minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

ツアー一日目終了~福島県相馬市エンドレス~

2008年11月14日 | 
初めての東北ツアー、お天気も素晴らしく、予想よりは暖かかったですね。東京を離れるといつも思うのだが、空が広~~~い。



初日は相馬市のエンドレスというお店。木造で天井も吹き抜け、生音のとても気持ち良い空間。相馬ジャズクラブの方々の熱い熱い拍手に迎えられ、とても幸せな一時を過ごす事ができた。ジャズクラブというので、少しびびっておりましたがw、流石、美味しいところでかけ声やら拍手をもらい、みんな絶好調。相馬市の皆様、本当にありがとうございました。



魚も美味しい(料理が上手いのか)!!!!お刺身やらナメロウやら、カルパッチョ、ピザの全てが魚、魚、魚。堪能させて頂きました。

海岸線をひた走るのかと思いきや、まったく海は見えず、ひたすらカーナビの言いつけどおりに走って・・・無事に到着。
「ここへ一発で来れたんですか?」とエンドレスのママに驚かれてちょっぴり嬉しかった(別に自分が褒められた訳ではないけど)。道中では友人にいただいた「Police」のライブDVDを観ながら・・・カーナビ、結構使えるじゃん。

なんだか血が騒ぐと思ったら空を見上げれば満月。明日は海に寄って、お薦めの「はらこ飯」を食べてから仙台へ向かうぞ~~!仙台のみなさん、待っててね~。


だいじょうぶか?

2008年11月12日 | 家族の日常
「とりあえず、息子の中学校まで行ってみよう。」

カーナビを買って、ツアーで使いこなせるようにしておかないとみんなに迷惑がかかると言う事で、真夜中、試運転に出かけた。

なんとかタッチパネルで操作し、中学佼の前までナイスな感じで進んでいた。ところがここで曲がる!という所で何にも言ってくれない。あれ?とわざと曲がらずに通り過ぎた。すると・・・うん、ともすん、とも言わない黙り作戦。困っているのか?なんで無視するの?などと言いながらも駅のほうまでどんどん車は走っている。

新澤くんが持っていた携帯カーナビですら「ルートからはずれました。もう一度検索し直します。」とか言ってくれてたのに・・・。大丈夫なのか、ちょっと心配に。

もう一度やり直し、という事でようやく中学校にたどり着いた。「そこ、300m先を左です。」という音声ガイドのタイミングが早すぎて聞いていなかったのだった(汗)。でも「通り過ぎましたよ」って教えてくれてもいいんじゃない?

じゃあ、我が家へ戻ろう、と「自宅へ戻る」を押したのだが、これがまためちゃくちゃな事を教える。うっそ~、という細い道を選んだり、交差点を左に行けばすぐなのに右→左→左→左とUターンの回り道を教える。ひどいな、こりゃ。

結局2回再検索を押したのに、自宅の場所が違っていた(?!)のでたどり着けず、あきらめて自力で帰った。一体誰のせいなのか。謎は深まるまま、ツアーに突入・・・・。家に戻って、慌てて東北ライブハウス周辺地図をプリントアウトした私であります。とほほ(涙)。

今までの我慢は何だったのか?

2008年11月11日 | 家族の日常
あんなに我慢していたのに、遂に遂に買ってしまった・・・カーナビ。時代の波に飲まれていく自分が情けない。

「ああああ、かったるい!もう嫌だ!カーナビを買おう。」

突然言い出したトシキ。今までは私が旅の工程表を作り、地図をマピオンで調べてプリントアウトして・・・と面倒臭い作業を黙々とこなしていたのだが、いつもツアー中に「この地図じゃわからん!」と不平の声。挙げ句の果てに助手席に座っている新ちゃんに携帯ナビでサポートしてもらう始末。地図を走行中に見る事のできない体質(すぐ車酔いしてしまう)の私は助手席に座る資格もなく・・・とほほ状態だった。

