兵庫県の百条委員会が閉幕し、報告書が提出されました。
さっそく読みやすいように報告書をダウンロードし、プリントアウトしました。

表紙と目次を含めてA4用紙で40枚ありました。
1時間くらいかけて熟読しました。
一つ一つの事柄を詳細に調査し、議論をしたことがうかがえる報告書でした。
内容は私も詳しくは知らなかったことが多かったです。
斎藤知事にパワハラがあったというこの報告書の結果に対し、反論があるのであれば、報告書に書かれた個々の内容そのものに反論しなければならないでしょう。
たぶん反論は不可能でしょうけど。
だからこそ、なのでしょう。この結果に対し、斎藤知事は受け入れない姿勢を表明し、さらに疑惑を告発して自死した元県幹部のプライバシーに触れ、告発者の社会的評価を貶める発言をしました。
後には彼が使っていたパソコンの中身を公開する考えもあることを表明しています。
今回の知事選に関し、私も当初は知らなかったことがたくさんあったのですが、その一つは百条委員会の重みでした。
百条委員会は地方自治法第100条に基づいて設置されるもので、第三者委員会などよりももっと権威のあるものでした。
とても「一つの見解」として言い捨てることのできるものではないのです。
自治体の首長と議会が共に住民を代表するという二元代表制の元では、議会が設置した百条委員会の軽視は、それだけでも知事の資質を問われても仕方ないものです。
それ以上に問題だったのは、不正に入手した疑いもあり、真偽も定かでない、また一連の告発とも無関係の、告発者だった元県民局長による「倫理上極めて不適切なわいせつ文書」の存在に言及して告発者の社会的評価を貶める発言をしたことです。
斎藤知事、一線を越えたという印象です。
私は今回の知事選については、以前から自分のブログでも短いながら言及してきました。
私自身、当初は事の真偽も分からず、百条委員会の報告待ちというスタンスでした。
テレビのワイドショーなどが報じていた斎藤知事のおねだり疑惑等々は当初から全くスルーでした。(私のオールドメディアへの不信感は最近それを言い始めた人達とは違い、年季が入ってます。)
ですが、斎藤知事があの立花孝志の応援を断らず、2馬力選挙を行ったこと。(私は以前から、立花孝志がどういう人物か多少なりとも知ってました。)
さらに立花孝志の選挙運動が、自殺者が出るほどのデマ・誹謗中傷の拡散等、常軌を逸したものであったことから、それを許した斎藤知事に対して疑惑を持つに至りました。
そして今回の百条委員会の報告、それに対する斎藤知事の対応を知るにつけ、斎藤知事はおよそ知事たるにふさわしい資質も資格もないという結論に至りました。
もう少し詳しく触れると、今回、百条委員会で調査されたことは、亡くなった県民局長が告発文で指摘していた七つの疑惑だけではありません。
公益通報者保護法に鑑みて、亡くなった県民局長の告発に対して県が行った行動が正しいものであったかどうかも検証されていました。
結果は、明らかに公益通報者保護法に違反していますし、斎藤知事の今現在の対応も継続して違反状態にあることになります。
というのも、そもそも公益通報者保護法によれば、告発者の探索そのものも行ってはいけないものだからです。
にもかかわらず、既に自死している告発した元県民局長への攻撃・貶めをいまだに続けているからです。
亡くなった元県民局長による告発から始まったこの件については、当初から一貫して局長のものとされる私的な文書が斎藤知事擁護派の切り札として使われてきました。
私はそこから一連の出来事を考えてみます。
それは、元県民局長の公用パソコンの中にあったとされていますが、その事自体が私に言わせれば疑問です。
私は過去に2か所の役所(年金機構と労働局)で勤めたことがありますが、役所におけるパソコンの扱いは民間以上に厳格で、仮に個室で作業しているとしても、その中に読まれて困る私的な文書を入れるなど考えられないからです。
すでに多くの人が指摘しているように、データファイルの最終更新日時がパソコンが押収された後の同一日時になっていること、私的なUSBまで持っていかれたと元局長が語っていたことと考えると、私的な文書は押収後に私物のUSBから公用パソコンに移されたと考えることもできます。(本当のところは調査しないと分かりません。)
