minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

キューバ音楽旅行記4 キューバの音楽教育

2016年12月24日 | 
日曜日、セサルの家に招待していただいた私たちは全員、楽器を持参してイソイソと出かけた。

それにしてもキューバの人たちで「セサル・ロペス」を知らない人はいないくらいのトップクラスの音楽家だった。彼の名前を出せばタクシー運転手すら知っていて家に連れて行ってくれた。(このあとも様々な場所でセサルの名前を聞くことになる)。

川向こうのプラヤという海岸のそばの高級住宅街の中にセサルの家はあった。こちらの音楽家たちは国家公務員で、セサルのようなトップレベルの音楽家には国から家も提供してもらえるそうな。

庭のついた素敵な家で1階の広々とした日当たりの良いリビングでセサルの息子が宿題をやっていた。





彼も小学5年になり、試験に受かってサックス課の生徒になったばかりだそう。こちらの小学校は楽器によるそうだが、サックスは5年生から入れる。それまでは普通の小学校。音楽やスポーツに長けている子供はそれぞれが難しい試験を受けて途中から専門家に進学するのだそう。この国(社会主義国)の学校と医療は全て無料である。

宿題をすませ、セサルが息子のレッスンを始めた。始めたばかりなのに、すごく良い音を出している。さすが、カエルの子。教則本をのぞくと全て手書きのものだった。



セサルは最初、ギターが弾きたくて音楽学校を受験した。たまたま試験管の教師がサックスで、入学して学校に行くと自分の名前がギター課になかった。どうやら教師が勝手にサックス課に入れてしまったらしい。セサルは「サックスなんてやりたくない。」と学校の寮を抜け出し家に戻ると、そのまま父親に説得され学校に戻された。次に家に戻ったときに父親がチャーリーパーカーのレコードを聴かせてくれて、それからサックスが大好きになった。(と、何かのインタビュー記事に書いてあった。)

セサルは優秀な成績をおさめつつも、チューチョバルデスに引き抜かれ、学校は中退。そのまま「イラケレ」に入って10年間メンバーとして君臨することになる。学校で優秀な成績を収めたり、試験に合格しないと、プロとして(国家公務員)認められない。(しかし、国家公務員としての給料もたかが知れているので、他の職業を持ったり、セサルのような一流になれば海外公演などが大きな収入源となるようだ。)


レッスンのあとは、聖子さんの美味しいキューバの家庭料理をご馳走になった。今までずっと外食でハンバーガー、パスタ、ピザばかりだったのでこんな美味しい料理は初めてでとても感動。野菜たっぷりのサラダにキューバのコングリという豆のシチューをごはんにかけて食べる。じゃがいもは配給制でなかなか入手できないので代わりにバナナやサツマイモを揚げたもの。そしてまるごとチキンのフライ。いや〜絶品でした!!ごちそうさま〜。




食後のハマキをご馳走してくれるセサル。


ご馳走のあとは、お待ちかねのジャムセッション。いつの間にか、セサルの音楽学校での教師(彼がセサルをサックス課に入れた本人か?)が遊びに来ている。彼は今や息子の先生だそう。

2階のセサルの書斎にいくと、PC画面に自分の作曲した曲をフィナーレで打ち込んであり、壮大な、美しい曲をたくさん聴かせてくれた。それに合わせて歌も歌い、サックスでソロもとる・・・。す、すごすぎる。唖然とする私たち。そしてついにセッションが始まった。圧倒的なテクニックと音楽性のすばらしさに自分の演奏が嫌になる。

まずはこちらをごらんください。
セサルと永田利樹bassのセッション動画/Just Friends

All the things you are 、Just Friends、黒いオルフェなどを演奏し、In a sentimental moodを吹いたときだけ、セサルと師匠の拍手が起こった。ようやく自分らしい演奏ができたようだ(汗)。

セサルによれば、音楽学校ではクラシックだけを勉強するらしい。ジャズやラテン音楽などは一切教わっていないそう。チャーリーパーカーなど、いろいろな音楽を聴いてコピーして覚えたに違いない。このあともいろいろなキューバのミュージシャンの演奏を聴くことになるが、ことごとく根底にクラシックが流れているのがわかった。チューチョバルデスpがラテンの曲の中でチャイコフスキーを弾いたり、ドラマーたちが譜面を見ながら打楽器協奏曲を叩くなど・・・。恐るべし、キューバの音楽教育。