明後日からの東北ツアーを前に、特に初めての場所ばかり。「今回は俺が地図を出すぞ!」とはりきっていたのに、いざやってみるとこれが大変。プリントアウトの方法すらよく解っていないのか、一つの地図を出すのに3枚もA4の紙を使っている(汗)。こんなたるい作業に時間を費やすくらいなら「カーナビ」をいっその事買ってしまおう。と言い出し、明後日に控えるツアーのために慌てて近所のオートバックスへ駆け込んだのです。

あんなもの、一生必要ないね!と欲しいのを無理矢理必要悪の如く思い頑に拒否してきたカーナビ。
大阪で大きな地図を買ったばかりなのに・・・。
もっと時間があればじっくり選ぶ事もできたのに・・・。
ポータブルにするはずだったのに・・・。
ビックカメラだったらポイント貯まったのに・・・。
新ちゃんからもらったカタログを元に調べておいた機種は扱っておらず、
結局オートバックスの言いなりに一番お薦め特価品を買う事に・・・(予算を完全にオーバー)。

ぎりぎりになってジタバタ。嬉しいやら情けないやら。いつも家ってこうなんだよな~。でも、東北ツアーできっと役に立つだろう(でないと困る)。果たして使いこなせるのかが問題だけど。

という事で、準備は着々と進んでいる。東北はまだ紅葉でないようだが、寒さは厳しそう。ホッカイロもダウンジャケットも用意して、がんばってきま~す。美味しいもの沢山食べれるといいな。

フリーだあああ!

2008年11月08日 | 家族の日常
昨日は1年に1度の沖さんとのフリーセッション@国立No Trunks。日本のフリージャズを支えてきたオーナー村上氏が沖さんと面識がなかったなんて、ちょっと驚きでした。それにしても、またまた面白いオリジナルトランペットを持参して楽しませてくれた。年齢と共に音量は小さくなるけど、それに反比例した味わい深さ。スピード感もビーバップフレーズもまだまだ健在の沖さん。彼の人生がトランペットに乗移ったかのような演奏。まだまだ青いな、と感じる瞬間も多々ありました。「さっちゃん、フリーやらなあかんよ。」と最後に重い一言。はい!がんがんやりま~す。また来年!!

沖さんのハンドメイドのTP(後ろにもベルがあってバルブも真ん中に一つついている。ユーホのような低音がでるようだ?)

夜中に帰ると筑紫さんがお亡くなりになったというニュース。息子のTちゃんとはNY時代によく麻雀したり遊んだ仲。Tちゃんは当時まだ高校生で「カメラマンになるんだ!」とがんばって勉強していた。

[Double Rainbow]ではそんな彼に頼んで「コニーアイランドの観覧車を撮って」とか「ミュージシャン達の素顔を撮って」などと我が儘な注文に淡々と応じてくれた彼の写真が沢山使われている。お父様とは一度もお会いするチャンスがなかったけれど、筑紫家には何度か遊びに行かせていただいたので、本当にショックだった。特に肺ガンというのも・・・。心からご冥福をお祈りいたします。

そして今朝は早起きしてまたまた区営グランドへ。もう来る事はない、と思っていたのに「中学PTA連合親子ソフトボール大会」というのにブラバンの息子と友人が借り出され試合に出るというのでじっとしていられず、チャリンコを走らせた。朝から4試合というハードスケジュール。4試合目にはトシキも登場。親子が最初で最後のセンターと2塁間を守るという永田家にとっては大変貴重なショットをおさめ、結果は最下位のようだったが個人的には大満足。日本シリーズよりも楽しいなw。


今度はその足で新橋のヤクルトホールへ向かう。昨日、洋輔氏のマネジャーGから電話があり
「明日からのツアーの為に、今リハーサルをしていたのですが、セシルがアルコ(弓)を壊してしまって・・・貸してもらえるような人はいないでしょうか」

いつもお世話になりっぱなしのG氏のお願いだから、なんとかならない?とトシキに尋ねると「前に使っていたアルコなら貸してもいいよ。」という事で本番直前に届ける事になった。
「Oh! Works!!」と喜ぶセシル・マクビー(リハーサル風景)

