minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

蘇る青春~慶応ジャズ研時代~

2007年07月14日 | 家族の日常
 先日、広島の友人Yさんが東京に仕事でやって来た。当時の仲間が集まってジャムセッションをするというので、馬喰町まで出かけました(遠い・・・)。

 玉川大学のジャズ研は殆ど部員がいなかったので、当時習いだした土岐英史クラスで知り合った藤陵君に誘われて慶応大学のジャズ研に入った。

 早稲田のジャズ研に行ってたら、きっと今の私はいなかったと思う。慶応と早稲田のジャズ研のカラーは全く違っていた。慶応の人たちはみんな和気あいあいとやっていた。だってみんな将来は社長とか大手企業に就職、という人たちが多いんだもんw。今が楽しければいいじゃん、という雰囲気。卒業してプロになろう、という人は殆どいなかった。

 かたや早稲田はプロを目指す上手い人たちがぞろぞろいて、壁に向かってストイックに練習する感じだったので自分の性格には全く向かない。慶応のジャズ研で本当によかった、と思っている(苦笑)。

 藤陵バンドはその中でトップクラスの上手さ(今も熱帯ジャズ楽団などで活躍するテクニシャンのサックス奏者だから、当たり前なのだが)全く初心者の私は1月後にクビを言い渡されるはめに・・・最初の挫折を味わう。

 その時、拾ってくれたのが広島のYさんなのだ。「さっちゃん、もしよければ僕のバンドに入ってくれませんか?」ああ、嬉しい。Yさんの頭の上に後光がさしているようだった。やはりジャズ研に入ってもバンドがなくては何もできない。そしてメンバーを見れば藤陵バンドのリズム隊と全く同じ。要するにリーダーが変わっただけだった。
 
 Yさんはテナー吹き。私もどちらかというとアルトよりテナーが好きだったので、聴く音楽もデイブ・リーブマン、W・ショーター、スティーブ・グロスマンなどなど。彼らの曲を沢山コピーして2管で演奏したものだ。

 彼らの人柄と共通の音楽の影響でバンドの楽しさをたっぷり味わった事が現在に繋がっているのだと今でも感謝している。その後、私以外のみんなは卒業と同時にきちんと就職したり、社長の息子で会社の役員になったり・・・と音楽を趣味としてたまに演奏するだけになってしまい・・・・・・・・・長い時間を経て先日の久しぶりセッションとあいなった。

 「昔のレパートリーと全く変わっていませんねえ。」とかる~い司会の藤陵雅裕氏。でもバンドは久々だ~といいながらもそれぞれのテクニックは衰えていなかった。凄いな。みんな活き活きと演奏している。お客さんたちより本人たちの方が楽しんでいたけど。そう、まずは自分が楽しむ、これ音楽の基本です。

 それにしても大学時代に一気にもどったように、自分の出番がくるまでドッキドキ。昨日の沖山秀子voさんとのセッションよりもドキドキしたのは何でかなあ(違うドキドキ感があったけどw)・・・三つ子の魂(って19歳の魂)はいつまでたっても変わらない。彼らと会うときはいつも19歳のままなのだ(気持ちだけ)。

 帰りは一滴も飲まなかった藤陵君がわざわざ遠回りして、全員を車で送ってくださいました。感謝感謝。Yさん、また遊ぼうね~。