サンティアゴはハバナよりも田舎だと思ったけれど、店や町並みをみると、ハバナよりもずっと洗練されていて美しかった。観光客がこの地だけを訪れる人も多いというのはわかる気がする。一番嬉しいのは空気がハバナよりも綺麗なことだ。ただ、山に囲まれて起伏が激しいので、坂道だらけ。ちょっと歩くにも山登りをするようで、喘息持ちの私はぜいぜいと辛かった。
上の写真はおしゃれなアイスクリーム屋さん。なんと、2つで10円もしないのだ!!そしてすぐに溶けちゃうけど、めちゃめちゃ美味しかった。
2日目の夕方、セスペデス公園に立ち寄ると、長蛇の列が消えていた。軍の入り口を覗いていると「どうぞどうぞ。」と中に入るように促してくれる。誘われるままにカストロの写真の前でご挨拶してから奥に入って記帳してきた。意外と日本人の名前が漢字でたくさん書かれていたのにはびっくりだった。どうやら記帳できる期間は今日までらしかった。
フィデルの葬儀はハバナから始まって、1週間かけて各主要都市を回り、最終日にここサンティアゴにやってくる。フィデルの故郷でもあるこの地が最終地点ということで、サンティアゴの人々は誇りを持っているようだった。そしてほとんどの人たちが「M 26-7」という腕章をつけていた。(これに関してはこちらをどうぞ。)
閑散としたサンティアゴの街をうろつきながら、夕方からはすることもないので、宿にもどってリハーサル。もちろん小さな音で。宿の人たちは文句一つ言わずに我慢してくれた。感謝。
3日目の朝(12月1日)、いつもの美味しいコーヒーを宿のおじさんが淹れてくれて朝食をとろうとしたとき、「サチ、こっちにきて。」とおばさん。玄関に行ってみるとひとりの日本人女性がキューバ人の男の人と隣の宿のマルガリータと3人で立っていた。
どうやら、日本人が宿泊しているということをマルガリータから聞きつけて訪ねてくれたらしい。そして、横にいるキューバ人を紹介された。
「Atzelというソンバンドのギターリストなの。これから彼と一緒にミュージシャンの家に行くんだけれどよければ一緒に来てもらえませんか?」
静かでやることもないサンティアゴ、こちらこそ願ってもない楽しそうなお誘いに、挨拶もそこそこに彼女たちに着いていくことにした。
ユキミさんという女性は一人でハバナからバスに乗ってやってきたそうだ。(彼女のものすごいエネルギーに脱帽。)もともと茨城でラテンのお店(クラーベ)で働いていたこともあって、ご自分もパーカッションを演奏するそう。
今回、突然のフィデルの訃報で音楽がなくてつまらないサンティアゴで途方にくれ、FBで友人に「誰かミュージシャンを紹介してくれないか?」と頼んだところ、Atzel(アッツエル)を紹介され、電話するとすぐに会いに来てくれたそう。彼はユキミさんの友人(日本人)のCDをここサンティアゴで製作したときに共演した音楽仲間だった。そして、やはりマルゲリータに宿泊予定だったのに、なぜか他の宿に移されてしまったらしい。
歩いて5分くらいの場所にある家に入っていくと、優しそうな大柄の男性が出迎えてくれた。EmilioというAtzelたちのバンドのベーシストだった。
ベーシスト同士で話がはずむ。
Emilioの書斎のような部屋に入ると大きなWindowsの画面とキーボードが置いてある。たくさんの音楽をこのPCで聞かせてくれ、さらに彼らの録音中の音源まで聞かせてもらった。しばらくすると、ヤ〜!とパコというパーカッショニストがボンゴを持ってやってきた。ユキミさんがぜひボンゴを習いたい、とAtzelにお願いしていたらしい。ミュージシャンたちが集い、賑やかに。いきなり面白い展開になってきたぞ。
ユキミさんとレッスン
歌舞音曲禁止期間なので小さく叩くパコ
私たちも「SON」という音楽を深く知りたいと思っていたので、「SONARTE」というソンバンドのギター、ベース、パーカッションといきなりお友達になれ、様々なリズムの質問などをして、彼らも真剣に答えてくれる。時には3人の意見が食い違って喧々諤々になることも・・・。久しぶりに音楽に触れた喜びもあり、楽しくて楽しくてあっという間に夜になってしまった。
お礼を言って帰ろうとすると「4日(日曜)まではフィデルの葬儀で音も出せないし、忙しいけど月曜の11時から「Altec」というカフェで演奏するからおいでね!!」モッチロン!とお礼を言って別れた。
素晴らしい出会いに感謝の日。ユキミさん、本当にありがとう!!