20周年記念ツアーという事で山下洋輔NYトリオに大勢のファンが詰め掛けていた。フェローンも相変わらず真っ赤なモンゴル系ジャケットを着てしなやかに叩きまくっていた。紳士のセシルも1曲目からいきなりトシキのアルコをギコギコと使いまくってくれ(笑)、70代とは思えない若さ溢れるプレイを披露。山下さん、20周年本当におめでとうございます。これぞ、フリー!?長く続けるって大事ですよね!来年の226も宜しくお願いしま~~~す。

長い長い2日間だった・・・。そして明日はオープンで「One love for Darfur」のライブ付イベントです。私達の演奏は9時半くらいからの予定です。ボーカルの龍さんとジョイントです。お待ちしております。




ジレンマと闘いながら

2008年11月06日 | 家族の日常
考えてみれば、国技館はまだ一度も足を踏み入れた事がなかった。大江戸線の両国駅も初めて。この歳でまだまだ初めての体験が一杯だな。しかしこのおかしな銅像は一体何?知らない事もいっぱい・・・(汗)。



ダライ・ラマ法王は一言もチベットの現状についても中国について非難するようなことも話さなかった。最初から最後まで優しい笑顔で茶目っ気たっぷりな瞳をくるくるさせながら、あくびをし、頭をかき、鼻をこする。どこにでもいそうな優しいおじさんだった(失礼)。つらい事や苦しい事を経験してきている人ほど、笑顔が美しい。先日観た「ウォー・ダンス」の子供たちの笑顔と重なった・・・。

「最初にお断りしておきますが、私の話で奇跡が起こったり、癒される・・・などと期待されても困ります。私自身、ミステリアスな現象に対してはいつも懐疑心を持っています。」そんな挨拶から始まった。

それにしても、英語を聴き取る能力のなさにほとほとがっかり。法王は解り易くゆっくりと話しているのだろうけど、発音も単語も難しくってさっぱり。長い話のあとに、同じ長さで通訳が語るというのをじっと聴いていなくてはいけない。あああ、時間がもったいないよな~。同時通訳のイヤホンでもあればいいのに。そんなジレンマと闘いつつ一言一言に耳を傾ける。集中力がそんなに持たない。言葉の壁は大きいとつくづく感じた・・・(今更?とほほ)。

どんな人たちが国技館に集まって来たんだろう?とキョロキョロと周りを見回すと仏教関係者、チベット人、インド人、文化人たち・・・年配の人たちが圧倒的に多かった。(アリーナ席だからかな?)講演の始まる前から感無量なのか、涙を浮かべている人もいる。

『法王にお会いするのだから、着飾って来ようと思ったのですが、玄関で鏡を見たとたん、清らかな法王の御前では着飾る事に何の意味ももたないな、って思い直してアクセサリーとかはずして来ました。』隣に同席した女性の言葉に、ユニクロバーゲンで買ったばかりの黒セーターを着ていた私は思い切りうなずいた。オーネットコールマンのコンサートに行った時のあの震えるような感動と同じ種類のものだろうか。

質疑応答の時間になり、一般の人たちが質問するために列を作った。柔道の石井彗選手が列の2番目に並んでいたが、体が大きいので一際目立っていた。
「自分は今、人生の岐路に立っています。それに対していろいろな人たちが自分にアドバイスをくれるのですが、自分で判断すべきなのか、長い物に巻かれろで人の意見に従ったほうが良いのか・・・法王のご意見を伺いたいです。」
「沢山のアドバイスを参考にするのはとても大事ですが、最終的に決めるのはご自分です。」

