レコーディングを終えて、翌日もまたAltecに11時からSONARTEが演奏するので聞きに行った。
Atzel が私たちを見つけるとすぐにウィンク。でもなんだか様子が変だぞ??
演奏が終わって私たちのところにやってきたEmilioとAtzel。申し訳なさそうな顔をして「明日、一緒に演奏しよう、って約束していた仕事だけれど、フィデルの追悼期間(来年3月くらいまで?)は激しめのSONを演奏してはいけないというおふれがでたんだって。だから、申し訳ないけれど明日は野外で一緒に演奏できないんだ。でもコンサートにはくるよね?明日待ち合わせしよう。」
えええ〜、そりゃないよ〜(涙)。せっかく共演できるとはりきっていたのに・・・。確かに、このあとのグループやエミリートたちのSepteto de Trovaの演奏も聴きに行ったがほとんど静かめに演奏。激しい曲はせいぜい1曲くらいだった。
こうなったら、サンティアゴデクーバの残り3日間、いろいろな音楽を楽しむしかない。でも激しくないソンなんて、気の抜けたコーラみたいだった・・・。
Altecの帰り道にCasa De La Trovaがある。ここの一階と2階、両方でライブをやっている。下は通り道なのでまるみえ。かわいい男の子がお父さんのそばでギロを演奏していた。
エミリートの所属する「Septeto de la Trova」@Casa de la Trova2F
その夜、夕飯を食べに近所の店に入ると満員。どうしよう?と思っていたら若い男の子がこの地下はライブハウスだけど、そこでもここの食事ができるよ。来ませんか?というので、誘われるまま地下へ・・・・。一度ここのライブも聞いてみよう、と話をしていたところだったのだ。
薄暗い中で料理の注文をしていると、客引きだと思ったお兄ちゃんが話しかけてきた。
「これからライブなんです。観光ですか?」
「私たちも音楽家なの。」
「え?何の楽器?」
「サックスとベース。」
「えええ?僕もテナーサックスで、これからリハーサルやるんだよ。」
どこかで演奏したくてうずうずしていた私たちは「じゃあ、これから楽器とってくるから、飛び入りさせてくれる?でも大きい音だして大丈夫なの?」
「OK!!ちゃんと扉の閉まるライブハウスでは何の問題もないんだよ。」
そっか〜。エミリオたちは常に解放されたカフェでの演奏だった。こういうライブハウスでの演奏というのもあったのね〜w。
いそいそと楽器をとりに戻ると、ごはんもそこそこに楽器を取り出し、リハーサルに参加。
リーダーはキーボードの黒人だった。さっそくComo FueとSabor a miを演奏するとバンドのみんなが大喜び。パーカッションの黒人も「明日はこのバンドで(ボーカルなし)で夜からギグなんだけど、そこに来ない?」
話はどんどん面白い方向へ広がっていく。あとサンティアゴデクーバも3日になった。(つづく)
Atzel が私たちを見つけるとすぐにウィンク。でもなんだか様子が変だぞ??
演奏が終わって私たちのところにやってきたEmilioとAtzel。申し訳なさそうな顔をして「明日、一緒に演奏しよう、って約束していた仕事だけれど、フィデルの追悼期間(来年3月くらいまで?)は激しめのSONを演奏してはいけないというおふれがでたんだって。だから、申し訳ないけれど明日は野外で一緒に演奏できないんだ。でもコンサートにはくるよね?明日待ち合わせしよう。」
えええ〜、そりゃないよ〜(涙)。せっかく共演できるとはりきっていたのに・・・。確かに、このあとのグループやエミリートたちのSepteto de Trovaの演奏も聴きに行ったがほとんど静かめに演奏。激しい曲はせいぜい1曲くらいだった。
こうなったら、サンティアゴデクーバの残り3日間、いろいろな音楽を楽しむしかない。でも激しくないソンなんて、気の抜けたコーラみたいだった・・・。
Altecの帰り道にCasa De La Trovaがある。ここの一階と2階、両方でライブをやっている。下は通り道なのでまるみえ。かわいい男の子がお父さんのそばでギロを演奏していた。
エミリートの所属する「Septeto de la Trova」@Casa de la Trova2F
その夜、夕飯を食べに近所の店に入ると満員。どうしよう?と思っていたら若い男の子がこの地下はライブハウスだけど、そこでもここの食事ができるよ。来ませんか?というので、誘われるまま地下へ・・・・。一度ここのライブも聞いてみよう、と話をしていたところだったのだ。
薄暗い中で料理の注文をしていると、客引きだと思ったお兄ちゃんが話しかけてきた。
「これからライブなんです。観光ですか?」
「私たちも音楽家なの。」
「え?何の楽器?」
「サックスとベース。」
「えええ?僕もテナーサックスで、これからリハーサルやるんだよ。」
どこかで演奏したくてうずうずしていた私たちは「じゃあ、これから楽器とってくるから、飛び入りさせてくれる?でも大きい音だして大丈夫なの?」
「OK!!ちゃんと扉の閉まるライブハウスでは何の問題もないんだよ。」
そっか〜。エミリオたちは常に解放されたカフェでの演奏だった。こういうライブハウスでの演奏というのもあったのね〜w。
いそいそと楽器をとりに戻ると、ごはんもそこそこに楽器を取り出し、リハーサルに参加。
リーダーはキーボードの黒人だった。さっそくComo FueとSabor a miを演奏するとバンドのみんなが大喜び。パーカッションの黒人も「明日はこのバンドで(ボーカルなし)で夜からギグなんだけど、そこに来ない?」
話はどんどん面白い方向へ広がっていく。あとサンティアゴデクーバも3日になった。(つづく)