つまり公務中に公用パソコンを使い、私的な文書を書いていたという非難は、その証拠自体が毀損されて存在しないに等しいのです。
もちろん、そのこと以前に公用パソコンや私的なUSBの押収も違法だし、大規模な捜索をして内部通報者を探し出したことも違法です。
つまりこの切り札は、切り札として使うこと自体が何重もの意味で無効ですし違法でもあるということです。
ではなぜ、斎藤知事を擁護する関係者は法を犯してまでこの切り札に拘り、使い続けるのか。
公益通報者保護法の専門家も指摘している通り、答えは簡単です。
告発者に悪いイメージを持たせ、告発自体に真実性がないと皆に思わせるためです。
実際、選挙中に行われたことは、お漏らし3県議と呼ばれる維新の議員達が、他党の党首である立花孝志に情報を渡し続け、立花孝志がそれに壮大な脚色を施して街宣やsnsで広報する。
結果、「10年で10人と不倫。それも不同意性交」などという元局長に関する嘘八百のデマが拡散され、「そんなやつの言う事が信じられますか」と告発自体が別の意図があったがごとく印象づけられてしまう、ということでした。
専門家によれば、告発者に対して拡張された人格攻撃を行うというこのような方法は、実は過去において、内部通報が行われた現場では国内外で普通に見られたことだったそうです。
だからこそ、内部通報者保護法では、通報者の探索も、解雇や降格等の人事上の不利益も禁じられているのです。
詳しくは以下参照。
https://x.com/Prince_Ootsu/status/1898129784242422006
このように、全く否定されているにもかかわらず、斎藤知事やその支持者達は、なぜ、未だに局長の私的な文書にこだわり続けるのか。
私が考えるに、彼らはnaiveな人達に期待しているのではないかと思います。
naiveと英語で書くのは、日本語で使われるナイーブと意味が異なるからです。
日本語でナイーブというと、「繊細な」「純粋な」「素直な」といったポジティブともいえる人の性質 を表しますが元の英語では違うようです。
英語ではnaiveは「単純な」「世間知らずの」「だまされやすい」「鈍感な」「考えが甘い」「経験が浅い」と、要するに浅はかな性質を表す言葉です。
このnaiveな人達は、一方でとても優しくて好い人達でもあるようです。
たとえば斎藤ガールズとか斎藤マダムとか呼ばれている斎藤知事を応援する女性達は、やはり優しそうで、ワンコを抱いた人もいて、どうみても善良そうだったりするそうです。
そして斎藤知事が責められれば責められるほど、『どんな時でも私は味方』と言わんばかりに、理屈抜きで応援する気持ちを強めていくらしいのです。
私がこんなことを書くのは、今回の知事選とは関係のない、X(旧ツイッター)での経験があります。
たまたま知り合った、とても親切で感じの好い人と、互いのXのフォロワーになったのですが、政治的にヘイトな記事のリツィートをあまりにするのでミュートせざるをえませんでした。
そういうことが2回というか二人ありました。
二人とも私よりもずっとsnsに精通していました。
善良な人が、なぜ明らかなヘイトに乗ってしまうのかと思いますが、それがその人の正義感なのです。
せめてリツィートという形でなく自分の言葉で主張すれば話のしようもありますが、たぶん、自分の言葉は持っていない・・・。
東京在住の人は石丸に投票したと誇らしげに書いていました。
この種のnaiveな人達には、元局長が書いていたとされる文書の内容は、効果絶大なのだと思います。
元局長は趣味で小説の草稿のようなものをたくさん書いていたらしいのですが、その中にいわゆるポルノ的な描写があったらしいのです。
私のようなスレた人間なら「だから?」で終わってしまうし、事実、その文書を読んで「この程度のことで書いた人物が信用できないなんて言ったら、自分を含め男はほとんど信用できない」という意味のことを言っていた人もいます。
ただnaiveな人達、特に女性は違います。
なんてイヤラシイ、キショク悪い、変態、等々エモーショナルな反応をし、「そんなことを書く人は信頼できない」となります。