あたり前だけど、法王にそう言ってもらえれば「正しい道」に突き進めそうだね。石井、がんばれ~!と会場から拍手と応援の声が沸き上がった。

「<怒りや憎しみ>の感情を無理に抑えるのではなく、それと反対の感情(喜び、愛など)を育む努力をしなさい。それ以外に怒りや憎しみを抑える事はできないのです。壁のようなものを心に作ってしまわないように、常にいろいろな角度から物事を観察するようにしましょう。最近、私(法王)は胆石の手術をしました。2,30分ですむはずだった手術が5時間もかかってしまったのに、回復はもの凄く早く、医師たちが驚きました。病気は平和な心を持っていれば、治りがとても早いのです。ポジティブに考えて生きていけば病気にも負けない強い体と心ができていきます。」

メモをとった訳ではないので正確ではないが、以上のような感じで2時間半の講演は終了。今日のチケットの売り上げが約500万円。この売り上げは全てダライラマ法王事務局に寄付される、との報告まであった。

晴れやかな気分で外に出ると、国技館の屋根にはチベットの国旗と日本の国旗がひらひらと翻っていた。こうしてひとりひとり、法王の言葉を様々な受け止め方をしながら帰路についたのであります。


さて、明日は国立No Trunksで久しぶりに沖至(tp)さんとトリオでフリーセッションします。フランスから帰国したばかりの孤高のトランぺッターの音を堪能しにいらしてください。

Change! Change!

2008年11月05日 | 家族の日常
遂にオバマが当選した。アメリカは何かを変えなくては!という危機感で一杯なんだろう。一刻も早く戦いのない平和な世界へ、子供達が悲しいめに合わない世の中へ、と願う。

日本もアメリカのように大きな変革を!と期待するけど麻生政権じゃなあ・・・。給付金の意味がわからないし。世界はどういう方向へ動いていくのだろうか。難しい事は解らないけど、明日はダライラマの講演に行く。何かが少しづつでも良い方向へ変わって行きますように・・・。まずは自分から。


写真は菊池哲男氏「月光の頂きに落ちる遠雷」(東京都写真美術館のShopで買った絵はがきです。)

「ウォーダンス」

2008年11月03日 | 映画、本、芝居関係
凄い映画を観てきた。昨日から恵比寿の東京都写真美術館で始まった、アフリカ(ウガンダ)の難民キャンプにいる子供達のドキュメント映画。映像の美しさと比例したあまりに残酷な子供達の運命、それにも負けず生きて行く彼らの支えは「音楽」だった・・・私が言葉で書くよりも、ぜひぜひ自分で足を運んで観に行ってほしい。(ハンカチとティッシュをお忘れなく。)

音楽に携わる者として原点に返った気がした。音楽を何故やっているのか・・・本当の答えがこの映画にあった。アメリカもこんな素晴らしいドキュメント映画を撮るんだって事も驚き。

恵比寿という街にも●十年振りに行ったので、あまりの変貌ぶりにびっくりしたが(まるでお上りさん)、この映画に出会えて本当によかった。紹介してくださった写真家の板垣さん、どうもありがとうございます。

ウォーダンスのHP

ストレス解消法?

2008年11月01日 | 家族の日常
朝起きると息子が制服に着替えて、猫の頭を撫でながらじっと瞑想に耽っていた。

「何してんの?」
「こうやると、ストレスとかがほぐれるらしいんだ。」
何やら腹式呼吸の一つだったみたい。ふ~ん。やっぱり緊張しているんだな。朝ごはんもいつもの半分しか食べなかった。

「私も今でも時々緊張して指がこわばって動かない時があるのよ。」
「へ~、ソロ吹いていて指が動かなかったらどうするんだよ。」
「動くようになるまで、ロングトーンとかでごまかしながら・・・だんだんほぐれてくるのを待つw。」
「ふ~~~ん。緊張してお腹が痛くなったりしない?」
「緊張するって事は悪い事じゃないの。素敵な事なんだよ。だから、緊張する場面を楽しんじゃえばいいのよ。今日は最後なんだし、思い切り楽しんでサックスを吹いてらっしゃい。」


