日曜日、セサルの家に招待していただいた私たちは全員、楽器を持参してイソイソと出かけた。
それにしてもキューバの人たちで「セサル・ロペス」を知らない人はいないくらいのトップクラスの音楽家だった。彼の名前を出せばタクシー運転手すら知っていて家に連れて行ってくれた。(このあとも様々な場所でセサルの名前を聞くことになる)。
川向こうのプラヤという海岸のそばの高級住宅街の中にセサルの家はあった。こちらの音楽家たちは国家公務員で、セサルのようなトップレベルの音楽家には国から家も提供してもらえるそうな。
庭のついた素敵な家で1階の広々とした日当たりの良いリビングでセサルの息子が宿題をやっていた。
彼も小学5年になり、試験に受かってサックス課の生徒になったばかりだそう。こちらの小学校は楽器によるそうだが、サックスは5年生から入れる。それまでは普通の小学校。音楽やスポーツに長けている子供はそれぞれが難しい試験を受けて途中から専門家に進学するのだそう。この国(社会主義国)の学校と医療は全て無料である。
宿題をすませ、セサルが息子のレッスンを始めた。始めたばかりなのに、すごく良い音を出している。さすが、カエルの子。教則本をのぞくと全て手書きのものだった。
セサルは最初、ギターが弾きたくて音楽学校を受験した。たまたま試験管の教師がサックスで、入学して学校に行くと自分の名前がギター課になかった。どうやら教師が勝手にサックス課に入れてしまったらしい。セサルは「サックスなんてやりたくない。」と学校の寮を抜け出し家に戻ると、そのまま父親に説得され学校に戻された。次に家に戻ったときに父親がチャーリーパーカーのレコードを聴かせてくれて、それからサックスが大好きになった。(と、何かのインタビュー記事に書いてあった。)
セサルは優秀な成績をおさめつつも、チューチョバルデスに引き抜かれ、学校は中退。そのまま「イラケレ」に入って10年間メンバーとして君臨することになる。学校で優秀な成績を収めたり、試験に合格しないと、プロとして(国家公務員)認められない。(しかし、国家公務員としての給料もたかが知れているので、他の職業を持ったり、セサルのような一流になれば海外公演などが大きな収入源となるようだ。)
レッスンのあとは、聖子さんの美味しいキューバの家庭料理をご馳走になった。今までずっと外食でハンバーガー、パスタ、ピザばかりだったのでこんな美味しい料理は初めてでとても感動。野菜たっぷりのサラダにキューバのコングリという豆のシチューをごはんにかけて食べる。じゃがいもは配給制でなかなか入手できないので代わりにバナナやサツマイモを揚げたもの。そしてまるごとチキンのフライ。いや〜絶品でした!!ごちそうさま〜。
食後のハマキをご馳走してくれるセサル。
ご馳走のあとは、お待ちかねのジャムセッション。いつの間にか、セサルの音楽学校での教師(彼がセサルをサックス課に入れた本人か?)が遊びに来ている。彼は今や息子の先生だそう。
2階のセサルの書斎にいくと、PC画面に自分の作曲した曲をフィナーレで打ち込んであり、壮大な、美しい曲をたくさん聴かせてくれた。それに合わせて歌も歌い、サックスでソロもとる・・・。す、すごすぎる。唖然とする私たち。そしてついにセッションが始まった。圧倒的なテクニックと音楽性のすばらしさに自分の演奏が嫌になる。
まずはこちらをごらんください。
セサルと永田利樹bassのセッション動画/Just Friends
All the things you are 、Just Friends、黒いオルフェなどを演奏し、In a sentimental moodを吹いたときだけ、セサルと師匠の拍手が起こった。ようやく自分らしい演奏ができたようだ(汗)。
セサルによれば、音楽学校ではクラシックだけを勉強するらしい。ジャズやラテン音楽などは一切教わっていないそう。チャーリーパーカーなど、いろいろな音楽を聴いてコピーして覚えたに違いない。このあともいろいろなキューバのミュージシャンの演奏を聴くことになるが、ことごとく根底にクラシックが流れているのがわかった。チューチョバルデスpがラテンの曲の中でチャイコフスキーを弾いたり、ドラマーたちが譜面を見ながら打楽器協奏曲を叩くなど・・・。恐るべし、キューバの音楽教育。
そして、最後に「TReSの演奏を聴いてもらえますか?」とお願いし、PiazzollaとNimba(トシキのオリジナル)を聞いてもらった。
帰り際に、セサルは「来週の金曜のJazz Cafeで自分たちの演奏の前に2、3曲TReSで演奏していいよ。」