そして、最後に「TReSの演奏を聴いてもらえますか?」とお願いし、PiazzollaとNimba(トシキのオリジナル)を聞いてもらった。

帰り際に、セサルは「来週の金曜のJazz Cafeで自分たちの演奏の前に2、3曲TReSで演奏していいよ。」

ついに、TReSでデビューする日が決定したのだった!!!(つづく)





キューバ音楽旅行記3  セサル・ロペスとの出会い

2016年12月24日 | ライブとミュージシャンたち
セサルとの出会いはちょうど2年前の今頃だった。ブエノスアイレス国際ジャズフェスティバルに出演していた私たちは、ちょうど同じフェスに出演するセサルの演奏を聴きに行った。セサルの奥様が日本人だから、と知人にFBで紹介されたので聴きに行ったのだった。小柄だがテクニックとパワー全開の素晴らしい演奏に圧倒され、パキートなき(亡命したからね)イラケレを支えていたのは彼だったのね、と認識した。しかし、このときは大きなホールだったので直接セサルにご挨拶はできなかった。

そんな関係で、今回も日本から奥様にメールを出していたが「いらっしゃるなら、ぜひ我が家にも来てくださいね。ご馳走しますよ。」などと嬉しいお返事をいただき、セサルが毎週末にJazz Cafeに出演していることも教えてくださったので、さっそく金曜に行くことにしていたのだ。まさか、見ず知らずの私たちに楽器を持っていらっしゃい、なんて嬉しいことを言ってもらえるとは思わなかった。楽器を吹くチャンスがとうとう訪れるなんて。しかもセサルといえば、キューバのトッププレイヤーなのだ。胸のドキドキが止まらない。

まずは金曜の昼3時過ぎに、約束通り、私とリオは楽器を持ってホテルセビージャに出かけた。初めてソンという音楽の中で3、4曲演奏したのだが、曲を知らずに彼らについていくのは結構大変だった。中でソロをとるのは比較的単純なコード進行なので難しくはないのだが、リズムをとるのが思ったより大変なのだ。途中でコンガのおじさんがバックリフを口ずさんで「こうやって吹け」と合図を送ってくる。これがまた難しいのですぐにその通りには吹けない。冷や汗かきつつ、ソンの奥深さも知ることができ、もっともっとこの音楽を知りたいと思い、彼らにお礼を言ってから「リハーサルをやっているのならぜひ私たちも参加させてほしい」と告げると「じゃあ、来週の水曜あたりにベーシストの家でディナー食べながらリハーサルやろう!水曜の朝にここで待ち合わせしよう。」と言ってくれた。(しかし、残念なことに前日に確認しにいくと、ベーシストの母親が倒れた、とのことでこのリハーサル&ディナーは延期となってしまった。)





そして、いよいよ夜の9時半過ぎ、Jazz Cafeに到着してもまだセサルたちは現れなかった。本来は9時半から始まり、2セットあると書いてあるが、セサルのバンドは10:30に始まって1セットで終了するのだった。お客様たちは文句も言わず飲んで食べて待っている。私たちもドキドキしながらセサルを待った。一体何を一緒に演奏できるのだろうか?

セサルと奥様の聖子さんがやってきた。聖子さんは想像以上に美しい、とても気さくな方だった。セサルを紹介してもらうと「ニホン、ダイスキデス!オス!」とひょうきんに挨拶。一緒に何を演奏しようかと悩んでいるうちに「じゃあ、簡単なコードの曲をやるので適当に入ってきて。」ということにw。悩んでも仕方ない。了解しました!と打ち合わせもソコソコに、セサルバンドの演奏が開始。

これが凄いのなんのって・・・・。いや〜、こんな方達の中で演奏させてもらっていいのだろうか?とハラハラしながら演奏を聴いていたら4曲目くらいに「次にやるよ。」とセサルからの合図。さっそく楽器を取り出し準備を始める。



ファンキーなブルースだった。セサルのオリジナルだろう。リオもこういう曲が大好きなので思い切り堂々と演奏していた。観光客もみんなヤンヤの拍手を送ってくれる。ありがたや。さらに最後の方でもう一曲やろう、とセサルのお呼びがかかる。ハンコックの曲だった。結局2曲演奏させてもらった。

セサルのバンドのギターリスト、エミリオがとても親切な人で、演奏後もいろいろとおしゃべりし意気投合。なんと、彼の奥様も日本人で、今は仕事で東京の実家にいるそうな。今度の1月に東京に彼女を迎えに行くらしい。「東京でも会いましょう!」