反対に、斎藤知事に対しては実際に「斎藤さんはお辞儀がきれい。あんなきれいなお辞儀をする人に悪い人はいない」と言っています。
人を見る視点がまるで違うのだと思わなくてはなりません。
元局長の私的文書はあくまで彼のプライバシー、彼が公的に行ったこととは関係ない、とはnaiveな人達には考えられません。
そういう人達は公益通報者保護法をどれだけ説明しても理解できません。
彼らにとって、今回のことはあくまでオールドメディアと結託した既得権益層の、改革者である斎藤知事に対する攻撃、斎藤知事つぶしというストーリーの中での理解で、それは動きそうにないのです。
今回の選挙において立花孝志がやったこと、人を自死にまで追い込むその手口。
それは街宣やsnsで嘘八百の誹謗中傷を繰り返すだけでなく、人の家に押し掛ける、電話やメール、FAXで毎日のように罵詈雑言を浴びせ続ける、家の前に汚物を撒き散らす、大量のワケの分からない郵便物を送り付ける等々、ですがnaiveな人達に言わせると「斎藤知事はもっとイジメられてた」になります。
維新のお漏らし3県議のやったことも、私から見れば醜悪で卑劣極まりないものですが、naiveな人達に言わせると「私達に真実を知らせるためにやった」ということになります。
そしてその真実とは、元局長の私的な文書であるわけです。
私は知事選で斎藤知事に投票した111万人全員がnaiveな人達だったとは思いません。
だから今後、兵庫県政がどう動くかは分かりません。
ただnaiveな人達は斎藤知事の岩盤支持層であり続けるでしょう。
本来善良でやさしい人達が「斎藤知事かわいそう」というそのやさしさから“悪”に寄り添い、遵法意識さえどこかにやってしまうのは戦慄すべきことです。
一方、今回のことでオールドメディアに対して批判一方だった人達が、クラウドワークスなどのsnsの裏側を知ったことは一つの成果だったと思います。
兵庫県で起こったこと、今も継続して起こっていることは兵庫県だけの問題じゃなくどこにでも起こることです。
今後も注視していきたいです。
さっそく読みやすいように報告書をダウンロードし、プリントアウトしました。

表紙と目次を含めてA4用紙で40枚ありました。
1時間くらいかけて熟読しました。
一つ一つの事柄を詳細に調査し、議論をしたことがうかがえる報告書でした。
内容は私も詳しくは知らなかったことが多かったです。
斎藤知事にパワハラがあったというこの報告書の結果に対し、反論があるのであれば、報告書に書かれた個々の内容そのものに反論しなければならないでしょう。
たぶん反論は不可能でしょうけど。
だからこそ、なのでしょう。この結果に対し、斎藤知事は受け入れない姿勢を表明し、さらに疑惑を告発して自死した元県幹部のプライバシーに触れ、告発者の社会的評価を貶める発言をしました。
後には彼が使っていたパソコンの中身を公開する考えもあることを表明しています。
今回の知事選に関し、私も当初は知らなかったことがたくさんあったのですが、その一つは百条委員会の重みでした。
百条委員会は地方自治法第100条に基づいて設置されるもので、第三者委員会などよりももっと権威のあるものでした。
とても「一つの見解」として言い捨てることのできるものではないのです。
自治体の首長と議会が共に住民を代表するという二元代表制の元では、議会が設置した百条委員会の軽視は、それだけでも知事の資質を問われても仕方ないものです。
それ以上に問題だったのは、不正に入手した疑いもあり、真偽も定かでない、また一連の告発とも無関係の、告発者だった元県民局長による「倫理上極めて不適切なわいせつ文書」の存在に言及して告発者の社会的評価を貶める発言をしたことです。
斎藤知事、一線を越えたという印象です。
私は今回の知事選については、以前から自分のブログでも短いながら言及してきました。
私自身、当初は事の真偽も分からず、百条委員会の報告待ちというスタンスでした。
テレビのワイドショーなどが報じていた斎藤知事のおねだり疑惑等々は当初から全くスルーでした。(私のオールドメディアへの不信感は最近それを言い始めた人達とは違い、年季が入ってます。)
