローソクは消せませんでした。

ローソクは引き出しから出してきて立てたのですが

今年は1本しか見当たらなくて、

確か、昨年は2本立てたと思います。



『 毎年、一本ずつ減るのかよ・・

  来年は無しかよ・・』

と夜話し合いました。

だから、ジェンギンスはローソクの火を

消さなかったんです。

この火を絶やしてなるものか!って感じです。




コメント

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。