最近、X(旧ツイッター)のあちこちで炎上していて、YouTubeのコメント欄にもちょっと延焼していた事柄に車椅子ユーザーのあるクレームがありました。
Xを代表とするsnsの記事って、読んでいて精神衛生に物凄く悪いものが多いので、読まない方が良いのだけれど、くだんの車椅子ユーザーを叩く人達の在り方・考え方は結構普段から目にし耳にしていたので、ちょっと書いてみたいと思います。
私の記憶なので若干の間違いもあるかもしれませんが、そもそもの話は、ある女性の車椅子ユーザーが、いつも利用している映画館で、車椅子専用の席は一番前になっていて、脊椎に障害もあって2時間も見上げて見るのが辛いので、追加料金を払ってリクライニングの席に行くのに、段差があってスタッフが二人がかりで車椅子を持ち上げなければならなかったらしい。
いつものようにそのようにして映画を見終わると、映画館の支配人が彼女の元に訪れ、スタッフの数も限られているし、何か事故があっても責任が取れないので、次回からは車椅子ユーザーに対応できる別の映画館に行ってほしいと言われ、久しぶりに悔しい思いをしたということをXに書き込んだことが発端だったみたいです。
このこと自体は色々と背景の事情もあるのでここでは踏み込みません。問題なのはその後に続いた何百という車椅子ユーザーへの非難の嵐の方でした。
誰かが別の場所で少しでもその車椅子ユーザーを擁護する発言をXですると、そこでもまた同じ炎上が勃発するわけです。
一言でいうと、人に迷惑をかける存在でありながら、権利ばかり主張する、ワガママな障碍者というわけです。
叩く人は徹底的に叩きのめさないと気が済まないみたいです。
その車椅子ユーザーが正しいか正しくないかは関係なく、何百人がかりで寄ってたかって叩くその執拗さに驚くし、日本の社会って荒れてんなと思います。
ネットリンチで、これじゃあ自殺者も出るのもよく分かります。
ただ私の母も、元気で生きていた時はテレビで障碍者が何か言うと「障碍者なのに偉そうに」などと言っていました。
その母も亡くなる8年くらい前から失明し、車椅子を利用する障碍者になってましたけど。
日本人って、子供のしつけのいの一番は「人様に迷惑をかけるな」で、障碍者はそのルールから外れた存在なので、当然のように小さくなって生きていなくてはならないと思いこんでいたのだと思います。
かくいう私も、自覚せず同じような思い込みを持っていたみたいです。
そういう思い込みが無くなったのは、私自身が車椅子ユーザーになる経験をしたからです。
私は今まで2度車椅子ユーザーになってます。
ちょっと前にも触れたのですが、30代の半ばくらいの頃、胃にポリープができて、取った方が良いということになりました。
医師は最初は日帰りでできる処置だと言ってました。
ところが私は、血小板減少症という、一度出血すると止まりにくい血液の病気を持っています。
それを慮ってか、医師は念のために一泊入院してもらうと言いました。
そして処置の時、ポリーブを取るや否や「出血が止まらん」と医師は言い、看護師に安静の指示を出し、トイレに行くにも車椅子で行くことになったのです。
入院は1週間続きました。
私は4人部屋に連れていかれたのですが、看護師さんは私がトイレに行かなくてもよいようにベッドの脇にポータブルトイレを置き、そこで用を足すように言いました。
もちろん用を足すときはカーテンを閉めます。
ところが、カーテンを閉めて用を足そうとしても出来ないのです。
用を足せない、平たく言うとおしっこが出ない・・・。
原因は場所による心理的緊張だったみたいです。
私のベッドの位置は部屋の扉のすぐ横で、人の出入りが一番響く所。
そして人はしょっちゅう出入りします。
看護師さんや医師だけでなく、お見舞いの人達やら入院患者自身も歩き回っていて、そんな場所で薄いカーテンをしただけで用など足せない。
カーテンを閉めるから用を足してるって分かるし。
でも用を足さないわけにはいかない。
特に胃を養生しているので、栄養輸液を24時間点滴で体内に入れており、普段は行かない夜中でも用を足したいのでした。
仕方なく看護師さんを呼んでトイレまで車椅子で連れて行ってもらってました。