セサルさんも喜んでくれたよう。聖子さんが「あさっての日曜のお昼に我が家にいらっしゃいませんか。」とランチに招待してくださった。楽器を持って伺います!とまたまた図々しくも約束して・・・(つづく)。


















キューバ音楽旅行記2 「サンテリア」と「ソン」

2016年12月24日 | 
「キューバに行ったら、ぜひサンテリアを体験するといいですよ。」

大儀見元perちゃんがヤハギジャズに参加してくれたときに、アドバイスをくれた。元ちゃんもサンテリアのバタドラムを勉強するために1週間滞在して戻ったばかりだったのだ。

ブラジルではカンドンブレ、キューバではサンテリアという、神様に捧げる儀式のようなもの。冠婚葬祭などで個人の家でパーカッショニストたちが集まり朝から夜までずっと演奏をする。これはもともとアフリカから来たもの。ただ、コンサートではないのでいつやるかは全く情報がない。どうやったらサンテリアを見学できるのだろう・・・・・。

そんな中で、河野さんから「友人の家でサンテリアをやるらしい」と聞いたのでタクシーでかなりDeepな住宅街まで行ってみたが、結局どこでもやっておらず、仕方なく戻ってきた。連れて行ってくれたタクシーのお兄ちゃん(マイケル)はとても面倒見がよくて、最後までその家を探そうと一緒に手伝ってくれたのだったが。丁寧にお礼をして家に戻ることにした。

がっくりしながらも、ハバナビアヘ(旧市街)に再びでかけると、セビージャホテルから素敵な音楽が聴こえてきた。中庭のようなところに入っていくとカフェの隅で4人組のソングループが演奏している。「ソン」というのはサンティアゴ・デ・クーバが発祥の音楽。トレスという3本(複弦)弦のギター、ボンゴ、ウッドベース、ボーカルという編成。ベースはなぜ隅っこで反対向いて弾くんだろう?と思ったら生音なので、壁に向けて弾いたほうが音がよく響くのだった。それにしてもメインボーカルも生声でよく通る声だ。

ソンのバンドの動画@Sevilla Hotel

全員がコーラスをするのだが、そのハーモニーが美しい。そしてびっくりするくらいトレスの青年がうまいのだ(あとで本場のサンティアゴに行ってたくさんソンのバンドを聞いたが、このトレスの青年がダントツに上手かった)。思わずノリノリで聴いていたら、さっそくボーカルのおじさんが話しかけてきた。彼らのCDを10セウセで購入してあげると大喜び。さらに音楽家だと告げると、ぜひ土曜に楽器を持って遊びにおいで、と誘ってくれた。こちらに来てソンが大好きになった私としてはまたとないチャンスなので、金曜の3時に来るね、と約束して別れた。



夜は河野さんperの率いるグループを聴きに「コイーバホテル」に向かった。彼の他にも黒人のパーカッション(特にバタドラム)、サックス(フルートも吹くマルチプレーヤー)、エレクトリックベース、キーボードの5人編成。日本の民謡をアレンジしたものやジャズの曲などをラテンにしたものなどを演奏していた。特にバタドラムの黒人パーカッショニストが素晴らしかった。



この何日かあとで、夕方、家の近くを歩いていると民家からバタドラムの音が聴こえてきた。あ、サンテリアだ!!偶然にもサンテリアに出会えるなんて。音に引き寄せられるように歩いていくと、若い女の子たちが私たちに「おいで、おいで。」と誘ってくれる。入り口の部屋で黒人の青年3人がバタドラムを叩いている。「こっちにおいで。」と連れられた細い廊下にいろいろな飾り物とお供え物のようなお菓子がたくさん置いてある。その中からケーキのようなものを一つづつもらい、お供え物の前にある皿にお金を入れるように指示される。いくらでも良いので1人づつ1セウセを払う。するとさらに奥の部屋に連れて行かれ、「今日はこの子の5歳の誕生日なのよ。」と真っ白い上下のおしゃれをした可愛い男の子とお父さんが部屋にいてご挨拶をする。お誕生日にもサンテリアをやるんだな。

バタドラムのリズムは複雑で面白かった。その中でみんな狂ったように踊ったり飲んだり食べたり。疲れると、次のパーカッショニストたちと交代し延々と演奏が続いている。この儀式は映像などはだめだよ、とみんなから聞かされていたので外からこっそり撮ったものをここにアップしておきます。興味あればどうぞ。



サンテリアの映像(外から)

そして、突然セサル・ロペスから「金曜日、Jazz Cafeに来るのなら、ぜひ楽器を持っておいで。」というメッセージが届いていた・・・・(つづく)。