ですが、斎藤知事があの立花孝志の応援を断らず、2馬力選挙を行ったこと。(私は以前から、立花孝志がどういう人物か多少なりとも知ってました。)
さらに立花孝志の選挙運動が、自殺者が出るほどのデマ・誹謗中傷の拡散等、常軌を逸したものであったことから、それを許した斎藤知事に対して疑惑を持つに至りました。
そして今回の百条委員会の報告、それに対する斎藤知事の対応を知るにつけ、斎藤知事はおよそ知事たるにふさわしい資質も資格もないという結論に至りました。
もう少し詳しく触れると、今回、百条委員会で調査されたことは、亡くなった県民局長が告発文で指摘していた七つの疑惑だけではありません。
公益通報者保護法に鑑みて、亡くなった県民局長の告発に対して県が行った行動が正しいものであったかどうかも検証されていました。
結果は、明らかに公益通報者保護法に違反していますし、斎藤知事の今現在の対応も継続して違反状態にあることになります。
というのも、そもそも公益通報者保護法によれば、告発者の探索そのものも行ってはいけないものだからです。
にもかかわらず、既に自死している告発した元県民局長への攻撃・貶めをいまだに続けているからです。
亡くなった元県民局長による告発から始まったこの件については、当初から一貫して局長のものとされる私的な文書が斎藤知事擁護派の切り札として使われてきました。
私はそこから一連の出来事を考えてみます。
それは、元県民局長の公用パソコンの中にあったとされていますが、その事自体が私に言わせれば疑問です。
私は過去に2か所の役所(年金機構と労働局)で勤めたことがありますが、役所におけるパソコンの扱いは民間以上に厳格で、仮に個室で作業しているとしても、その中に読まれて困る私的な文書を入れるなど考えられないからです。
すでに多くの人が指摘しているように、データファイルの最終更新日時がパソコンが押収された後の同一日時になっていること、私的なUSBまで持っていかれたと元局長が語っていたことと考えると、私的な文書は押収後に私物のUSBから公用パソコンに移されたと考えることもできます。(本当のところは調査しないと分かりません。)
つまり公務中に公用パソコンを使い、私的な文書を書いていたという非難は、その証拠自体が毀損されて存在しないに等しいのです。
もちろん、そのこと以前に公用パソコンや私的なUSBの押収も違法だし、大規模な捜索をして内部通報者を探し出したことも違法です。
つまりこの切り札は、切り札として使うこと自体が何重もの意味で無効ですし違法でもあるということです。
ではなぜ、斎藤知事を擁護する関係者は法を犯してまでこの切り札に拘り、使い続けるのか。
公益通報者保護法の専門家も指摘している通り、答えは簡単です。
告発者に悪いイメージを持たせ、告発自体に真実性がないと皆に思わせるためです。
実際、選挙中に行われたことは、お漏らし3県議と呼ばれる維新の議員達が、他党の党首である立花孝志に情報を渡し続け、立花孝志がそれに壮大な脚色を施して街宣やsnsで広報する。
結果、「10年で10人と不倫。それも不同意性交」などという元局長に関する嘘八百のデマが拡散され、「そんなやつの言う事が信じられますか」と告発自体が別の意図があったがごとく印象づけられてしまう、ということでした。
専門家によれば、告発者に対して拡張された人格攻撃を行うというこのような方法は、実は過去において、内部通報が行われた現場では国内外で普通に見られたことだったそうです。
だからこそ、内部通報者保護法では、通報者の探索も、解雇や降格等の人事上の不利益も禁じられているのです。
詳しくは以下参照。
https://x.com/Prince_Ootsu/status/1898129784242422006
このように、全く否定されているにもかかわらず、斎藤知事やその支持者達は、なぜ、未だに局長の私的な文書にこだわり続けるのか。
私が考えるに、彼らはnaiveな人達に期待しているのではないかと思います。
naiveと英語で書くのは、日本語で使われるナイーブと意味が異なるからです。
日本語でナイーブというと、「繊細な」「純粋な」「素直な」といったポジティブともいえる人の性質 を表しますが元の英語では違うようです。
