藤はどうなったかな。と行ってみた。(5/6)
おお、だいぶん咲いてきたね。
莟がまだまだあるけど、房の上の方はしぼんできてる。
房全体が満開っていう風にはならないんでしょうかね。
で、木は、と見ると、、
中は空洞。痛々しい。
これでよく咲かせているもんだわね。。
向こう側の木は、これほどまでにはなってないけど、
こちらの木の方が花はたくさん咲いている。
この生命力には畏敬の念をおぼえます。
藤はどうなったかな。と行ってみた。(5/6)
おお、だいぶん咲いてきたね。
莟がまだまだあるけど、房の上の方はしぼんできてる。
房全体が満開っていう風にはならないんでしょうかね。
で、木は、と見ると、、
中は空洞。痛々しい。
これでよく咲かせているもんだわね。。
向こう側の木は、これほどまでにはなってないけど、
こちらの木の方が花はたくさん咲いている。
この生命力には畏敬の念をおぼえます。
『一瞬の風になれ(1)』を読みました。
高校の陸上クラブに入った ある少年のお話。
スポーツには縁がない、っていうか、苦手な私が、
ついていけるかしら?って思いながら読み始めたけど、
分からない部分はそのまんまで 充分楽しませてもらいました。
だって少年が心に浮かんだそのまんーまを書き表してあるんですよ。
やべぇ。
はえぇなぁ(速いなぁ)!
とか、若者言葉そのまんま。
男兄弟がいない私には、新鮮でしたね。
で、言葉はそんなだけど、ちゃんと友のことを思って必死でフォローしたり、
自分自身をシッカリ見つめて反省したり。
未熟なりに真剣に生きている。
そうして青春を味わっている。
登場人物、それぞれに個性的で、
ったく しょうもない…って思っちゃったコもいるけど、
それなりに、彼なりに やってるんですよね。
で、この本の最後は、どんな形で終わるのかと思っていたら、
全く不本意な形でお仕舞いになってしまった。
でも、少年は「くそっ! 次こそは」って――。
これ、(2)(3)と続くんですよね。
読んでみようかしらん。
4日にアップした牡丹の全体は、こんな。↓
152cmの私が、ふつうに立って撮りました。
もう終わりかけの花もあって、
「お疲れ様~」って声かけたくなる。
きのうのNHK『明日へ 支えあおう』は、秋元康さんでした。
若者たちに、どんなメッセージを伝え、
どんな町づくりをしていくんだろう。
番組の中で、何度も「自信をもって」と言っておられた。
で、それに応えようとする若者が、ちょっと気になることを言った。
…「自信」といっても色々あるんじゃない?
私が受けとった限りでは、秋元さんは、こう言われたように思う。
『答えは、「正解」とかが、どこかにあるんじゃない。自分自身。自分の心の中にある。
そこに照らして、答え合わせをしていくんです。』
事あるごとに、自分が本心、何をやりたいか。どうしていきたいか。
その心の底にあるものを(色んな角度から)探って見つめ、そこに 合わせる。
表面的なひとの評価など気にしすぎずに、確信を持つ。
そんなことを伝えておられたと思うんです。
それは、いつでも、どんなことにも通じることだよね。
って、自分に問いかけています。
いつも届く、「去年のこの日、あなたが書いた日記です」のお知らせ、
結構役に立ってます。
この地域の花ごよみが出来るんですね。
牡丹の花の写真が出て来たので、さっそく現地へ。
欲張って下の方の花も上の花も撮りたい、しかもできるだけ大きく、
なぁんて思いながら撮った結果の、これです。
しゃがんで、なるべく低い位置から撮りました。
木というより「小低木」、そういうものらしい。
私の身長よりずっと低いのに、重たいほどの大きな花を数多くつけている。
なんか、見ていると――、
自分の持てる限界まで精一杯、という感じ。
ひるがって、我が身を省みると、、
ああ、なんともはや。
どこまで咲いたかな、藤。
満開になると蜂がブンブン喜んで寄って来るのよね…。
と、散策に。
あら、真っ白のツツジもあるのね。
まだまだ咲き始めなのね。
また来なきゃ。
(たった今ニュースでは、愛知県のある名所では八分咲きって言ってたけどねぇ。)
ちなみに 手話の「藤」は、きれいで好きです。
「花」も好き。
梅の赤ちゃん見~っけ
まだ小指の頭ほどもない。
(この頃は細長いのよね。)
お日さま浴びて 大きくなってね~。
こないだ図書館で借りた本、
このタイトルと、
装丁などとっても柔らかくあったかい雰囲気に惹かれたんです。
(※上にリンクしたところで立ち読み、20ページ読めます。)
とても重い病をかかえた子、りお君、
彼の話した言葉(9才までの)を、お母さんが書き留めたものとか。
その子の名前は「いんやく りお」 (とても難しい漢字で、沖縄の方)。
読んでみると――、
う~ん、
これは「これは、こうなのですから、こうこうで…」というような
理論・理屈などとは別の世界なんですね。
自分のふだんの感覚も姿勢も変えて、
心の眼を用意して、そちらの世界に入っていく。
真理の世界。
本当に これ 子どもさんの言ったこと?
まるで天使が降りて来たよう
なんて思ったりもするけれど、
読み進めていくと、お母さんやお父さん(周りの方も?)の影響がありそう。
例えば、りお君が、朝 目を覚ますと、付き添っていたお母さんは、
「ああ、ちゃんと生きて目をあけてくれた 」と感激し、神に感謝するような、
そんな状態だったのですから。
重い病という 不運を嘆いたりするのではなく、
人には出来ない思いや体験を感謝する。
命の重みを ひしひしと実感する日々。
そんな家族の空気。
と言ってしまうと、他にもありそうな話なのだけれど、
これは かなり異なる。
私には うまく言い表せないけれど。
もう一回じっくりと読み返し始めました。
世はGW、真っ最中。
内々でもイベントが近づいてきた。
みんな大張り切りの様子。 まぶしく見えてくる。
でも、私は…、ほとんど役割らしいことやれないのよね。。
せめてと、
いつも自分が担当しているところを、気を入れて進めているけど。
こんな程度のことしか出来ない私、と見ると、自分が不甲斐なく情けなくなる。
でもね、
今の自分が ムリなくやれることを、
(要所要所で周りと打ち合わせしながら)自分で段取りしてやってる、
とも言えるよね。
小さなことだけど、簡単なことだけど、
それが無いと快適にスムーズにいかないかも。
そういうことを見越してシコシコと進めてる。
そんな風に見ていこうよ、今は。