もちろん私はポータブルトイレが使用出来ないことを謝罪し、「申し訳ないです」とか「すみません」とか、終わってからは「ありがとうございました」とか、言えるだけのことは繰り返し言って連れて行ってもらっていたのです。
看護師さんも「みどりさんの年齢ならできないでしょうね」と言ってくれてました。
部屋のポータブルトイレが使用できるかどうか、年齢が関係あるのかと思われそうですが、高齢になるとそんなことが平気になってしまうみたいです。
事実、別の病気での入院時、同じ部屋の高齢女性はカーテンも閉めずに用を足していて、最中に目が合って気まずい思いをしたこともありました。
齢を取った今、私が大部屋でベッドのわきのポータブルトイレを使用できるかどうか分かりません。
ただ真夜中で、人の出入りがなく、誰もが寝静まっている時は、私もベッドわきのポータブルトイレを使用することができました。
別の病気で入院時、一人部屋だった時は昼間でも部屋に置いてあったポータブルトイレを使用できていました。
やはり人の耳や目が気になっていたのだと思います。
とにかく、そうやって毎日、昼間にトイレに連れて行ってもらっていたのですが、さすがに「申し訳ありません」とか「ありがとうございました」と言い続けることに疲労感を覚えてきました。
そこまで言わなあかんのかと。
私にそれを言わせているのは何かとか。
それは、それこそ人に迷惑をかける存在は小さくなって生きていなければならないという考えだったのでした。
とりわけその時の私は、せっかく病院が用意したベッドわきのポータブルトイレを心理的抵抗感から使用できないという負い目が大きかったのでした。
でも、それって私のワガママ?
私はすぐに良くなって退院しましたが、自分の意識はかなり変わりました。
それが必要なら、車椅子ユーザーは少々のワガママを言っていいと私は思っています。
車椅子を介助する場合も、相手からお礼を言われたら「お気遣いはいりませんよ。当然のことですから」と言おうと思ってます。
誰もなりたくって車椅子ユーザーになるわけではないし、高齢になれば誰だって障碍者になる確率が高くなりますからね。
Xを代表とするsnsの記事って、読んでいて精神衛生に物凄く悪いものが多いので、読まない方が良いのだけれど、くだんの車椅子ユーザーを叩く人達の在り方・考え方は結構普段から目にし耳にしていたので、ちょっと書いてみたいと思います。
私の記憶なので若干の間違いもあるかもしれませんが、そもそもの話は、ある女性の車椅子ユーザーが、いつも利用している映画館で、車椅子専用の席は一番前になっていて、脊椎に障害もあって2時間も見上げて見るのが辛いので、追加料金を払ってリクライニングの席に行くのに、段差があってスタッフが二人がかりで車椅子を持ち上げなければならなかったらしい。
いつものようにそのようにして映画を見終わると、映画館の支配人が彼女の元に訪れ、スタッフの数も限られているし、何か事故があっても責任が取れないので、次回からは車椅子ユーザーに対応できる別の映画館に行ってほしいと言われ、久しぶりに悔しい思いをしたということをXに書き込んだことが発端だったみたいです。
このこと自体は色々と背景の事情もあるのでここでは踏み込みません。問題なのはその後に続いた何百という車椅子ユーザーへの非難の嵐の方でした。
誰かが別の場所で少しでもその車椅子ユーザーを擁護する発言をXですると、そこでもまた同じ炎上が勃発するわけです。
一言でいうと、人に迷惑をかける存在でありながら、権利ばかり主張する、ワガママな障碍者というわけです。
叩く人は徹底的に叩きのめさないと気が済まないみたいです。
その車椅子ユーザーが正しいか正しくないかは関係なく、何百人がかりで寄ってたかって叩くその執拗さに驚くし、日本の社会って荒れてんなと思います。
ネットリンチで、これじゃあ自殺者も出るのもよく分かります。
ただ私の母も、元気で生きていた時はテレビで障碍者が何か言うと「障碍者なのに偉そうに」などと言っていました。
その母も亡くなる8年くらい前から失明し、車椅子を利用する障碍者になってましたけど。