ついに、TReSでデビューする日が決定したのだった!!!(つづく)
それにしてもキューバの人たちで「セサル・ロペス」を知らない人はいないくらいのトップクラスの音楽家だった。彼の名前を出せばタクシー運転手すら知っていて家に連れて行ってくれた。(このあとも様々な場所でセサルの名前を聞くことになる)。
川向こうのプラヤという海岸のそばの高級住宅街の中にセサルの家はあった。こちらの音楽家たちは国家公務員で、セサルのようなトップレベルの音楽家には国から家も提供してもらえるそうな。
庭のついた素敵な家で1階の広々とした日当たりの良いリビングでセサルの息子が宿題をやっていた。
彼も小学5年になり、試験に受かってサックス課の生徒になったばかりだそう。こちらの小学校は楽器によるそうだが、サックスは5年生から入れる。それまでは普通の小学校。音楽やスポーツに長けている子供はそれぞれが難しい試験を受けて途中から専門家に進学するのだそう。この国(社会主義国)の学校と医療は全て無料である。
宿題をすませ、セサルが息子のレッスンを始めた。始めたばかりなのに、すごく良い音を出している。さすが、カエルの子。教則本をのぞくと全て手書きのものだった。
セサルは最初、ギターが弾きたくて音楽学校を受験した。たまたま試験管の教師がサックスで、入学して学校に行くと自分の名前がギター課になかった。どうやら教師が勝手にサックス課に入れてしまったらしい。セサルは「サックスなんてやりたくない。」と学校の寮を抜け出し家に戻ると、そのまま父親に説得され学校に戻された。次に家に戻ったときに父親がチャーリーパーカーのレコードを聴かせてくれて、それからサックスが大好きになった。(と、何かのインタビュー記事に書いてあった。)
セサルは優秀な成績をおさめつつも、チューチョバルデスに引き抜かれ、学校は中退。そのまま「イラケレ」に入って10年間メンバーとして君臨することになる。学校で優秀な成績を収めたり、試験に合格しないと、プロとして(国家公務員)認められない。(しかし、国家公務員としての給料もたかが知れているので、他の職業を持ったり、セサルのような一流になれば海外公演などが大きな収入源となるようだ。)
レッスンのあとは、聖子さんの美味しいキューバの家庭料理をご馳走になった。今までずっと外食でハンバーガー、パスタ、ピザばかりだったのでこんな美味しい料理は初めてでとても感動。野菜たっぷりのサラダにキューバのコングリという豆のシチューをごはんにかけて食べる。じゃがいもは配給制でなかなか入手できないので代わりにバナナやサツマイモを揚げたもの。そしてまるごとチキンのフライ。いや〜絶品でした!!ごちそうさま〜。
食後のハマキをご馳走してくれるセサル。
ご馳走のあとは、お待ちかねのジャムセッション。いつの間にか、セサルの音楽学校での教師(彼がセサルをサックス課に入れた本人か?)が遊びに来ている。彼は今や息子の先生だそう。
2階のセサルの書斎にいくと、PC画面に自分の作曲した曲をフィナーレで打ち込んであり、壮大な、美しい曲をたくさん聴かせてくれた。それに合わせて歌も歌い、サックスでソロもとる・・・。す、すごすぎる。唖然とする私たち。そしてついにセッションが始まった。圧倒的なテクニックと音楽性のすばらしさに自分の演奏が嫌になる。
まずはこちらをごらんください。
セサルと永田利樹bassのセッション動画/Just Friends
All the things you are 、Just Friends、黒いオルフェなどを演奏し、In a sentimental moodを吹いたときだけ、セサルと師匠の拍手が起こった。ようやく自分らしい演奏ができたようだ(汗)。
セサルによれば、音楽学校ではクラシックだけを勉強するらしい。ジャズやラテン音楽などは一切教わっていないそう。チャーリーパーカーなど、いろいろな音楽を聴いてコピーして覚えたに違いない。このあともいろいろなキューバのミュージシャンの演奏を聴くことになるが、ことごとく根底にクラシックが流れているのがわかった。チューチョバルデスpがラテンの曲の中でチャイコフスキーを弾いたり、ドラマーたちが譜面を見ながら打楽器協奏曲を叩くなど・・・。恐るべし、キューバの音楽教育。
そして、最後に「TReSの演奏を聴いてもらえますか?」とお願いし、PiazzollaとNimba(トシキのオリジナル)を聞いてもらった。
帰り際に、セサルは「来週の金曜のJazz Cafeで自分たちの演奏の前に2、3曲TReSで演奏していいよ。」
ついに、TReSでデビューする日が決定したのだった!!!(つづく)