月曜には音楽が解禁になる。そして、ユキミさんはその翌日の深夜バス(!)でハバナへ戻るそう。ああ、早く月曜(5日)にならないかなあ。あと少しの辛抱だ・・・。(つづく)
上の写真はおしゃれなアイスクリーム屋さん。なんと、2つで10円もしないのだ!!そしてすぐに溶けちゃうけど、めちゃめちゃ美味しかった。
2日目の夕方、セスペデス公園に立ち寄ると、長蛇の列が消えていた。軍の入り口を覗いていると「どうぞどうぞ。」と中に入るように促してくれる。誘われるままにカストロの写真の前でご挨拶してから奥に入って記帳してきた。意外と日本人の名前が漢字でたくさん書かれていたのにはびっくりだった。どうやら記帳できる期間は今日までらしかった。
フィデルの葬儀はハバナから始まって、1週間かけて各主要都市を回り、最終日にここサンティアゴにやってくる。フィデルの故郷でもあるこの地が最終地点ということで、サンティアゴの人々は誇りを持っているようだった。そしてほとんどの人たちが「M 26-7」という腕章をつけていた。(これに関してはこちらをどうぞ。)
閑散としたサンティアゴの街をうろつきながら、夕方からはすることもないので、宿にもどってリハーサル。もちろん小さな音で。宿の人たちは文句一つ言わずに我慢してくれた。感謝。
3日目の朝(12月1日)、いつもの美味しいコーヒーを宿のおじさんが淹れてくれて朝食をとろうとしたとき、「サチ、こっちにきて。」とおばさん。玄関に行ってみるとひとりの日本人女性がキューバ人の男の人と隣の宿のマルガリータと3人で立っていた。
どうやら、日本人が宿泊しているということをマルガリータから聞きつけて訪ねてくれたらしい。そして、横にいるキューバ人を紹介された。
「Atzelというソンバンドのギターリストなの。これから彼と一緒にミュージシャンの家に行くんだけれどよければ一緒に来てもらえませんか?」
静かでやることもないサンティアゴ、こちらこそ願ってもない楽しそうなお誘いに、挨拶もそこそこに彼女たちに着いていくことにした。
ユキミさんという女性は一人でハバナからバスに乗ってやってきたそうだ。(彼女のものすごいエネルギーに脱帽。)もともと茨城でラテンのお店(クラーベ)で働いていたこともあって、ご自分もパーカッションを演奏するそう。
今回、突然のフィデルの訃報で音楽がなくてつまらないサンティアゴで途方にくれ、FBで友人に「誰かミュージシャンを紹介してくれないか?」と頼んだところ、Atzel(アッツエル)を紹介され、電話するとすぐに会いに来てくれたそう。彼はユキミさんの友人(日本人)のCDをここサンティアゴで製作したときに共演した音楽仲間だった。そして、やはりマルゲリータに宿泊予定だったのに、なぜか他の宿に移されてしまったらしい。
歩いて5分くらいの場所にある家に入っていくと、優しそうな大柄の男性が出迎えてくれた。EmilioというAtzelたちのバンドのベーシストだった。
ベーシスト同士で話がはずむ。
Emilioの書斎のような部屋に入ると大きなWindowsの画面とキーボードが置いてある。たくさんの音楽をこのPCで聞かせてくれ、さらに彼らの録音中の音源まで聞かせてもらった。しばらくすると、ヤ〜!とパコというパーカッショニストがボンゴを持ってやってきた。ユキミさんがぜひボンゴを習いたい、とAtzelにお願いしていたらしい。ミュージシャンたちが集い、賑やかに。いきなり面白い展開になってきたぞ。
ユキミさんとレッスン
歌舞音曲禁止期間なので小さく叩くパコ
私たちも「SON」という音楽を深く知りたいと思っていたので、「SONARTE」というソンバンドのギター、ベース、パーカッションといきなりお友達になれ、様々なリズムの質問などをして、彼らも真剣に答えてくれる。時には3人の意見が食い違って喧々諤々になることも・・・。久しぶりに音楽に触れた喜びもあり、楽しくて楽しくてあっという間に夜になってしまった。
お礼を言って帰ろうとすると「4日(日曜)まではフィデルの葬儀で音も出せないし、忙しいけど月曜の11時から「Altec」というカフェで演奏するからおいでね!!」モッチロン!とお礼を言って別れた。
素晴らしい出会いに感謝の日。ユキミさん、本当にありがとう!!
月曜には音楽が解禁になる。そして、ユキミさんはその翌日の深夜バス(!)でハバナへ戻るそう。ああ、早く月曜(5日)にならないかなあ。あと少しの辛抱だ・・・。(つづく)