日本人って、子供のしつけのいの一番は「人様に迷惑をかけるな」で、障碍者はそのルールから外れた存在なので、当然のように小さくなって生きていなくてはならないと思いこんでいたのだと思います。
かくいう私も、自覚せず同じような思い込みを持っていたみたいです。
そういう思い込みが無くなったのは、私自身が車椅子ユーザーになる経験をしたからです。
私は今まで2度車椅子ユーザーになってます。
ちょっと前にも触れたのですが、30代の半ばくらいの頃、胃にポリープができて、取った方が良いということになりました。
医師は最初は日帰りでできる処置だと言ってました。
ところが私は、血小板減少症という、一度出血すると止まりにくい血液の病気を持っています。
それを慮ってか、医師は念のために一泊入院してもらうと言いました。
そして処置の時、ポリーブを取るや否や「出血が止まらん」と医師は言い、看護師に安静の指示を出し、トイレに行くにも車椅子で行くことになったのです。
入院は1週間続きました。
私は4人部屋に連れていかれたのですが、看護師さんは私がトイレに行かなくてもよいようにベッドの脇にポータブルトイレを置き、そこで用を足すように言いました。
もちろん用を足すときはカーテンを閉めます。
ところが、カーテンを閉めて用を足そうとしても出来ないのです。
用を足せない、平たく言うとおしっこが出ない・・・。
原因は場所による心理的緊張だったみたいです。
私のベッドの位置は部屋の扉のすぐ横で、人の出入りが一番響く所。
そして人はしょっちゅう出入りします。
看護師さんや医師だけでなく、お見舞いの人達やら入院患者自身も歩き回っていて、そんな場所で薄いカーテンをしただけで用など足せない。
カーテンを閉めるから用を足してるって分かるし。
でも用を足さないわけにはいかない。
特に胃を養生しているので、栄養輸液を24時間点滴で体内に入れており、普段は行かない夜中でも用を足したいのでした。
仕方なく看護師さんを呼んでトイレまで車椅子で連れて行ってもらってました。
もちろん私はポータブルトイレが使用出来ないことを謝罪し、「申し訳ないです」とか「すみません」とか、終わってからは「ありがとうございました」とか、言えるだけのことは繰り返し言って連れて行ってもらっていたのです。
看護師さんも「みどりさんの年齢ならできないでしょうね」と言ってくれてました。
部屋のポータブルトイレが使用できるかどうか、年齢が関係あるのかと思われそうですが、高齢になるとそんなことが平気になってしまうみたいです。
事実、別の病気での入院時、同じ部屋の高齢女性はカーテンも閉めずに用を足していて、最中に目が合って気まずい思いをしたこともありました。
齢を取った今、私が大部屋でベッドのわきのポータブルトイレを使用できるかどうか分かりません。
ただ真夜中で、人の出入りがなく、誰もが寝静まっている時は、私もベッドわきのポータブルトイレを使用することができました。
別の病気で入院時、一人部屋だった時は昼間でも部屋に置いてあったポータブルトイレを使用できていました。
やはり人の耳や目が気になっていたのだと思います。
とにかく、そうやって毎日、昼間にトイレに連れて行ってもらっていたのですが、さすがに「申し訳ありません」とか「ありがとうございました」と言い続けることに疲労感を覚えてきました。
そこまで言わなあかんのかと。
私にそれを言わせているのは何かとか。
それは、それこそ人に迷惑をかける存在は小さくなって生きていなければならないという考えだったのでした。
とりわけその時の私は、せっかく病院が用意したベッドわきのポータブルトイレを心理的抵抗感から使用できないという負い目が大きかったのでした。
でも、それって私のワガママ?
私はすぐに良くなって退院しましたが、自分の意識はかなり変わりました。
それが必要なら、車椅子ユーザーは少々のワガママを言っていいと私は思っています。
車椅子を介助する場合も、相手からお礼を言われたら「お気遣いはいりませんよ。当然のことですから」と言おうと思ってます。
誰もなりたくって車椅子ユーザーになるわけではないし、高齢になれば誰だって障碍者になる確率が高くなりますからね。