英語ではnaiveは「単純な」「世間知らずの」「だまされやすい」「鈍感な」「考えが甘い」「経験が浅い」と、要するに浅はかな性質を表す言葉です。
このnaiveな人達は、一方でとても優しくて好い人達でもあるようです。
たとえば斎藤ガールズとか斎藤マダムとか呼ばれている斎藤知事を応援する女性達は、やはり優しそうで、ワンコを抱いた人もいて、どうみても善良そうだったりするそうです。
そして斎藤知事が責められれば責められるほど、『どんな時でも私は味方』と言わんばかりに、理屈抜きで応援する気持ちを強めていくらしいのです。
私がこんなことを書くのは、今回の知事選とは関係のない、X(旧ツイッター)での経験があります。
たまたま知り合った、とても親切で感じの好い人と、互いのXのフォロワーになったのですが、政治的にヘイトな記事のリツィートをあまりにするのでミュートせざるをえませんでした。
そういうことが2回というか二人ありました。
二人とも私よりもずっとsnsに精通していました。
善良な人が、なぜ明らかなヘイトに乗ってしまうのかと思いますが、それがその人の正義感なのです。
せめてリツィートという形でなく自分の言葉で主張すれば話のしようもありますが、たぶん、自分の言葉は持っていない・・・。
東京在住の人は石丸に投票したと誇らしげに書いていました。
この種のnaiveな人達には、元局長が書いていたとされる文書の内容は、効果絶大なのだと思います。
元局長は趣味で小説の草稿のようなものをたくさん書いていたらしいのですが、その中にいわゆるポルノ的な描写があったらしいのです。
私のようなスレた人間なら「だから?」で終わってしまうし、事実、その文書を読んで「この程度のことで書いた人物が信用できないなんて言ったら、自分を含め男はほとんど信用できない」という意味のことを言っていた人もいます。
ただnaiveな人達、特に女性は違います。
なんてイヤラシイ、キショク悪い、変態、等々エモーショナルな反応をし、「そんなことを書く人は信頼できない」となります。
反対に、斎藤知事に対しては実際に「斎藤さんはお辞儀がきれい。あんなきれいなお辞儀をする人に悪い人はいない」と言っています。
人を見る視点がまるで違うのだと思わなくてはなりません。
元局長の私的文書はあくまで彼のプライバシー、彼が公的に行ったこととは関係ない、とはnaiveな人達には考えられません。
そういう人達は公益通報者保護法をどれだけ説明しても理解できません。
彼らにとって、今回のことはあくまでオールドメディアと結託した既得権益層の、改革者である斎藤知事に対する攻撃、斎藤知事つぶしというストーリーの中での理解で、それは動きそうにないのです。
今回の選挙において立花孝志がやったこと、人を自死にまで追い込むその手口。
それは街宣やsnsで嘘八百の誹謗中傷を繰り返すだけでなく、人の家に押し掛ける、電話やメール、FAXで毎日のように罵詈雑言を浴びせ続ける、家の前に汚物を撒き散らす、大量のワケの分からない郵便物を送り付ける等々、ですがnaiveな人達に言わせると「斎藤知事はもっとイジメられてた」になります。
維新のお漏らし3県議のやったことも、私から見れば醜悪で卑劣極まりないものですが、naiveな人達に言わせると「私達に真実を知らせるためにやった」ということになります。
そしてその真実とは、元局長の私的な文書であるわけです。
私は知事選で斎藤知事に投票した111万人全員がnaiveな人達だったとは思いません。
だから今後、兵庫県政がどう動くかは分かりません。
ただnaiveな人達は斎藤知事の岩盤支持層であり続けるでしょう。
本来善良でやさしい人達が「斎藤知事かわいそう」というそのやさしさから“悪”に寄り添い、遵法意識さえどこかにやってしまうのは戦慄すべきことです。
一方、今回のことでオールドメディアに対して批判一方だった人達が、クラウドワークスなどのsnsの裏側を知ったことは一つの成果だったと思います。
兵庫県で起こったこと、今も継続して起こっていることは兵庫県だけの問題じゃなくどこにでも起こることです。
今後も注視していきたいです。