息子の最後の文化祭。今までの中学校生活のほとんどがこの吹奏楽部で過ごしてきたようなもの。そして今日が終われば明日からは完全に受験モードになる。

父兄席は一杯だったけど、要領よく一番真ん中に座れたのでビデオもしっかりセット。3年の演劇、コーラスも終わり、どんどん吹奏楽の出番が近くなる。練習は1度しか観ていない「ソーランファンク」のバリトンソロ、ちゃんと暗譜で吹けるのかなあ。などとあれこれ考えているうちに手が痺れてきた。

いよいよ吹奏楽部の出番。ミッキーマウスメドレーやコンクール曲のあと、いよいよソーランファンクだ。それまで中央の奥に隠れて全く見えなかった息子が立ち上がってステージのお立ち台に上がった。もちろん譜面台はない。長くて難しいソロだったが堂々とバリトンの太い音色をきちんと聞かせていた(完璧親ばかモード)。そしてアンコールはテキーラ。今回でこの演奏を聴くのは3回目になる。いつも緊張して高音が出せていなかったのに、今回は一つもミスなく、完璧なアルトサックスソロを聴かせてくれた。おおおお、よくやったぞ~~~~!3年間お疲れさま~!!!楽しませてくれてありがとう。

一番手に汗握って緊張していたのは・・・私だったのかも知れない。




チャイナタウンの夜は更けて

2008年11月01日 | 
ハロウィンと言えば、やはり「Double Rainbow」を録音したブルックリンのスタジオを思い出す。子供たちが黒いマントを着たり、可愛い帽子を被ったりして歩いていた。スタジオには山のように可愛らしいキャンディやらチョコレートがあったのを両手一杯にひっつかんで、子供たちにおいでおいで!とお菓子を配った。D.マレイやSteve Coleman御用達の素敵なレコーディングスタジオでフェローン達とおおはしゃぎしながらの楽しい録音だった・・・。

[Trick or Treat]なんて、通りじゃ誰も叫ぶ子供たちを見かけない。会たり前か。ここはNYのエルドリッジ・ストリートでもブルックリンでもなく、酔っぱらいの叫び声とどら猫たちのの鳴き声が響く池袋下町の商店街。

この頃、買い物で北口駅付近を通るとあまりの中国人の数に驚く。北口はすっかりチャイナタウンと化してしまった。すれ違う若者たちが中国語で話しながら楽しそうに歩いている。

私達がNYのチャイナタウンに3ヶ月間住んだ頃は東京の、しかも自分たちの街が同じような場所になるなんて夢にも思っていなかったなあ・・・。

あの時、マネジャーのシスターチャイナに連れられ、初めてレゲエのグループに遊びに行った。チャイナタウンの端っこにある地下と1階のあるレゲエのクラブだった。

「あんたはこのバンドで演奏するべきよ。」
言われるがままに飛び入り演奏して以来、翌週に行われる「人種差別反対コンサート@ユニオンスクエア」に出演を頼まれ、そのバンドのメンバーになってしまった。あの白人のオレゴンからやってきた人気歌手、ジャー・リーバイは今何をしているんだろう。

私を売り込もうと必死に奔走してくれた、マネジャーのシスターチャイナは今も元気だろうか。ビジネスの方法があまりに強引すぎる彼女に
「日本人はモデスティ(謙虚さ)を大切にする人種なのよ。」
「モデスティ(謙虚さ)なんて糞食らえよ!サチ!」
何度も何度も言い争いをしたあのチャイナタウンが懐かしい。

毎晩のように友人たちが訪れ、バイヤーたちもウロウロする危険なストリートだったけど、一番怖かったことと言えば・・・。

私とトシキがふらふらと真夜中にライブから戻る途中、ダダだ~~ッと何かが足下を横切って反対側のゴミ箱に向かって大移動した。良く見れば、大きな大きなネズミの大群。ひえええええええええええ、と声にならない悲鳴をあげて慌てて玄関に飛び込んだ。本当に恐ろしかった。池袋の街にもこんな大きなネズミたちがどこかで走り回っているのだろうか・・・(汗)。